男子の誕生
母の日にカーネーションを宅急便で送ります。夫の母は既に亡く、実家の母です。
「毎年ありがとう。やっぱり持つべきは女の子やな~」と喜んでくれます。
また次の様にも。
「近所の人は男の子やから『嫁さんが付いたらあかん!』て言うてはる」
私の母は昭和一桁生まれ。田舎から出てきた両親は、2人だけの生活を始めます。
夫の母は大正生まれ。姑と一緒の生活が始まります。昔の家制度の元、男女多数の子供を産みました。
夫の母は、家業を継いだ息子と一緒に暮らします。
その後子供達が結婚し、それぞれ子供が産まれます。
30年前当時は、外孫(娘の子)に4人の男の子が、内孫(息子の子)には、3人の女の子がいました。
姑は内孫に男子が居ない事を心配していた様です。
嫁の私が2人目の女の子を産んだ直後、誰も居ない所で「3人目を産む気持ちある?」と私に尋ねます。
「まだ2人目を産んだばかりですので…」
と言葉を濁しましたが、姑は直系の男子を残す事にこだわっているのを感じました。
「昔の人だから…」と聞き流していたつもりでしたが聞いた言葉は忘れられません。
男子を産んだからと言っても、夫は3番目の息子で継承する財産が有る訳も無く、何の得も無いのに、人の良い⁉私は3人目に男子を産みます。
姑は、やはり2人だけが居るタイミングで
「あの人(舅)が生きていたらどんなにか喜んだのになぁ。良かった、良かった」と嬉しそうに夫の遺影を眺めています。
「これで安心して夫の元に逝ける」という安堵感があったでしょうか。…私の勝手な想像です。
同居している息子や娘には一切口にしません。彼等が聴けば当然気分を害するに決まっています。
私が3人目を産んだ時、夫は仕事で居ませんでしたから、私の母が夫に知らせました。
「あの子やりました!男の子産みましたよ!」と言ったそうです。
それを夫から聞いて驚きました。
やはり男の子を産む事へのこだわりを持っていたんだ、と気付かされます。
母は夫婦二人だけの生活で、誰に気兼ねする事は無かったはずですが、私が知らない時代を生きた親世代は、心に背負う物があったのでしょう。
【参考】Webサイトより
大日本帝国の家族制度の下では
一家に「長」が置かれ、家の跡継ぎである男子が誕生するまで複数の子供を出産した。
何事も個人より「家」を重視。
財産は分散を防ぐため、全て長男が単独相続し、代わりに親を扶養する義務を負う。
大日本帝国の国名は、第二次世界大戦で敗戦後、1946年頃まで公式に使用された。
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