第9話 結


 断末魔を彷彿とさせる不気味な鳥の声が辺りに響く。茨で覆われた高い城壁を見上げながら、勇者は大きく深呼吸をした。

 ここは魔王の城――。勇者はついに魔王の城へと辿り着いたのだ。

 意を決し、眼前の鉄製の巨大な城門を力を込めて押し開ける。錆びたような耳障りな音を発しながら、城門はゆっくりと勇者のために行く手を開く。


「――――っ!」


 開かれた門の先に佇んでいた影に、勇者は思わず息を呑む。

 それは黒い羽と複雑な角が生えた、巨大なミノタウロス。そう、魔王の右腕であり、下着は褌派の大臣である。

 頭や手など目に見える部分は濃い茶色だったが、左手だけ色が若干薄かった。それを見た勇者は、きっと左手から何か強力な攻撃を繰り出してくるに違いない――と判断した。本当は魔王のペットに食べられてしまい、魔王に再生してもらっただけなのだが。

 姿のみならず、気配から彼が強敵であると判断した勇者の額から、一筋の汗が床に零れ落ちた。


(城の入り口にいきなり強敵を配備するなんて、やるわね魔王)


 勇者は奥歯を強く噛みながら、腰に携えた剣に手をかける。

 と突然、ミノタウロスが懐から何かを取り出した。

 それは――小さな紙とペンだった。ミノタウロスはその紙とペンをおもむろに勇者へと突き出す。


「――――え?」

「魔王様のお城へ入るには、こちらへお名前をご記帳して頂かねばなりません」

「そ、そうなの? 変なシステムね……」


 無視して進んでも良かったが、あの魔王のことだ、何かしら企んでいるに違いない。ここは大人しく従っていた方が得策――。

 そう判断した勇者はミノタウロスからペンを受け取り、紙にサラサラと名前を書いた。


「ありがとうございます」


 ミノタウロスは勇者に一礼した後、背中の羽で空へと舞い上がり、その場を去って行ってしまった。


「な、何だったんだろ……」


 しばし呆然とミノタウロスの姿を眺めていた勇者だったが、ふと我に返り、首をぶんぶんと横に振った。まだ着いたばかりなのだ。油断はできない。

 ミノタウロスが去り、がら空きになった中庭を突っ切って、勇者は城の中へと続く扉の前に立つ。

 ――本番はここからだ。

 緩みかけた気持ちを引き締め直し、勇者は扉を押し開ける。

 扉の先で待ち構えていたのは、頭が三つに割れた巨大な犬――。魔王のペットの地獄の番犬、ケルベロスのケンちゃんだった。

 ケンちゃんの三つに分かれた頭が勇者の姿を捉えた瞬間、一斉に口を大きく開けた。直後、城内に響き渡るのは、低く雄々しい、そして激しい咆哮。その咆哮で空気が揺れ、振動が勇者の身体をも震わせた。

 刹那――。

 パン! パパパン! パン!

 一斉に上から鳴り響く乾いた破裂音。そして様々な色紙の切れ端が、ひらひらと勇者の頭や肩に舞い落ちる。


「――!?」


 勇者が顔を上げると、そこには様々な魔獣達がズラリと欄干越しに並んで勇者を見つめていた。その手にクラッカーを握り締めて。そして彼らは一斉に、『ようこそ! 魔王城へ!』と書かれた大きな弾幕を張った。


「…………何これ」


 勇者はただ目を点にすることしかできなかった。どう見ても歓迎されている。


「勇者ちゃん! 待ってたよ!」


 奥から聞こえてきたカルイ声に、勇者の肩がピクリと震える。聞き間違えるはずがないその声に、勇者は反射的に身構えていた。

 勇者の前に姿を現した魔王は村で会った時のような服装ではなく、漆黒の衣装とマントに身を包んでおり、大きな金の錫杖しゃくじょうを背負っていた。だが、髪型だけは村で会った時と同じであった。


「デコ出し状態で出迎えてくれるんじゃなかったの?」

「いや、勇者ちゃんには俺の全てを見られちゃったわけだし、今さらいいかなーって」

「そんな誤解されるような言い方をしないでよ!」


 何も見てない! と抗議する勇者の目の前へ、魔王は一瞬で移動した。


(早っ――!?)


 魔王の身体能力の高さに驚愕する勇者の手を、彼は少し頬を赤く染めながら強く握りしめる。


「あんたがくれたラブレターに、俺ってば決定的に心掴まれちゃった」

「はぁ? ラブレターなんて、あたしはそんな物――」

「これ」


 そう言いつつ魔王が懐から大事そうに取り出したのは、勇者が書いたあの置き手紙だった。


「そ、それはただの置き手紙でしょうが!」

「俺にとってはラブレターも同然だよ。俺、これで本気で勇者ちゃんに惚れた。だから結婚しよ?」

「んなっ!? け、け、けっこんんん!?」

「この小さい字とかもう最高。書く時すっげー恥ずかしかったんだろうなーってのがよくわかってさ! あぁ、本当に可愛いなー勇者ちゃん!」

「ぎにゃーーーーッ!」


 勇者は頭を抱え、変な声で絶叫した。確かに字が小さくなってしまったのは、敵に対して礼の言葉を堂々と書くのが恥ずかしかったからだ。図星であるだけに反論ができない。

 何ということであろうか。礼も言わずに立ち去るのも少しだけ悪い気がしたから、あの置き手紙を書いただけだったのに。軽い気持ちで書いた物が、こんな結果を引き寄せてしまうだなんて。


