それは最悪のタイミングでありまして。

「ちょっと話があるんだけど。」


よくある話だ。よくある友達から言われるあれだ。

よくある話だ。よくある友達から放課後呼び出されるあれだ。

よくある話だ。よくある友達から放課後呼び出されるなんでもないあれだ。


「いいけど、ちょっと用事済ませて来ていい?」


よくある話だ。よくある友達から言われるあれだ。

よくある話だ。よくある友達から放課後呼び出されるあれだ。

よくある話だ。よくある友達から放課後呼び出されるなんでもないあれだ。


「教室で待ってるわ。」


よくある話。よくある友達の会話だ。


「ちょっと遅くなるかもしれないから、帰っててもいいよ。」


誰が帰るかよ。


「待ってる。」

「いいから。遅くな…」

「待ってるから!」


つい、俺、なんでこんな…


「川原、どうしたの?」


誰も待ってない。お前しか待ってないから。


「いや、別に。」


この言葉には収まらないくらいの気持ちを、俺はお前に届けられるのだろうか。


「待って。すぐ終わらせて来るから。まじで待ってて。」

「あ、いやその。」

「先生!ちょっとあのさっきのは…」


そう言って、川原はすぐに教室を出て廊下に吸い込まれていくように飛び出して行った。


そんなつもりじゃ、俺は別に、そんなつもりじゃなかったのに。


俺は一人、教室の中にいた。

俺は一人、外の風景を見ていた。

俺は一人、風景に自分まで溶け込めないかなと考えていた。


確かに俺は新藤に待ってると宣言したが、この時間は、あまりにも、自分が惨めになるこの時間を過ごすとは、全く想像していなかった。


この時間は、自分が何故こんな風になってしまったのか。

何故今ここにいるのか、何故こんな気持ちでいつもの指定席に座らなければならないのか。

教室の中で唯一自由の許されたこの特等席で、何故俺はこんな気持ちでこの時間を過ごさなければならないのか。


そんな自分に課せられた、まるで監獄のような閉鎖的な時間をどう過ごそうか、そればかりを考えていた。


教室にいることの居心地の悪さを感じたのは、おそらく俺の学生生活の中で初めてだろう。

何事にもどうじない性格だと思いこんで、周りには無関心な方だと思いこんで、誰が誰のことを好きかとか、誰と誰が付き合って別れて、そんなことにはほとんど興味なかった俺だったのに。


お前に出会って、お前と話をして、お前の唇に触れて、俺の中で何かが変わって、何かが始まったんだ。


お前は知らないだろうけど。お前以外で知ってる人もいないだろうけど。

だってそれは、俺だけの不純で汚い秘密なのだから。

もっと綺麗な女に、もっと綺麗な人に、そして、もっと綺麗な存在として、この世に生まれてみたかった。


そんなことばかりを、俺は一人では十分すぎるこの空間で、一番興味のある、一番話をしてみたい、できれば一番傍にいてみたかった同級生が帰ってくるのを、少し目の色を濁らせながら黙々と待っていた。


もしも、俺がお前と付き合えたら。

もしも、俺の性別が女で、お前がそのまま男だったら。

もしも、俺の彼氏がお前で、それを認めてくれる環境があったとしたら。

もしも、俺とお前がよくある放課後の風景の中で出会ってなかったら。


もしも、俺とお前が同級生じゃなくて、普通に大人になって出会って、お互いに彼女もいなくて、実は女を好きになれないんだみたいな共通の特別な悩みを持ってて、その悩みを話して気持ちと経験を共有していくうちに、いつの間にか恋に落ちるとか、そういう漫画みたいな展開になっていたとしたら。


