【5】

 初めに異変に気が付いたのは誰だったのか。


 一人だったかもしれないし、二人だったかもしれない。十人以上が、同時に気が付いたのかもしれない。


 さらに時は過ぎ、『黙示録』アップロードから二年。


 同書の世界的ブームは沈静化しつつあった。

 少なくとも日本国内では、「『黙示録』? あー、ノベロが書いた日記でしょ? すごいよね、どこまで進化すんだろうね、コンピューターって」と、将棋の電王戦くらいの扱いになりつつあった。

 それはそうだ。いくら文学者が「これは文学か否か」とがなり立てようが、科学者が「技術的特異点がどうたら」と騒ごうが、オタクがネット上で「書詠かくよフミこそ歴史を変えた神だ」とアジテーションしようが、それが直接的に人間の生活を激変させるものでない限り、それは娯楽という範囲を超越することは無い。物語小説は所詮娯楽、暇つぶしであり、それを人間が書こうが機械が書こうが、我々の生活には実のところ何の影響も無い。日記を書かせている暇があったら早くセクサロイドを作ってくれというのが、人間の偽らざる本音だろう。


 しかし、異変は起こった。


 二月三日から始まる『黙示録』の日記。

 その中でぽつりぽつりと呟かれている内容と、現実が符号し始めた。



・五月十三日・

 地震があった、こっちもけっこう揺れた。こわい



 その日、震度七、マグニチュード八・一の大地震が、現実に、東海地方を襲った。

 幸い、平成期の東日本大震災を教訓に、数十年かけて事前対策が整備されていたため、被害は最小限に抑えられた。それでも、死者は一二八一人、行方不明者は三五一人。建物全壊、約六万五千棟。経済的損害、推定二十二億六千万円。


 この日を境に、『黙示録』の電脳予言書説が信憑性を帯び始めた。

 元々、アップロード時から電脳予言書説は存在していた。聖書を思わせる『黙示録』というタイトルに加え、時折挿入される世間の出来事に対する少女の感想が、やたらと生々しいものであることから、発表当初より、予言書説を唱える者は少なからずいた。もちろん、当時その説は、『黙示録』は国家レベルで作られた機密的ノベロイド小説だ、というような他の都市伝説と同様に、一笑に付され、オカルト好事家たちの肴にされただけだった。



・七月十六日・

 行方不明の子がニュースで見つかった。犯人、死ねばいいのに。って思う私も、悪人?



 同日、六月から九州地方で起こっていた幼児連続誘拐殺人事件の犯人が捕まった。

 東海地震に続いて、この事件と『黙示録』の符号は、インターネット上で大きな話題となった。しかし、東海地震の爪痕もまだ大きい時期にそういったことを話題にすることは、不謹慎だと自粛を求める動きも強く、『黙示録』、ひいてはノベロイド小説そのものに対する風当たりは、この時期から冷たいものへと変化していく。


 予言書騒動について著者自身を責めようにも、その著者が存在していない。著者と呼ばれる少女・書詠フミは、ソフトウェアに過ぎない。アイコンとしてどれだけ日本中、世界中に拡散されようが、いくら我々が彼女の書いた文章を読もうが、彼女に会い、責任を問うことは叶わない。どのような思いで書かれたかを知ることは、誰にも出来ない。

 彼女は、死者と同じだった。


 それでも、批難は対象を求める。


 その年の秋、『黙示録』は一斉に回収、削除された。

 しかし既にそのデータは世界中に拡散されており、削除とアップロードのイタチごっこが続いた。

 紙書籍版の『黙示録』は古書店で高騰した。半年前までは、過剰供給によってブックオフに積まれていたにも関わらず、だ。

 続いて、書詠フミのキャラクター版権を使って宣伝広告を行っていた企業が一斉に手を引き始めた。コンビニエンスストアに行けば、あらゆる商品のパッケージに使われていたおかっぱ眼鏡のセーラー服少女は、瞬く間に世間から姿を消した。

 ソフトウェア開発会社の株価は下がり、出版社はノベロイド小説の刊行を控えるようになった。「Narrowなろ Thievesしぶ」がハッキングされ、掲載されていた小説が二週間に亘り見られなくなる事件も起きた。復旧後も、約三割の小説が消えたままだった。

 彼女を、『黙示録』を書いた書詠フミを、死者と同じとみなすなら、それは正に死体蹴りだった。


 ノベロEや読者を中心に、こうした批難の高まりに対するカウンター活動も起こった。「ノベロイド小説自体に問題は無い」、「『黙示録』と現実の事件の符号はたまたまであり、過去の『ノストラダムスの大予言』や『ダ・ヴィンチ・コード』と同じ、こじつけに過ぎない」と彼らは喉を嗄らして主張した。

 しかし、『黙示録』と現実はあまりに符合し過ぎていた。

 こじつければそう読むこともできる、というレベルではなく、はっきりとあの日記の中で書かれている事件が、自然災害が、紛争が、日付と同じ時期に頻発した。またもや陰謀論好きの輩からは、「『黙示録』に沿って、世界を牛耳る人々が行動を起こしている」だの、「書詠フミ自体が、実験的な未来予知プロジェクトだった」だの、混乱を深めるだけの無責任な発言が乱発された。


 それでも、人間はすぐに飽きる生き物だ。

 死体を蹴り続け、やっとそれが死んだと認識すれば目もくれなくなる。ただでさえ、相手は元々人間ではないのだ。


 ノベロイドへの一連の批難行動は、『黙示録』回収騒動から三ヶ月ほど経った年明け頃には、収まりつつあった。その時点で、『黙示録』に書かれている内容があと一ヶ月分しかなく、その中には世間的なニュースが殆ど書かれていなかったことも大きいだろう。

 しかし、ノベロイド小説文化は、その間に徹底的に潰された。『黙示録』問題から起こったノベロイド批難に乗ずる形で、文壇や文化人による「やはり、小説は人の手で書かれるべき」という主張が、世間一般の総意としていつの間にか定着していた。

 多くの人は「そうだよね。やっぱり機械が書く物語って、なんかおかしいよね」、「子どもに読ませたくはない」、「予言みたいな奴も、今思えば誰かが創作したんじゃない? コンピューターにやっぱり日記は書けないでしょ」と、二年前に諸手を上げて『黙示録』を賛美したことも忘れ、「人間の書く小説」へと帰っていった。

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