「あ、あんたは魔王でしょ!? そ、そんな……」

「俺、魔王だけど、同時に一人以上の対象は愛せない性格だから。ハーレムなんて作らないし、浮気もしないから安心していいよ」

「そういうことを言っているんじゃないいぃぃッ!」

「あぁ、もしかして人間側を裏切ることになるって心配してる? それも問題ないよ。俺、世界に向けて、ついさっき平和宣言出してきたとこだから」

「はあぁ!? 平和宣言!?」

「うん。俺はこれから勇者ちゃんと幸せな家庭を築くから、もう人間にはちょっかい出さないよって声明を各国に出してきた」

「か、か、か、課程!?  過程!? あぁ、仮定の話ね!」

「落ち着いて勇者ちゃん。字が違う」

「落ち着いていられるかああぁぁッッ!」


 ちゃぶ台があったら問答無用でひっくり返していただろう勇者の剣幕に、成り行きを見守っていた魔獣達の間に緊張が走る。だが魔王は勇者のその態度にも全く動じることなく、にこやかな笑顔を彼女に向けるばかりだ。


「勇者ちゃん、ジュリエットって名前なんだね。名前まで可愛いとか、もう俺の心マジでヤバすぎなんだけど」


 ひくり、と勇者の口元が引きった。

 これまで「勇者なのにやけに可愛らしい名前なんだね」と遠回しに馬鹿にされてきた彼女は、あまり自分の名前が好きではなかったのだ。その名前をなぜ魔王が知っているのか――。


「これからは勇者ちゃんのこと、ジュリちゃんって呼ぶことにするね」

「ちゃん言うな! ってか、な、何であたしの名前を――」

「あ、さっき城に入る時に名前を書いてもらったじゃん」


 魔王はさらに懐から一枚の紙切れを取り出した。それは、勇者が大臣に言われて名前を書いたあの紙だったのだが――先ほどよりその紙が一回り大きくなっていた。

 いや、よく見ると紙には幾つもの折り目が付いている。つまり大臣は、小さく折り畳んだ状態で勇者に紙を差し出してきたのだ。そしてなぜそんなことをしたのか、という疑問は、勇者の隣に書いてある別の名前を目にした瞬間、わかってしまった。


「あ……。まさか……それって……」

「うん、婚姻届」

「ぎゃああああああああああ!?」


 涙目で絶叫しながら婚姻届を魔王から奪おうと飛びかかる勇者だったが、猛牛をかわす闘牛士の如く、魔王はヒラリと軽やかに避ける。そしていつの間にやら魔王の頭上で待機していた大臣に、その婚姻届を放り投げた。


「大臣、パス! あとの手続きはよろしく!」

「了解致しましたっ」

「あぁっ!?  待って!」


 背中の黒い羽をバッサバッサと大きく羽ばたかせ、大臣は婚姻届を手にしたままテラスに出ると、そのまま空へと溶け込んで行った。


「俺の名前、ギュスターヴっていうの。これからは夫婦仲良く暮らそうな、ジュリちゃん!」

「…………」


 満面の笑みを向けてくる魔王に、しかし勇者は鋭い眼光で睨み返す。

 あの大臣を追い、婚姻届を奪ってその場で破ってやる! そう決意した勇者は踵を返し入り口へと戻ろうとしたのだが、魔王のペットのケンちゃんがその行く手に立ち塞がった。外には出させないと言わんばかりに、三つの頭の赤い目が不気味に光る。思わずたじろぐ勇者の肩に、ポンッと魔王が手を置いた。


「あ、そうそう。世界中の国の王に、『俺達結婚しました』っていう封書と結婚式の招待状、既に送ってっから。引き出物はセレクトカタログ送っときゃいいよね? 最近流行ってるみたいだし」

「なっ!? なななななななな!?」


 見た目も言動もいい加減なくせに、何でそういうところはちゃんとしてるのよ!? とツッコミたかった勇者だったが、そもそもそういう問題ではなかった。何を言っても既に手遅れなのだという事実が、徐々に勇者の心を絶望で染めていく。


「ジュリちゃん、新婚旅行はどこに行く?」

「あ……う……」

「いや、その前にまず初夜だね。大丈夫だよ、俺がしっかりリードするから安心してね」

「うわああああああああぁぁぁぁん!」


 外堀を埋め尽くされたどころか、その上に新たに頑丈な塀を建てられ閉じ込められてしまったこの状況。勇者は魔王に強く抱き締められながら、ただ泣き叫ぶことしかできないのであった。




 勇者と魔王が結婚をした、という電撃ニュースは、各国の王を通じで瞬く間に世界中に広がった。

 その身を呈して世界を平和に導いた(ことにされた)勇者は、魔王をも手懐けた伝説の聖女として、長く人々の間で語り継がれることとなる。




 逃げ場を完全に絶たれた勇者は、仕方なく、渋々と、泣きながら魔王との生活を開始。しかし、常に全力の愛情と優しさを向けてくる魔王に徐々に心を許すようになり、彼のセクハラに時折激しくツッコミつつも、何だかんだで二人仲良く暮らしたそうな。

 そしてあの山奥の村は勇者と魔王が出会った運命的な場所として有名になり、今度は縁結びのご利益を求める観光客で、より一層栄えることとなるのであった。



   おわり

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勇者と魔王が相部屋になりました 福山陽士 @piyorin92

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