俺は、こんなことで頭をくしゃくしゃにすることなく、お前と接することができたのかな。


「川原。」


「川原。」


「川原!!」


新藤に呼ばれた。すぐにわかった。

俺はいつの間にか眠ってしまっていたのか。いろいろ考えすぎて、いつ寝たのかなんて全く覚えていなかった。


「あ、ごめん。寝てた、ごめん。」

「いいよいいよ。ごめんな、遅くなって。」


新藤は少しだけ汗をかいてるようにも見えた。耳が少しだけ赤かった。

さっきまでここまで差し込んでこなかった夕日の光のせだろうか。新藤が全体的に赤く染まっているようにも見えた。


「ふう。やっと終わった。話長いんだもん。」

「何だっけ。呼び出しだっけ。大変だな。」

「別に大変じゃないよ。よくある話だから。」


俺のお前に対する気持ちも、お前の変なところで敏感な脳で、よくある話で片付けてくれないだろうか。


「あのさ、本題入っていい?」


俺はもうこれ以上この空間にいたくなかった。新藤を待っている間に考えていた全ての思考が、この教室中を埋め尽くしているようでとてつもなく恥ずかしくなった。

早く話をして、早く忘れてもらって、早く前みたいな関係に戻ろう。

俺と新藤は、何でもない。よくある仲の良い友達の関係に戻るのだ。

お前にはびっくりさせるかもしれないけれど、心配するな。

別に付き合うとかそういうのを求めてるわけじゃなくて、ただ一言、ちゃんと好きだって伝えよう。

玉砕すればきっと、俺はまたよくある高校生になれるのだ。

男に恋なんてしなかった、普通の高校生活を再び始めることができるのだ。

そうだ、これは俺が終わらせて、再び始めないといけないんだ。俺にしか、そのきっかけを作ることが出来ないんだ。


そうだ、それができるのは、俺だけなんだ。


「何から話す?」

「え?何からって…」

「俺が何で先生に呼ばれたか。俺が何でここに戻ってきたか。俺が何で川原のとこに戻ってきてここで話をしようとしているのか。」

「あ、そうだな。まずじゃあ、その、何で先生に呼ば…」

「何でお前が、あの日、俺を置いてすぐに帰っちゃったのか。」

「え?」


何の話になってるんだろう。先生の話だろ?

さっき呼び出された話を言うんだよな?それとあの日の話がどう繋がるんだよ。

そんなことを考えていたら、新藤の目が俺の視界いっぱいに映った。新藤の瞳には俺しか映っていない。それを確認できるくらいの距離に、新藤がいた。


「それから。何で友達に、もしくは親友だと思えるようなお前に、キスされなきゃいけないのか。」


え?

今何て…


俺は思わず疑問の空気を体全体から出してしまった。そしてその空気に新藤も気づいた。お前はやっぱり敏感なのか。

唇も敏感そうな感触だったもんな。少しだけしか触れてないけれど、なんとなくわかってしまった自分が、少し気持ち悪いなと思ってしまった。

自分の神経に触れた感触のみで好きな相手を判断してしまうのは、恋特有の歪んだ魔力なのだろうか。


「聞こえてた?もう一回言うね。何で友達である川原君に、俺はキスをされなきゃいけないんですか?」


新藤が怒ってるようにも見えたし、何か確かめようとして切羽詰まってるようにも見えたし、いろんな味方ができる表情で俺にその言葉を投げかけた。

でも、この表情だけは想定外だった。

何故か、新藤は、笑顔だった。怖いくらいの、笑顔だった。

俺はその時、何か別の感情を抱いていた。

俺は、目の前の今まで普通の友達だと、親友だと思いたかった友達に、恋の相手に選んでしまったこの同級生に、何かしらの圧力をかけられて、地の果てまで脅され続けさせられるのではないか。


そんな黒い妄想を頭の中にただひたすら巡らせていた。


「新藤、俺、あの…」

「全部知ってた。多分そうなんじゃないかって。」


新藤が体勢を変えて廊下に視線を向けた。いつもは窓を見てる気がしたので、耳の形や髪の毛の乱れなど、右側からの横顔の風景にとても新鮮さを覚えた。右の頬にあるほくろの位置を俺は瞬間的で記憶した。


「全部知ってた。全部知ってたけど、あえて、知らない振りしてたんだ。」

「お前な…」

「ほらでもわかんないじゃん。何かさ、そういう噂とかも聞くじゃん。ほら、サッカー部のさ、誰だっけあの髪の毛やたら長いやつ。あいつさ、そっちなんでしょ?顔綺麗だから女子に持て囃されてた時期あったけど、その噂で女子いなくなったもんね。女ってほんと簡単で単純。」

「その噂って…」

「何?俺が言ったの。俺が広めたの、その噂。」

「何でそんなことしたんだよ。」

「だから、女子がどれだけ根拠のない噂を信じて広めるか試したかったんだよ。そしたら結構簡単に広まったわ。今ではほら、男子でも一部広まってるけど、俺がちゃんと何でその噂広めたか言ってあるから大丈夫なんだよ。」


これって、俺の知ってる新藤だよな?

俺がキスしてしまった、新藤なんだよな?

