6-3 ただ一人生き残った時

「彼が生き残ったのは、単なる僥倖ぎょうこうに過ぎませんでした。『罠』は今でも彼の中で働き続けています。平静を保っているのは、それを抑えこむ為に彼が振り絞っている“力”が、かろうじて『罠』と拮抗しているからなのです」

 本条早苗警視は、ようやく美幸から視線を外し。

「少しでもバランスが崩れれば、彼は自らの“力”によって焼け死ぬでしょう。場合によっては、周囲にも――最悪、東京全土にも被害が及ぶかもしれません」

 一言の後、息を吐いた。

 長い話のような気がした。けれど、車はまだ、停まっていなかった。

 ようやく戻ってきた沈黙が、どこか心地良い気がしたのは何故だろう。これ以上、現実離れした話を、聞きたくなかったからかもしれない。そろそろ、許容量は限界だった。

 あの惨劇が、たった一人の男――男の姿をしたか《・》によって引き起こされたと。そして御琴は、それを阻止しようと戦ったのだと。挙句、最後の“炎”の元凶となり、東京を焼き尽くしたのだと。

 それはテロだったのか。それとも他の何かだったのか。例えば、大地震のような自然災害だったのだろうか。

 ――ファンタジーだ。いや、伝奇か。SFでもホラーでもいい。とにかく、彼女が知る現実からは、激しく逸脱した話だった。

「……だから、神宮司君は、戦うことを止めたんですね」

 少なくとも受け入れられるのは、初めて出会った夜、痛々しいほど怯えていた彼の姿。彼が恐れていたのは、人形じみた人々や暴力などではない、ということなのか。

「負傷や戦闘による高揚は、どんな些細なものであれ、“力”を消耗する可能性があります。そんな人物に、戦いの役目を与えることは出来ませんでした」

 それだけが理由なのかと問いを重ねかけて、美幸は思い直した。そんなことは、本人にしか分からないことだろう。

 燃え落ちる街や建物を目の前にして、御琴が何を感じ、何を思ったのか。死んでいった仲間や人々を差し置いて、ただ一人生き残った時、彼は何を考えたのか。

 美幸には分からない。推し量ることしか、できない。

 そして、疑問を吐き出すことしかできない。

「だったら、どうして今、神宮司君を戦わせようとしているんですか」

 誰も答えてはくれない。

 竹内真由理は、忙しなくハンドルを切るばかりで。本条早苗は、痛ましげに目を伏せたままで。

 神宮司真琴だけが、美幸を真っ直ぐに見据えていた。

 そうして向かい合ってみると、彼女が御琴の妹だということがよく分かる。酷く冷たくて、その癖、今にも泣き出しそうな目元がそっくりだった。

「理由は二つ。一つは、今回の首謀者が何がしか人間離れした“力”を持っていて、私一人で対処するには不確定要素が多いこと。もう一つは」

 突然のブレーキで、シートベルトに肺腑を絞り上げられる。

 一瞬の後、解放。真琴の姿勢は少しも変わっていなかった。

「――もう一つは、それが、私達兄妹の勤めだから」

 サイドウィンドウから、見覚えのあるネオンサインが覗いている。反対側の窓からは、恐ろしげな黒塗りのトラックが数台。警察車両なのだろうか――映画で見たことのあるヘルメットを被った人々は、顔どころか性別さえ判別がつかない。

 どうやら車は、目的地に着いたようだった。

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