親の因果が子に報う

ある年の2月、高齢の母が転んで、腕を骨折しました。

その後順調に快復し、完全復活。一人住まいを謳歌しています。


そして半月後、今度は私がつまづいて、大腿骨にひびが入りました。当然、入院手術となり、しばらくリハビリに通います。


また数年前、母が顔を擦りむいて、鼻の傷跡がしばらく残っていましたが、その一ヶ月後に、私も鼻に傷を負う怪我をし、前歯も折ってしまいました。


どうして母の後を追う様に同じ事が起こるのでしょう。それも悪い事だけ。そして必ず私の方が大きなケガになります。


「親の因果が子に報う」という言葉が頭をよぎります。もしかしたら、母の両親(私の祖父母)からの因縁があるのかも…。第三者からすれば、非科学的な、と嘲笑されるでしょうか。

気になると止められません。母に生きていた頃の祖父母について聞いてみました。


さも自慢げに語ります。

「お婆ちゃんは産婆さんで島に出産があると出掛けていた」


明治、大正時代の出産について、生まれた子供に障害があると口と鼻を押さえて、若い母親には「死産だった」と諦めさせた。という話は聞いた事があります。当時は表沙汰には出来ない「暗黙の了解」があったでしょうか。


祖母もその一人だったかもしれません。

健康な赤ちゃんを沢山取り上げるおめでたい仕事ですから、地域の人々から喜ばれていたに違いありません。

本人は人の為になる仕事をして、むしろ誇りに思って活躍していたでしょう。


そんな彼女にも、何の因果か、知的障がいの孫がいました。彼女の長男(母の兄)に三人の子供がいて、そのうちの一人に成長の途中、知的障がいが分かります。

家から一切外に出さず隠し通します。私も一度も会ったことがありません。


そのうち彼はいなくなっていました。

「どこに行ったの?」と母に尋ねても「さぁ、どうしたのかな」と濁します。

隠し事があると確信しますが、その時は私も小学生、それ以上何も考えられません。

一体、彼の両親・祖父母・叔父叔母は、彼をどうしたというのでしょう。当時は養護施設はありません。今にして悪い想像をしてしまいます。祖父母も両親も、とうに亡くなっていますし、瀬戸内の小さな島で生活する叔父叔母に連絡する事など無くなります。

真相は闇の中。高齢の母も墓場まで持っていく事でしょう。


知的障がいのあの子は、表立っては生死も明らかにされず秘密裏に闇に葬られ、さぞ辛かっただろう、淋しかっただろうと思うのです。

この様に頻繁に思い出すのは、彼が私をして罪を償わせているのかもしれません。

その上、若い母親や赤ちゃんを悲しませてきた大罪で、孫の私がこんな形で報いを受けるのでしょうか。


ここで後ろ暗い過去を明るみにして彼の供養になれば良いと願います。

もし彼がどこかで生活しているなら、生を全うし生まれ変わって幸せになってほしい。


夫に出会ってから、夫の人生の運の良さを知ると、自分の人生を振り返り、大きな隔たりを感じるのです。


人知の及ばぬ所に存在する何かをあなどってはいけない。私の生き方が、子供の人生に後々何らかの形で影響するかもしれません。

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