エピローグ

閉幕-1 その宿命から逃れられない 

「報告は、これで全部?」

 真由理は手にしていた書類をデスクに滑らせ、爪先で足元を軽く蹴った。椅子は軋み一つせずに回り、彼女に見慣れた霞が関の眺望を与えてくれる。

「はい。提出されているものは以上です」

 早苗の答えに引っかかるものを感じつつ、真由理は敢えて聞かなかったことにした。

 東京の桜は、もうほとんどが散り終えて、葉をつけ始めている。皇居を囲む内堀も、芽生え始めた新緑に彩られ、静かにたゆたっていた。平日に花見を図る暇な人影が減って、景色が整然さを取り戻すこの季節が、彼女は好きだった。安穏として無防備で、警戒の必要もない。

「鋼鉄姫の状態は?」

「術後の経過は順調だそうです。特殊医療班の処置が功を奏したようで、左腕も何とか再生が可能だということです」

 何の問題もない。

 真由理は頷いて、それから、出来るだけさり気なく呟いた。

「あの《・・》二人・・は、どうかしら」

「監視班から、その後、“炎”の発生等、異常現象についての報告はありません」

 シンプルな返答。つまり、状況は安定したと見て良いのだろう。

「そう」

 出来るだけ素っ気無く――自分ではそう意識して――真由理は言った。

「助かったわ。これ以上面倒が増えなくって」

 被害は甚大だった。人喰い絡みの事件では、二年前の“災害”を除けば、ここ数年でもっとも多くの死体が出たことになる。原因はいくつも挙げられた。人喰いとテロリストの協働。テロリストによる特殊能力の濫用。予想しないタイミングでの対象との接触。それに伴う装備と作戦の不備。全てが悪夢の再来を予感させるものだった。

 それでも、被害は最小限に留められたと――そう考えるべきだろう。

(誰のおかげか、ってのが問題だけど)

 例え誰が成し遂げたにせよ、全ては真由理の責任となる。それがこの国であり、その警察組織であり、非公式組織の意味でもある。

「お見舞いには、行かれないんですか」

 早苗が言う。真由理はちらりとそちらに視線を投げて。

「代わりに行ってきて」

「私は今朝、済ませてきましたので」

 鮮やかな切り返しだった。ぐうの音も出ない。

 なんとなく悔しいので、肘掛に寄りかかって無言の抗議を行う。早苗は歯牙にもかけない様子で続けた。

「真琴さんの話も聞いてきました。本人は、書面にまとめると言っていましたが」

 さらに頬杖までつきながら、真由理は耳を傾ける。

「今回の特別案件の処理については、“凶断まがたち”の性質に助けられたところが大きいそうです。使用者以外の生命を糧にする、という現象は、神宮司の記録にないものだと」

 不承不承だが、認めざるをえないだろう。国宝級の骨董品である日本刀は、実際役に立つ兵器であり、しかも唯一無二の威力を備えているということを。

 真由理は鼻を鳴らし、眉間にしわを寄せた。生意気に使い手を選ぶような剣があるから、神宮司の人間はその宿命から逃れられないのだ。

「また、自分の能力の限界がはっきりと露呈された、とも言っていました。人員の損失も含めて、早急な実行力の拡充が必要。出来れば、人喰いか否かを問わず、効果的な威力を持つ“凶断まがたち”の使用が可能な人員が望ましい、とのことです」

 いつもとは少し違う調子で、早苗が報告を終える。

 笑い事ではない。真琴の報告はある種の真理を突いていて――それ故に、真由理は頭の中心の辺りが重くなっていくのを感じた。

 結局の所、逃げ場など無いのだ。誰も彼もが、何かと闘わなければならない。相手が何にせよ。それは紛れもない事実だった。

「……我侭ばっかり言うのね、あの子は」

 独りごちる。

「真由理さんしか、頼れないんだと思いますよ」

 彼女は言い返そうとして、何も言えずに溜め息をついた。

 まったくその通りだった。

 そして、それに応える他、彼女に出来ることなどほとんどない。果たしてこれほど無力なことがあるだろうか。それでも、逃げる訳にはいかない。何よりも彼女は、自身でそのやり方を選んだのだから。

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