増殖するタネ
増田タネは僕の所属している訪問介護事務所の利用者の名前だ。
昭和三年生まれの九十二才。
女性。
要介護5。
いわゆる寝たきり老人というやつである。
増田タネは寝たきりなのに古い木造平屋に一人で暮らしている。
曜日によって往診を受けたり訪問入浴が来たりと色々な介護サービスを受けているらしく冷蔵庫に貼られた計画表に細かな文字が並んでいるが詳しいことはよく知らない。僕はただの登録ヘルパーで週に二度ほど決められた時間に増田タネの家に訪問してオムツを交換するだけだ。
その日も僕は時間通りに増田タネ宅に到着した。
郵便受けの中にあるゴーフルの缶から鍵を取りだし玄関を解錠する。
ドアを開け、室内に入る。
増田タネはどういうわけか二人いた。
狭い介護ベッドに二人の増田タネが横になっていた。
増田タネは小柄で痩せ型なのでさほど窮屈そうにみえなかった。
僕は少し驚いたあと、トイレに積まれていたオムツのパッケージから二つ取り出して両方の増田タネのオムツを交換した。
いつもベッド脇に置いてある蓋付きのコップを軽くゆすいでお茶を入れてストローをさして元の位置に戻す。コップはひとつしかないので喧嘩しないようにいつもより多めにいれておくことにする。
作業完了。僕はいつもの倍の仕事量なのにこれで時給が一緒だなんてちょっと割に合わないなあと思いながら報告書を書いた。
『増田タネが二人になっていたので二人とものオムツを交換しました。どちらも排尿のみで中量程度でした』
玄関を施錠し、元のゴーフルの缶の中に鍵を戻して僕は増田タネ宅を後にした。
次の訪問の時には増田タネは四人になっていた。
三人まではベッドの上で寝ていて流石に窮屈そうである。もう一人は毛布にくるまった状態で床に転がっていた。
僕は少し驚いたあと、四人のオムツを交換した。ベッドに三人もいると側臥位にできないのでオムツを換えるのにひどく苦労した。
やっぱりコップはひとつなので蓋が閉まるぎりぎりにまでお茶を注いでおく。
作業完了。僕は四人に増えて作業が大変だという苦情とともに報告書を作成し、いつも通り玄関を施錠して帰路についた。
次の次の訪問の時には八人になっていた。
ベッドに三人。床に三人。キッチンの床に一人。トイレの床に一人。
オムツを交換しようにも足場が確保できず。二人ほど玄関先でひなたぼっこをしてもらうことにする。増田タネの背面から脇の下に腕を通して抱え上げ、玄関に運ぶ。増田タネが小柄で痩せ型で助かったなあと思いながら僕は八人の増田タネを順繰りにひなたぼっこさせながらオムツ交換を八回行った。そしてコップひとつじゃ流石に可哀想だと思った僕は蓋付きのコップを三つ購入して持ってきていたのだが、八人だと二人でひとつなのでやっぱり可哀想だなあと思いながら僕は合計四つになったコップそれぞれにお茶を入れてストローを刺した。
作業完了。所定の時間を四十分ほど過ぎていた。超過分の時給を事務所は支払ってくれるのだろうかと考えながら僕は増田タネ宅を退出した。
そして増田タネは十六人になった。
訪問するとすでに玄関が空いていて、六人ほどの増田タネが折り重なるようにして玄関からはみ出していた。
「あーやっと来てくれた。手伝っておくれ」
そう言って僕の肩を叩いたのは増田タネだった。
十六人のうち、一人だけ歩ける増田タネが出現していた。
便宜上、歩行種、と名付けることにする。
この歩行種の増田タネは残り十五人の面倒を一人で見ていたらしい。
僕の知る限り増田タネは寝たきりで言葉もほとんど発することができなかったので、僕はこの時初めて増田タネの声を聞いたことになる。
その勢いに押されるように僕は十五人の増田タネのオムツ交換を行った。歩行種の増田タネが手伝ってくれるので比較的スムーズに交換することができた。歩行種の増田タネは物覚えが良く、僕がオムツ交換の手順を教えるとあっというまにマスターしてくれた。おかげで八人をひとりで換えたときよりも時間は掛からなかった。
「ありがとうね。また来ておくれね」
歩行種の増田タネは僕の手をぎゅっとにぎってにっこりと笑った。
三十二人になった増田タネのうち、四人が家を改築している。
この四人の増田タネは、他の増田タネより三十センチほど背が高く筋肉質である。便宜上、労働種、と名付けることにする。
平屋だった家は三階建てになり、二十七人の寝たきりの増田タネが住んでもなんとかやっていけるようだった。ただひとりの歩行種の増田タネがこいつら全員に飯を食わすのが大変なのだとぼやいていた。
百二十八人になった増田タネのうちの八十九人が働きに出掛けていく。ご飯係も十人にまで増えている。
働いて稼いだお金で近くの空き家を買い取っては改装を繰り返し、この町内は増田タネしかすんでいない。
町内会長はもちろん増田タネである。
町内会長を務める増田タネは背筋もちゃんと真っ直ぐで、勉強ができる上に弁が立つ。便宜上、カリスマ種、と名付けることにする。
五十二万四千二百八十八人になった増田タネは日本という国にとって無視できない存在になっていた。紆余曲折の末に日本国籍を獲得するようになると、増殖の勢いそのままに地域への影響力についても拍車がかかりはじめる。結果的に投票権を得た増田タネはその膨大な票数を自身のカリスマ種に注力することになる。増田タネは市長になり、また別の増田タネが県知事になった。この頃には市民の大半も増田タネになっていた。コンビニ定員も駅員も教師も生徒もタクシー運転手もほとんどが増田タネである。短期間で圧倒的に増えた労働力と購買力は地域経済を好転させ、街は活気にあふれていた。
若返り種とアイドル種について話しておくことにする。
若返り種は文字通り若い増田タネのことである。若い増田タネは八十代から0歳児まで幅広く増殖し、人口ピラミッドの形を書き換えていった。
また、アイドル種は稀少ながら、超絶美人の増田タネが存在したことを意味している。アイドル種はテレビや舞台で活躍し、沢山のファンを獲得してゆく。アイドル種と一括りに言うものの、かわいい系やぶりっこ系、さばさば系など細分化が成されていることもあり、グループを組んでのアイドル活動も可能だった。色々なタイプのアイドル種の増田タネが四十八人集まったアイドルグループは絶大な人気を博した。
もう増えすぎて数え切れなくなった増田タネは、残り少なくなった人類をサポートしながらいまでもどんどんと増殖を繰り返している。
僕はその第一発見者としてメディアに取り上げられたこともあったが、それももう昔の話だ。
僕はベッドの上で増田タネの活躍するテレビをみながら一日を過ごしている。
インターホンが鳴り、玄関の開く音がする。
「こんにちわー」
増田タネの声だ。
増田タネは僕の家に上がり込み、動けなくなった僕のオムツを交換してくれる。僕があの時教えた手順そのままに。てきぱきと。
そしてベッドの脇に置かれたコップにお茶を注ぐと報告書を書いて帰って行った。
僕はテレビを見た。
増田タネの投げた球を増田タネが打ち、実況の増田タネが大きな声を上げる。
白球が青い空に吸い込まれるように飛んでいくのを見ながら僕はゆっくりと目を閉じた。
ショートショート集『トラッシュバッグ』 齊藤 紅人 @redholic
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます