それは絶妙なタイミングでありまして。

「おはよう。」


その言葉の一言で、今まで俺の胸と脳裏を占領していたもやもやが一瞬にして消え去った気がした。


「お、おはよう。」


新藤だった。

昨日、俺が唇を濡らした相手、新藤が俺に朝の挨拶をして来た。


「暑いな。」

「そうだな。」

「昨日寝苦しくなかった?」

「え?あ、そうだな。」


俺は目線を新藤に向けられない。俺は昨日、その少し薄めのこの唇に…


「川原?聞いてる?」

「あ?あ、うん、ごめん。ちょっと気になって…あ。」


やばい。気になってって言ってしまった。これは何かしら聞かれるフラグが立ったかもしれない。


新藤と初めて話をしてから三週間が経った。

3週間という時間は、高校生の俺達にとっては半年の月日のように感じ、一分一秒がとても濃厚なものに思えた。

それに、あるきっかけで急に俺と新藤は話す機会が増えたのだ。

それをきっかけとして、俺は昨日新藤の家で勉強を教えることになったのだ。

何でもない、普通の高校生が、最近仲良くなった男友達と、勉強会という名の遊びをするだけだ。

何も珍しいことではないのだ、何も。


「そうなんだ。何か体調悪いのかなと思って。」


良かった。体調のことを気にしてると思ってくれたのか。優しいやつだ。


「体調?何で。」

「川原昨日帰ったでしょ?いつの間にかいなかったし。あれ?あの時間終電ないんじゃね?」

「え?あ、ちょっとコンビニ行きたくて。」

「コンビニって歩いても2時間くらいかかんねえ?」

「あ、うん。でも買いたい物あって。」


俺はあまり嘘をつくのが上手くない。なるべく目線を新藤と合わせないようにした。

嘘が、そのうちあの事実が、新藤に気づかれてるかもしれない。

いや、違う。

おそらく新藤は、自分が仮眠から目覚めて俺の姿がなかったことに疑問点を感じているだけだ。

きっとそれだけなんだ。


「川原ってさ、嘘つくの下手だよね。」


新藤は少し目線を窓にやってから俺にその言葉をふわっと投げかけた。

いや、これはぐさっとの間違いか。

それとも、やっぱりあれがばれたのか。


「何で。」


俺は初めてしっかりと新藤の目を見た。

嘘をつく人は目線が泳ぐと聞いたことがある。俺はそれを回避する為にあえて新藤の目をしっかりと見たのだ。


「いつもと違う、色々と。」

「同じだよ、別に。」

「川原ってさ、あんまりコンビニ行かないじゃん。」

「そうだっけ?」

「そうだよ。いっつも俺について行くだけだし。」

「そうか。」

「そうだよ。」


今日は太陽がいつもより自分の視界に入ってきているような気がした。

あんまり俺を照らさないでくれ。

今でも十分暑いのに、このままじゃ俺の頬が、その熱で赤くなってしまうじゃないか。


「それに。」


新藤が少し俺に近づいてきた。

そうだ、説明を忘れていた。俺と新藤は席が後ろと前だ。

さっき話したあるきっかけというのは、初めて話して三日後に行われた席替えのことだ。

俺が後ろで、新藤が前。俺はいつも授業中、8割は新藤の後頭部を食い入るように見ている。

そして、いつの間にかこう考えるようになっていた。

俺の目線が新藤の脳裏に刺激を送って、俺のことを好きにな…


「え?」


俺の脳裏に何か良からぬことが、俺の頭の中はもしかしてそんな…


「どした?」

「いや、何でも。」


自分の脳裏に浮かんだ良からぬ妄想と、自分のはっとした気持ちを表した言葉が口から出てしまっていた事実に、俺は困惑し、ひどく動揺した。

そして、その後に最大の爆弾が、新藤の口から俺にゆっくりと投下された。


「川原彼女いるでしょ?」


ごめんな、新藤。


それは。


違う。


違うんだな。


「いないけど。」

「いや、いいって。別にそんな詮索とかはしないし。そこまでお前に興味もないし。」


新藤が俺の気持ちをえぐる言い方をしてきたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。


そうか。


新藤は、俺に興味ないんだ。


俺が少し目線を机に向けようとした瞬間、外に目を向けていた新藤の目線が、ふとこちらに戻った。

そして目をきょろきょろさせてから、新藤は言葉を重ね出した。


「あ、今の言い方ちょっときついか。いや、興味っていうか、恋愛話を掘り返すようなそんなことはしないって意味で…」


そうか。


「それに何ていうかその、まだ仲良くなって時間も経ってないし。昨日はたまたま遅くまで遊んでたけど、あれはノリっていうかそういうべたべたしたくてお前のこと誘ったわけじゃないっていうか。」


そうなのか。


「何ていうかその、お前ともっと仲良くなりたいっていうか。だってあんまりお前俺と話してても楽しくなさそうだし、やっぱ頭の良いやつは一緒のレベルの人としか話合わないとかあるし。」


そんなことねえよ。


「あのさ。」

「ん?」


俺は思わず新藤の手を握りたくなったが、止めておいた。

これは決して、このタイミングでは行ってはいけない行為だとすぐに察した。


「彼女はいないし、コンビニは本当だ。」


俺はいつも新藤と話す目線の置き方で、新藤をその言葉でそっと包んだ。


「そうなんだ、ごめんな。」


新藤は少し頬を右手の指で抓ろうとして、その行為を止めた。


俺は、その行為を真似するように、そっと自分の頬に左手の指を新藤にばれないように持っていった。


「川原!」


その甘い雰囲気、いや、俺が思ってるだけだけど、その空気を壊しそうな女子の声が教室中に響いた。


「佐々木さんが川原に話あるんだって!」


何だよ、せっかく新藤と同じこ…


「早く!」


教室にいる全員の視線が俺に向いている気がした。

新藤は廊下側に目線を向けている。俺の目線にはお前しかいないのに。


「行ってあげれば?」


俺と目線が重なったお前から、その言葉を聞きたくはなかった。


「うん。」


俺はふらつくことなく立ち上がり、女子二人が待つ廊下へ向かった。

ちなみに一人は、顔も知らない女子だ。


このタイミングで、この仕打ちなんて。


神様って、やっぱいないんだな。

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