4-4 “炎の日”

 ゴミ箱に入り損ねた空き缶が、耳障りな音を立ててアスファルトを転がっていく。印刷されたロゴが影に隠れたり出てきたりするのを、真由理はしばらく眺めていた。

 おもむろにベンチから立ち上がり、今度はパンプスの爪先で蹴り上げる。高く跳ね上がった缶は、病棟の白い外壁を直撃した。さらに高く飛んで、彼女の元へと戻ってくる。真由理は無造作にそれを掴みとると、もう一度ゴミ箱へ投げつけた。

 甲高い悲鳴を上げて――缶はまたしてもあらぬ方向へ。

「何してるんです?」

 呆れた顔で、早苗が呟いた。足元の空き缶を拾い上げ、颯爽とした所作でそれを然るべき場所へと廃棄する。

「バスケットボール」

 一言。

 早苗が溜め息をつくのを、真由理は見逃さなかった。

「子供じゃないんですから」

「少なくともあんたよりは子供よ。六歳ぐらいね」

「怒りますよ」

 構わずに、視線を空へと逃がす。四方を病棟に囲まれた中庭から見えるのは、滲んだ青とおぼろげな白い雲だった。天気は悪くない。だが、どうにもすっきりとしない。春とはそんな季節なのだといえば、それまでなのかもしれないが。

「例の殺し、やっぱりあいつらじゃなかった」

 落胆はない。そんなことだろうとは思っていた。御琴が何か知っていることは間違いないが、恐らく大したことではない。彼が真由理に隠し事など出来るはずもない。御琴の嘘のつき方なら、七十九通りは知っている。

 彼が初めて嘘をついたのは、七歳の頃。組手の最中、真由理の回し蹴りが、彼の腕を折った時だった。乳母に問い詰められた少年は、必死に真由理を庇おうとしたのだ。

「自爆テロの方は、どうでしたか」

 ぼんやりとした空には見切りをつけて、傍らに立つ早苗に目を戻す。

「渋谷のガキの間で、宗教が流行ってるらしいわ。腐った世の中を徹底的に破壊して、新しい世界を作り出す。そういう教義みたい。『チーム』という渾名以外、誰も詳しくは知らないそうよ」

 早苗は頷いた。

「渋谷署に手配します」

 言いながら、胸元から携帯電話を取り出す。口早に話を進めていく彼女を横目に、真由理は考える。

(連中は次にどう出るだろう)

 いくらでも人間を使い捨てにする集団を追うのは、容易なことではない。今更口封じを恐れるまでもなく、彼らは全ての実行犯の口を確実に塞いできた。犯行と同時に、犯人を殺害することで。犯行声明さえ、彼らは行っていない――その行為を見れば、意図は全て明確だとでも言わんばかりに。

 公安は長く凶器の入手ルートを探っているが、未だに有力な手がかりは無い。犯行計画に必要な情報をどこから調達しているかも、同様である。

 手元にない情報を当てにしても仕方がない。今出来ることをやるしかない。それが最も確実で――最も危険な方法だったとしても。

(“炎の日”)

 霧島美幸が証言した。『チーム』はあの大規模テロによって、世界が“壊れた”と考えている。だから、この世界を作り直す必要がある、と。

 あの日、壊れたものはなんだろうか。考えるまでもない。この街の――東京の全て、そして、この国を長く包みこんできた安全という神話だ。ついでに言えば、神宮司御琴という少年も、一つの形を失った。

 何故。どうしてあの時、悲劇は防げなかったのか。理由は一つではない。万事において言えるように。強いて挙げるのなら、どこかにあったはずの予兆を、彼女達が見落としてきたからだろう。他の誰にも出来なかった。彼女達にしか。

 それが罪ならば。彼らがそれを罰するというならば。

「少年係と組織犯罪対策課に、担当がいるそうです」

 早苗の声。真由理は立ち上がり。

「車回して。すぐ行くよ」

 大股で歩き出した。病院の正門へと向かって。

 ふと考える。処罰されるぐらいで償えるなら、それも悪くはないのだろうが。

生憎あいにくそうも言ってられないのよね)

 胸中独りごちて、彼女は歩みの速度を上げた。

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