6-7 神に祈り、神を信じること以上に

 そこに、一振りの日本刀があった。淡く不思議な光を零す、美しい凶器。光芒の如く敵を討ち、古木に似た佇まいで地面に突き立っている。

 触れれば砕けるのではないか。美幸は不意に、そんな妄想を抱いた。刀身に残る燐光りんこうが、蛍が灯すものと似ていたからなのかもしれない。あるいは。

(神宮司君みたい)

 彼は強い――美幸が考えていたよりも、ずっと。今の今まで、その強靭さを目の当たりにしてきたというのに。

 引き抜いてみる。思っていたよりも、遥かに重い。それこそ木立と変わらないのではないかと思う。まるで、振るわれることを拒んでいるかのような。

 ほとんど抱くようにして、無理矢理持ち上げる。刃で足を斬らないように気をつけながら、美幸は歩き始めた。

 何かを大量に浴びせかけられる。恐らくは血だろう。咄嗟に目を瞑れたのは幸いだった。せ返るような鉄の匂い。なんだか慣れてきてしまった。

 真琴は闘い続けている。それを横目に、美幸は足を止めない。

(もしかしたら)

 そんなことはありえない、と思いながらも。

(この為に、彼女は私を連れて来たんだろうか)

 支離滅裂な考えだった。それでも、不思議とそれは正解のような気がした。今、ここには、彼女にしか出来ないことがある。神に祈り、神を信じること以上に。やらなければならないことがある。

 距離にして、ほんの数メートル。なのに、とても長く感じられる。息が切れる。目眩がして、足元が揺れる。辺りは暗く沈み、さながら夜空を歩いているような心地だった。いや。星も月も無ければ、それは夜空ではない。夜よりも暗い――恐ろしい何か。

 美幸は見つけた。闇に沈む、その姿を。

 酷く傷ついている――有り体に言って、死体以外の何ものにも見えなかった。身体中から黒い煙を噴き上げ、床に這いつくばっている。よく見れば全身に傷を追っていたが、一番目立つのはすねからへし折れた足だった。そんな惨状さえ軽く思えるのは、その肉体がほとんど燃え上がっているからだった。右の眼窩から溢れ出した炎が、彼の全身を焼き焦がしている。

 ただ、左眼だけが。

 前を見ていた。彼の前に立つ――美幸を見ていた。涙さえ浮かべながら。

 泣いているのか、怒っているのか。

 むしろ怒りたいのはこちらだ、という気さえしてくる。

(大丈夫、って言ったくせに)

 結局この有様である。どうしようもない。取り返しも付かない。

「もう、やめてください」

 囁く。馬鹿馬鹿しいと思いながら。意味が無いことと分かっていながら。

「神宮司君。死んじゃいますよ、本当に」

 彼は、美幸と同じなのだ。これ以上、何かを失うことに耐えられない。だから。

「それでも、闘うんですか」

 応えがあるはずもなかった。

 静寂が闇と共に、二人を包む。深い穴へと落ち込んでいく感覚。力が抜ける。治ったはずの肩が、何故か痛んだ。思わず膝をつく。

 なんとか振り絞った力で、彼女は剣を置いた。

 御琴の焼けた右手に、握らせるようにして。触れた指が、瞬く間に赤く腫れあがる。

 刀身は変わらず光を帯びていた――その複雑怪奇な模様には、何かの意味があるのだろうか。燐光が輝きに変わるにつれて、軌跡は形を失っていく。

 激痛が走った。身体が二つに裂かれるような。

 輝きは増して、留まる所を知らない。世界は暗くなり、その分だけ閃光が網膜を焼く。

 何かがおかしいと気付く頃には、ほとんど意識を失いかけていた。

 溢れる光から、御琴が這い出してくる。震えるその手が、銀細工の瞬く柄を掴む。血が滲む指先で、異様なほど力強く握り締める。

 霞む視界の中で、美幸は必死に手を伸ばした。彼を求めた。その柔らかい頬の感触。

 掌が音を立てて焼け爛れていく。痛い。

 だが、きっと、彼はもっと痛い。

 何かを言うべきだと思った。叱咤。激励。期待。何一つ、しっくりと来ない。

 結局彼女は、同じことを言うしかなかった。

「――信じてます」

 何故だか、御琴はそれを求めているように思えたから。

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