5-9 知りたかった。彼のことが

 風の姿が見えるとしたら、こんな形だっただろう。サイドウィンドウの向こうで、灰色の影が流れるように溶けていく。車内の苦い沈黙が、揺れては消える景色をより幻想めいたものに見せていた。周囲の車両など気にも留めず、サイレンを打ち鳴らすパトカーさえ振り切って、美幸達の乗る車は渋谷へと向かっていた。増上寺跡から西へ、未だ復旧の進まない六本木の焼け跡を縫うようにして。

 無音は重みを感じさせるほど、深かった。この高速にして静寂のスポーツカーを巧みに操る竹内真由理は、当然正面を見たまま一言も発さない。助手席に座っているのも女性だった。ダークグレーのスーツに身を包み、やはり口を開かない。バックミラー越しに目が合うと、少しだけ気遣わしげな目線を寄越したが、それだけだった。

 そして隣に座っている、氷の女王――否、鋼鉄の女王マコト。黒塗りの鞘に収めた刀を膝に乗せて、背筋を張り詰めさせたまま動かない。時々見せる瞬きだけが、彼女がマネキンでないことを証明していた。あのライブハウスの惨劇を引き起こした時と違いを見出すならば、服装ぐらいだろうか。その黒髪よりもなお暗い漆黒のレザースーツ。つややかな表面には、やはり血の一滴も残されてはいない。

(殺し屋の仮装をした、天使のような死神)

 何が何だか分からない。死神が日本刀を振り回すというのも、何だか不自然な気がする。不自然といえば、そもそも彼女の存在自体が明らかに異常だ――

 頭の奥にこごる痛みを和らげようと、彼女は額を擦った。そしてそれが、貧血によるものだと気付く。

(失われた血液は戻っていない)

 少女の言葉を反芻する。意味が分からなかった。あり得ないことが起きたとしか思えない。彼女達には訊きたいことが山ほどあった。一つ一つ訊ねる時間があるとも思えなかったが。

「さっきの、私の怪我は、一体どうなったんですか?」

 少女が視線だけをこちらに向ける。凛々しい眼差しという表現では、生温い。切っ先のように鋭い眼だった。

「治した」

 簡潔な一言。追求しようとすれば、機先を制される。

「治るかもしれない怪我の治癒を、早めた。あなたの肉体が健康だったから、可能なこと。魔法ではない」

「……魔法そのものじゃないですか」

 冗談にしては笑えなかった――まるで彼女の感想を見透かしていたかのような返答。そもそも凍えるように冷ややかな言葉に笑えというのは、かなり難しい話だったが。

 少女が眼を逸らさないのをいいことに、問いを重ねる。

「あなたは何者なんですか? あなた達は、本当に、警察官なんですか」

 警察官のようにしか思えない。だが、警察官にも思えない。サイレンも付けないまま車を乗り回し、日本刀を振り回す警察官がいるだろうか。しかしテロリストを逮捕し、治安を維持しようとする者が、警察官ではない理屈があるだろうか。

「私は真琴。神宮司真琴」

 答えは美幸が求めたものではなかった。だが、彼女の予想を遥かに裏切っていた。

「神宮司って――」

「神の宮を司る、真実の琴、と書いて神宮司真琴」

 付け足すように呟いたのは、運転席の真由理だった。目が回りそうな程激しくステアリングを切りながら、平然と言ってくる。

「その子はね。あいつに、捨てられたの」

「課長、それは」

 嗜めるような助手席の女の言葉を、真由理はあっさりと無視してみせる。

「あいつは逃げたの。その子から。自分の過去から。自分のやったこと――ううん、自分の出来なかったことから」

 その美しい横顔に険が走るのを、美幸は見逃せなかった。

「……説明を、してください」

 投げかけてしまう。知りたかった。彼のことが――あの奇妙な少年のことが。

 それこそ斬りつけるような美女の気配に、萎縮しそうになりながらも。

「……本条警視、よろしく。手短にね、到着まで五分もないから」

 助手席の女性――本条警視は、狼狽したようだった。

「よろしいんですか」

「あたしが許す」

 断定は力強い。本条なる女性は、再び鏡に映る美幸へと焦点を合わせた。彼女自身も戸惑っているようだった。躊躇ためらっているようにも見える――まるで自信のない解答を述べる生徒のように。

「……神宮司御琴。彼は二年前、東京大火を阻止しようとし――そして、それを引き起こした張本人です」

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