ずっと笑顔でこの話をし続けている、夕日に照らされたこの横顔が、この雰囲気が、怖い。怖すぎる。


「それでお前は、何でその噂を流したんだよ。」

「ん?だからある目的をね、果たす為だよ。」


新藤が体勢を再びこちらに戻し、俺をしっかりと凝視した。

瞬きされたら、その衝撃で倒れるんじゃないかと思うような、そんな威圧感のある目線が俺の瞳を抉るように突き刺してきた。


「お前が、女が好きなのか、それを調べる為だよ。」


俺が、


女が好きなのか、


調べる為?


「佐々木いるでしょ?あいつにね毎日のように言ったんだよ。“隣のクラスの川原ってやつがお前の話ばっかりするから、お前のこと好きなんじゃない?”って」

「何でそんなこ…」

「いやほら、佐々木って結構可愛いじゃん。いかにも女子って感じじゃん。きっとさ、おそらくさ、誰でも好きになるでしょ、今時の男子高校生は。」

「お前そんな言い方してたっけ?」

「客商売の現場見まくってるからね、俺。」

「お前の店ってさ、結構有名な美容院だったりするの?」

「ネットで検索してみたら?」


自分で言わないところを見ると、おそらく有名なんだろうと、その言い方で察した。

後で調べたら、有名ではないが外国人のモデルが数名通っているらしいとの情報がちらほら検索で出てきた。

そして、川原が客の髪の毛を洗っている写真がホームページに載っていた。

新藤と社会的な距離を少しだけ、いや、物凄く感じてしまった瞬間だった。


ちなみに、この前俺が告白された佐々木さんはその後、俺に振られたことを友達に言いふらしたようだが、その噂は新藤に寄って別の噂となって広まっていくこととなった。


“佐々木って男だったら誰にでも告白するから付き合わない方がいいよ。”


そんな根拠のない噂を流されていた。


「それでそのお前の目的は何なんだよ。」

「目的?そんなの決まってんじゃん。」


さっきまでずっと笑顔で話してた新藤の表情の空気が一瞬変わった。

いや、きっとこれからずっと、この状態で話すのではないかと思うような、ずっしりとした重圧感をその表情に感じた。


「お前を、陥れる為だよ。」


新藤の纏う空気が、俺をどん底まで突き落としそうな香りを醸し出していた。

普段感じるワックスの匂いがここまで恐怖を感じることになるとは、初めてその匂いを感じた俺には想像も出来なかっただろう。


「多分さ、俺の予想が正しければお前は俺のことが好きで。どのタイミングかはわからなかったけど、おそらくあの日に何となく俺にキスしたくなったからキスしたんだろ?それできっとお前は俺のこと好きだって勘違いしちゃったんだろ?そこで終われば良かったじゃん。笑い話にすれば良かったじゃん。“ごめん!間違ってお前の唇噛んじゃったわ。”とか適当に誤魔化せばいいじゃん。何ですぐに帰っちゃったの?そのままさ、髪の毛とかほっぺとか触ればいいじゃん。俺寝てるんだよ?爆睡だったでしょ?何でそこで距離取っちゃうんだよ。襲われる前提で寝てた俺の身にもなってよ。」

「別に襲おうとしたつもりは…」

「普通はさ、気持ち悪いって思うと思うんだよ。俺には関係のない世界なのかなって思うんだよ。でも、お前がそういう態度で俺に接してきたっていうのはきっと、そういう意味なんだろうなって思うんだよ。お前真面目じゃん。結構真面目じゃん。あの自信満々なサッカー部には珍しい程、普通に好青年的な一高校生じゃん。だからお前はふざけてそういうことするやつじゃないって思ったんだよ。最初お前と話した時に。」


あの時にお前も、俺とは違う感情だけど、何かしらの気持ちを感じたんだな。

気持ちの種類は違うかもしれないが、何かしらを共有出来た、そんな気持ちになって、俺は少しだけ嬉しくなった。

でもこの嬉しさは、自分自身を陥れられる最初のきっかけになってしまったことだということを同時に感じ、何とも言えない絶望感を感じ始めていた。


「それでその、お前は俺をどうしたいんだよ。」


俺はこの空気にこの台詞を投げかけるのは、明らかに降伏のサインだということを認識してはいたが、これ以上この空気に二人っきりでいるとぼろぼろに崩れて二度と立ち直れない気がした。

だからこの台詞をあえてこのタイミングで新藤に投げかけた。

これからもっと、身も心もぼろぼろになる高校生活が始まるのだ。ここで屈していては駄目なんだ。


俺は、ここで、ひっそりと新藤に全て従う決意を固めた。


「俺のことさ、彼女にしてほしいんだ。」

「は?」

「だから、俺のこと、彼女にしてほしいんだよ。というか、女に接するみたいに俺に接してほしいんだよ。今はさ、男友達じゃん。でもさ、それをさ女友達…お前がいけそうなら、俺のこと彼女だと思って接してほしいんだよ。二人になった時でいいよ。学校ではしなくていいから。なあ、どう?」

