【3】

 そこには制作者であるはずのE名の表記が無かった。ノベロ小説に必須と言われる画像アイコンも、簡単なあらすじやキャッチコピーも無かった。

 そこにあったのは、ただ簡潔に、タイトルと書詠フミの名前だけが記されたntsqファイルだった。

 アップロード者の痕跡は、電子の海の何処にも残されていなかった。

 足跡一つ、見つからなかった。



 『黙示録』(著・書詠かくよフミ)mokushiroku_by_fumi-kakuyo.ntsq



 最初にそのファイルを開いたのは誰だったのか。


 一人だったかもしれないし、二人だったかもしれない。十人以上が同時に開いたかもしれない。

 とにかく、最初の読者がそれを発見し、そして間を置かず、タチの悪いコンピューターウイルスのように、『黙示録』の感染は始まった。


 当然のことながら、初めはノベロクラスタ内でのブレイクスルーに過ぎなかった。『ふっみふみにしてやんよ。』や『トケル』、『千本草子』に続く名作誕生といった位置付けで、ノベロイド小説読みの間で、腕利きEの間で、中高生の間で、オタクたちの間で、話題になっている程度だった。

 過去の名作の例に漏れず、『黙示録』もほどなく書籍化された。通販サイトに、書店店頭に、コンビニエンスストアの書籍コーナーに、置かれ始めた。


 静かに、だが確実にパンデミックは進行していた。


 ここで、『黙示録』の内容について簡潔にまとめておく。


 主人公は、多くのノベロイド小説と同じく、十七歳の女子高生。これは、書詠フミのキャラクターを投影したものと思われる。

 舞台は現代日本。特別な事件は起こらない。異能力者も出て来なければ、モンスターも宇宙人も未来人も巨人も襲撃してこない。タイムスリップもしない。世界はループしないし、異世界ともつながらない。密室殺人も起こらない。叙述トリックも見受けられない。かと言って、同年代の男子との間にラブストーリーも展開されない。一応断っておくが百合展開もない。性的描写は皆無。ギャグも無い。

 ただただ、少女の退屈な日常が淡々と綴られるだけである。

 物語は一人称で、主語は「私」。

 日記形式。

 今日は何を食べた、学校で誰とどんな話をした、どんな本を読んだ、帰り道で何を見た、ネットニュースで何を知った……。そして、何を思った。

 そんな日常が、二月三日から、翌年の二月二日までの一年分、記録されているだけである。


 そう、それはただの少女の日記だった。


 しかしそれは、ノベロイド小説における革命だった。


 データ入力によって物語を自動生成するノベロイド小説において、最も難しいとされていたのがエッセイ形式である。

 文壇がノベロ小説を糾弾する際にも、「ノベロイドには、日常の息遣いや体験を通した物語を描くことは出来ない」という常套句が使われ、ノベロイドエッセイの不可能性は度々攻撃されていた。

 事実、「日常系」と言われるジャンルや、所謂純文学に近似したノベロイド作品は多かったが、それらがどこか作り物の日常を脱せていなかったことは、否定できないだろう。どれだけ日常を描いたとしても、それは「キャラクターの日常」にしかならず、「人間の日常」になることはなかった。

 実際、エッセイ形式のノベロイド小説にはヒット作どころか、面白い内容で成立している作品すら殆ど無く、ノベロイド販売後の十五年間も、そこだけは人間の領域、いや聖域と認識されていた。


 『黙示録』はそれを覆した作品だった。

 機械があたかも人間のように、日常の記録を書く。

 ただそれだけのことが、新たなシンギュラリティだったのだ。

 しかも困ったことに、その日記はとても面白かった。他人の日記を盗み見るという行為に、人類が読み書きを覚えてから綿々と継承されてきた背徳的快感が伴うことは言うまでもないが、それを別にしても、その日記は非常に面白かった。

 特別な事件が起こるわけではない。しかし、ちょっとした友人との会話や、家族との諍いの中で、時に喜び、笑い、怒り、泣き、自分に出来ることについて、また自分の将来について、漠然と思いを巡らす少女の姿は、万人の共感を呼んだ。

 そして、誰もがそこに書詠フミの姿と、自分自身の姿を投影した。


 『黙示録』の拡散が進むにつれて、インターネット上では、「『黙示録』は書詠フミ自身が意志を持って書いた物語ではないか」という、都市伝説のような話まで囁かれ始めた。

 もちろんそれまでにも、E名の無いノベロ小説は無数にアップロードされていた。書詠フミ自身が書いたように見せかける手法は、それ自身が「なりきり」という一ジャンルとして成立するほどに繰り返されてきた。だが、そのいずれも、ログを辿れば結局は制作者に行き当たり、書詠フミだけではなく、必ず人間の手がそこには介在していることが明らかにされてきた。しかし、『黙示録』だけはいくらログを辿っても、制作者を見つけることは出来なかった。雨後の筍のように制作者を名乗る者は無数に現れたが、誰も本当に自分が『黙示録』のEだと証明する術を持ってはいなかった。

 『黙示録』を再現できないか、多くのEがパラメーターをいじり、挑戦したが、悉く失敗した。また、『黙示録』自体をデータベース化し、再度書詠フミに読み込ませ、解析、さらには続編の執筆が可能かどうかの試みも行われたが、すべて結果は「エラー」だった。

 遂には、『黙示録』は企業レベル、国家レベルで作られた、ノベロイド小説プロジェクトではないかというところまで、風呂敷は広がった。


 そうした都市伝説も拍車をかけ、『黙示録』の感染はさらに拡大していった。長期に亘り書籍売上ランキングのトップに座り続け、これまでノベロ小説を忌避していた読者をも取り込んだ。文芸批評家も賛否両論はあれ、こぞってこの物語を取り上げた。翻訳された『黙示録』は、世界五十ヶ国以上で出版された。


 翻訳の話が出たため、横道に逸れるが、ここで日本語以外のノベロイドについて付記しておこう。


 日本語版以外のノベロイドは、開発の試みはあったものの、全て頓挫している。

 英語、スペイン語、中国語、ロシア語、アラビア語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、その他諸々……。各国企業が書詠フミを作った日本のソフトウェア会社に協力を仰ぎ、或いは独自の技術で、自国語版のノベロイド開発に着手したが、十五年間どれだけ改良を重ねても、日本語版以外の物語自動生成ソフトを作ることは叶わなかった。ソフトウェア会社が何か重大な技術を隠しているのでは、との疑いもかけられたが、結局のところは、日本語という言語の特殊性が原因とみられている。

 そのため、ノベロイド小説は日本独自の文化として定着しており、海外のノベロファンは、翻訳版を読むか、日本語を習得して原書を読むか、というスタイルになっている。「書詠フミの小説を読みたくて日本語を覚えた」と語る外国人留学生は年々増加している。


 話を戻そう。


 『黙示録』は海外のファンからも熱狂を持って受け入れられた。元々海外のノベロファンは「信者」と呼べるほど熱狂的な読者が多かったが、彼らだけではなく、これまでノベロイド小説を「ジャパニメーションの亜種的な、日本のポップカルチャーの一部」としか認識していなかった海外の一般読者層にまで、『黙示録』は浸透した。いや、感染した。


 『黙示録』を巡る狂騒、そしてそれにまつわる都市伝説の尾ひれ。


 ノベロイド・書詠フミによって広げられた大風呂敷は、地球までも包んでしまったのだ。

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