子供を社会に送り出す親心
子供は三人います。
小学生・中学生になると家に遊びに来る友人達の学習成績の噂が耳に入ってきます。
うちの子供以外、成績優秀者ばかり。当の子供同士は、忌憚無く楽しそうに遊びます。親の私だけが比較して、落胆のため息が出ます。
学習塾やピアノ・英語塾等、子供の為に良かれと通わせました。これら習い事はことごとく頓挫。
早々にうちの三バカトリオは落ちこぼれ組と観念し、それまで少なからず抱いていた、子供への望みも一つ一つ諦めながら子育てしていました。
ですので、通知票の成績が悪いからといって、とがめる事もなく、ため息だけが出るばかり。
ただ子供らの心に暗いものを抱えていないかと表情をいつも観察しながら、能天気に楽しそうに登校する彼らの姿に安心します。
それがせめてもの慰めでした。
時には、ずる休みと分かる日もありましたが問いただす事もありません。
子育て真っ只中の私は「この子らに明るい将来はあるのか?」と、生真面目に考え、暗い気持ちの毎日でした。
そんな私をよそに、子供は子供で私達夫婦の日常生活を観察していました
当時の私達の会話から夫婦仲や経済状態を興味津々に聞いていたのです
「父と母は仲良しだけど経済的に苦しそうだ」
結婚した娘の口から、そんな昔の話がポツリ ポツリと出てきて驚きます
それが彼らにどう影響したのかは、分かりません。
娘は、仕事をしながら意欲的に結婚相手を見つけてきます。
末っ子の息子は、社会人になって独り暮らしを始めます。
自分の人生は自分で決定し、生活を確立していきます。
こうして子供全員が独立しますと、初めて「子供を社会人に育て上げた。社会の働き手となり、日本の一隅を担う人材を送り出せた」という充足感が、じわじわ胸に湧いてきます。
いえいえ、子供自身の力で育っていきました!
むしろ「自慢の子供」なんて、一度も思った事が無い親なのに、よくぞ真っ直ぐ育ってくれた!と感謝したいくらいです。
あれほどコンプレックスで落ち込んでいた私でしたのに、げんきんなものだと自分に苦笑いです。
この満足感を得るのに三十年がかりです!
人生は修行です。
惜しむらくは蛙の子は蛙で、頭脳明晰、 優秀な人間を望むべくもないのですが。
しかし夫婦仲が良好の両親を持つと、子供は結婚や子供を産む事にも憧れを持ってくれます。
子供には、社会の底辺を、微力ながらも力強く支えて欲しいと願います。
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