「どうってそれ、その…」

「だから川原は俺のこと好きなんだろ?だったら俺と付き合いたいって思うだろ?じゃあ俺と付き合ってみてよ。でも俺のこと、しっかりと彼女として扱ってほしいんだよ。女としてさ、な?」


この展開は、全く考えていなかった。俺は自分の目が点になる瞬間を初めて感じた。


「お前その、女になりたいの?」

「違うって何言ってんの?違うよ。俺とも女子に接するみたいにしてほしいんだよ。」

「俺って女でも男でも接し方一緒な気するんだけど。」

「全然違うじゃん。佐々木ですら結構優しく接してたじゃん。告白断る時も何回もごめんって言ってたじゃん。それなのにあいつあんな噂流しやがってまじで最低なんだよあの女。」


少しその表情に嫉妬に似た感情を感じたことに、俺は少しだけ優越感に立った気がした。

というか、何で何回も謝ったこと知ってるんだよ。まあ、いいか。今はそこが重要ではない。もっと確かめないといけないことが俺にはあったのだ。


「あ、ごめん。そういうあの別にあの子は悪くないっていうか、もともと俺が陥れたようなもんだから。それにさ、そういうのさ、まじで気持ち悪いって思うんだよ。俺には関係ないって思うんだよ。つい最近までそういうこと考えたことなかったんだけど、改めて考えてみて、やっぱ気持ち悪いって思ったんだよ。でもお前が俺のこと好きって思ってくれて、それ知って別にそのことについて気持ち悪いって思わないんだったら、それはきっと恋になるんだろうし、お前もきっとそう言うと思うんだよ。もしさ、お前がそれを恋って言うんだったら、きっとそうなんだろうなって思うし。」


俺は新藤から出てくる言葉の一つ一つをしっかりと受け止めた。

それが新藤なりの告白だと錯覚しそうなくらい、その言葉の重みと真剣さをしっかりと噛み締めていた。


「その、あの、新藤。」

「何だよ。」

「俺の気持ち、言ってもいい?」

「うん。」


俺はこのタイミングしかないと思った。ここしかないと思った。

ここのタイミングが一番だと、俺は確信した。


「俺、彼女いるんだ。」


俺はこのタイミングで、新藤の気持ちを踏み躙る行為をしたくなった。

そしてこのタイミングが一番効果的だと思った。

一見、最悪なタイミングなのかもしれないが、ここが最高のタイミングなのだ。


おそらく、俺にとっては。


「え?いないって言ってなかったっけ?」

「嘘ついた。」

「じゃあなんで俺にキスなんかしたんだよ。」

「してみたくて。」

「は?何だよそれ。」

「いや、可愛いなって思ったから。」

「可愛い…」

「うん。」


俺は新藤を見た。

新藤は俺から目を逸らした。だから俺は、新藤の右頬にそっと指を伸ばし、そっと触れた。


「ここ良く抓るよね、新藤って。」

「え?あ、癖だから、見ないであんまり。」

「この跡が好きだった。ずっと見てた。」

「知らないよ、言ってくんないと。」

「次見つけたら言う。」

「じゃあ常に抓んでる。」

「赤くなるよ。」

「いいよ。川原が触ってくれるんならね。」

「わかった。」


俺と新藤は少しだけお互いの頬に触れて、少しだけ指を触り合って、少しだけ目線を交わした。

今日はここまで。

今日はここまでで終わりだ。


俺はこのタイミングで、新藤の気持ちを踏み躙る行為をしたくなった。

そしてこのタイミングが一番効果的だと思った。

一見、最悪なタイミングなのかもしれないが、ここが最高のタイミングなのだ。


そう思ってた。


でも違った。


きっと俺にとっても新藤にとっても、最悪なようで最高のタイミングだったのかもしれない。


俺達の恋は、ここから、始まるんだ。

ここから始まって、おそらく何処かのタイミングで終わるのかもしれない。


でも今の俺達にとっては、ここが一番幸せな瞬間なんだ。

夕日の光も俺達の頬を平等に照らしてくれている。

今がきっと、一番良いタイミングなんだ。


ここからが、STRATなんだ。


ちなみに、俺に彼女はいないよ。

駆け引きくらい、俺にだって出来るんだよ。


お前がそうしたみたいにね。

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