3-2 見つかったんだよ
組んだ両手を、力の限り天に突き上げて。
「んっ――」
伸び上がる背筋に快感を覚え、美幸は思わず声を漏らした。
長かった午前の授業は終わり、教室にもようやく安穏とした空気が広がりつつある。大学受験を見据えた生徒達の放つ緊張感たるや、息が詰まるほどだった。無論彼女も例外ではなく、受験生であるはずなのだが。
(これが一年続くんだ……)
今は楽しそうに机を寄せ合う女生徒達も、いずれ目の色を変えて英単語帳を引き回すようになる。生き馬の目を抜くような競争が、彼女達の中で否応無しに始まるのだろう。それは気の重くなる想像だった。
自身の気持ちが憂鬱になっていくのを認めつつ、机に引っかけたバッグに手を入れる。弁当箱を入れた巾着は、程なく見つかった。
御琴はメールを確認しているだろうか――午前中はずっと寝ていると言っていたから、もしかすると気付いていないかもしれない。しかし、直接二年A組の教室を訪ねるのは、なんとなく気が引けた。そんなことをすれば、間違いなく白石智子の好奇心の餌食にされてしまう。
(とりあえず行ってみよう。屋上)
小さなランチセットを片手に、腰を上げる。
「あれ、霧島さん、ご飯食べないの?」
「ううん。ちょっと、約束があって」
声をかけてきたのは、薫とも仲の良い女生徒数人だった。改めて考えてみれば、クラスにおける美幸の交友関係のほとんどが薫がきっかけを作ってくれた付き合いである。彼女がいなければ、美幸の学生生活はどうなっていただろう。。
「なに、彼氏?」
問われて思い出したのは、昨夜の御琴のことで――
「違います。そういうのじゃありません」
何故か即答してしまう。あのライブハウスで同じ質問をされた時、どうして美幸だけが動揺しなければならなかったのか。
胡乱げなクラスメイトの視線から逃げるように、彼女は三年C組を後にした。
昼の校内には、急き立てるような騒がしさがある。屋上へと向かう足取りも、自然速くなっていく――
「霧島さん」
声をかけられ、足が止まった。
振り返る。決して広くはない通路には、たくさんの生徒が行き交っていた。声を発した影を見つけられず、なんとなく視線を彷徨わせる。
「俺。俺だよ俺」
陽気に手を振る少年がそこにいた。染めた茶色の髪に細い眉の、愛嬌ある顔立ち。
「よかったあ、空振ったかと思ったわ。マジでよかった」
軽い驚きを覚えながら、美幸は呟いた。
「……芦谷、君?」
「あ、憶えててくれた? 嬉しいんだけど。いやマジで」
少年――芦谷康介は、一際明らかな笑顔を見せる。陽の光の下にあって、彼の振る舞いはより大袈裟だった。
「あ、いえ、私の方こそ。どうしたんですか、わざわざ三階まで」
生徒が普段利用する教室が集まっている本校舎は、階層ごとに利用する学年が分けられている。一年生は一階、二年生は二階、そして三年生は三階というように。部室や特殊教室の集まる別棟はともかく、廊下で他学年の生徒とすれ違うことはほとんど無い。
器用に生徒達の間を抜けて、彼が駆け寄ってくる。
「良い報せ良い報せ! ガチだから、マジだから」
手首から先を小さく振って、こちらを招いてきた。既に会話には十分な距離のようにも思えるが、両の手で筒を作られれば、美幸もそこに耳を当てざるを得ない。
「あのさ。見つかったんだわ」
思わず、康介の顔を見る――しっかりと頷いて、彼は続けた。
「都築薫ちゃん。見つかったんだよ」
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