START(BL)

anringo

それは予期せぬタイミングでありまして。

この距離で、新藤の顔を見たのは初めてかも。

この距離で、新藤の目を見たのも初めてかも。

この距離で、新藤の睫毛を見たのも初めてかも。

意外と長い、というより太い。


この距離で、新藤の鼻を見たのも初めてかも。

この距離で、新藤の唇を見たもの初めてかも。

意外と柔らかそうで、うん。


この距離で、新藤の濡れた唇を見たのも、初めてかも。

俺は、予期せぬ秘密を、持ってしまった。


「はいはい。じゃあ、また友達に戻るってことで。はい、じゃあね。」


新藤と俺が知り合ったのは高校2年の時。

同じクラスになって、たまたま放課後に彼女であろう女子と別れ話のような会話をしている時に、

偶然教室に入ってしまった。

その時初めて、俺は新藤と会話をした。


「川原だっけ?」

「え?あ、うん。」


俺は自分の席に座って忘れていた教科書を探し始めた。

窓際にいた新藤が俺の前の席にゆっくりと座りながら、俺の行動を見ていた。

いや、見ている気がした。何となく新藤の視線を感じたからだ。


「何かごめんね。」

「何が?」

「いや、何か入ってきにくい感じだったでしょ?泣いてたし。」


彼女、いや、元カノになってしまったその子は、隣のクラスの確かテニス部で県大会に行った子だったような。


「モテるやつって大変だな。」

「全然。千華は、あ、あの子千華っていうんだけど、あいつ幼馴染なんだよ。それでね。」


“それでね。”


これはもう、何も聞くなという暗黙のサインなのだろうか。


「俺彼女とかいないからわかんないな。」

「川原モテてるじゃん。前に女子が話してたよ。サッカー部で唯一チャラチャラしてないのは川原君だって。」

「別にサッカー部はチャラチャラしてないんだけどな。」


それに明らかに他のやつの方がモテる比率が半端じゃない。

バレンタインデーなんて正直練習どころじゃない。隙あれば、チョコ渡しの呼び出しの列が作られるほどだ。

そこまで成績も良くないのに、何故かもてはやされているのがうちのサッカー部。

それはきっと、サッカー部のほとんどが頭が良く、容姿、性格、その他もろもろのスペックの高いやつらが集まっているからだ。

部活は明らかに勉強でのストレスを発散させるための道具と化している。

ちなみに俺は、普通にサッカーが好きで、成績も数学だけ得意なDFです。そこまで顔もかっこ良くない。

でも睫毛は長いと言われることはある。


「川原、あ、川原って呼んでいい?ごめんな、いつもこっちでは呼び捨てで呼んでるんだ。」


こっち、とは?


「あ、別にいいよ、何でも。」

「俺も呼び捨てでいいよ。新藤でいいよ。」

「うん、じゃあそうする。」


放課後の教室に、夕日の光がそっと差し込む。オレンジ色が二人の髪の毛を茶色に染める。


「眩しいな。」

「そうだな。」


少しだけ、新藤がこっちを見る。

俺も、新藤を見る。


「何。」

「いや、何でも。」

「言えよ。」

「いいって。ただ目が合っただけだから。」


新藤が少し体勢を変えて、こちらを凝視する。

凝視というのは大げさかな。きっとこいつは、ただ俺を見てるだけ。視界に俺が入っているだけ。


「やっぱかっこいいよな、川原。」

「は?」

「いやあ、夕日に照らされて?とかじゃないと思うけど、やっぱかっこいい。」

「普通だろ。」

「髪の毛染めねえの?そういえば、サッカー部のやつらって結構黒髪多いよな。」


勉強を捗らせるためだけの運動みたいなものだからね、部活は。


「みんな時間ないんじゃない、染める時間が。」

「染める時間はあるでしょ。そんな時間かかる染め方なんてないし。」

「そうなの?」

「俺これ自分で染めたし。1時間もあればいけんじゃね?」


そう言って、新藤は器用にワックスで整えられた髪の毛を頭ごとこちらに傾けた。

少しぐりぐりと動いてるのはきっと、「どう?案外上手く染まってるだろ?」という無言のアピールなのか。


「いい色だな。」

「いいでしょ。気に入ってんの。こういう色好きなんだ。」


新藤は、こういう色が好きなのか。


「染めるのって痛まない?」

「結構大丈夫だよ。俺の母さん、美容師だし。」

「へえ。」

「川原のとこって家厳しい?」

「え?まあ、普通に。」

「俺のとこはさ、もう美容院って知ってるし、まあ、先生とかも諦めてる?みたいな?あんまり髪の毛のことは言われないかもだけど、川原頭良さそうだし、髪黒いし、サッカー部だし。」

「サッカー部、関係ある?」

「サッカー部って、頭いいやつしか入れないんだろ?噂で聞いた。」


それは、部長が秘かに流した噂だ。新藤の耳にも届いてるのか。


「別に俺そこまで賢くないし。」

「そうかなあ。」


新藤が俺の顔を覗き込むように目線を投げかける。

新藤のワックスの匂い、少し甘くて、少し酸っぱくて、これはきっとレモンか何かだ。


「じゃあ、俺帰る。」


俺は思わず席から立ち上がったので、体が右にふらついてしまった。

力の入っていない俺の左腕を新藤の右腕が素早く掴んだ。


「大丈夫?」

「あ、うん。ごめん、助かった。」

「いえいえいえ。」


少し会釈をして、少し笑った新藤の顔の右頬にえくぼができることを、俺はこの時に知った。


「これから部活?」

「今日は少しだけかな。テスト前だし。」

「さすがですね。サッカー部様は。」

「違うから、そういうのはまじで。」


「そうですか。」という表情をした後に、新藤は目線を窓に向けた。

いつの間にか、夕日が暗闇を連れてくる時間となっていた。

俺はその光景を見ながら、少しだけ、ここを離れたくない衝動を感じつつも、廊下へと近づいて行った。


「川原!」


突然呼ばれて、俺はまたふらつきそうになって、今度は教室のドアに手を少しだけ預けた。


「何。」

「待ってていい?」

「あ、別にいいけど。」

「ここで待ってるわ。」

「じゃあ、終わったら連絡する。」

「連絡先知ってるの?」

「知らないけど。」

「エスパーかと。」

「言ってろよ。」


この時初めて、俺は新藤の連絡先を知った。

これが俺と新藤の、何かが起きる前の、始まりの瞬間だった。


俺は急いで帰った。

終電はない。コンビニもない通りだ。


とりあえず、歩いた。

とりあえず、ひたすら、歩いた。


俺は、


新藤に、


俺は、


してしまったのか、あれを。


新藤、起きてなかったよな。


新藤、


夢の中で、誰か可愛い女の子にでも、


キスされてる夢を、


お願いだから見ててくれ。


頼む。


俺は歩いた。

とりあえず、ひたすら、歩いた。


俺は、とんでもない相手に恋をしてしまったのかもしれない。

そう思った。


何かが始まってしまった、そんな真夏の夜だった。

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