2-3 意味あんのかよ、俺達の人生
「おい、神宮司ー」
決着は刹那の内だった。渾身の力で振り下ろした大太刀が、虚しく空を切る。優に彼の数倍はある巨龍が、ほんの僅かなうちに空へと飛び上がっていた。もう間に合わない。無様に大地を転がりながら必死に逃げる彼を、飛龍の放った巨大な火球が無慈悲に焼き払った。もう限界だ。身体から黒煙を上げてのたうちまわり、彼はそのまま力尽きる。
そして御琴もまた、液晶画面に映る
「うあー……」
「なあ神宮司、お前のアドレス教えていい?」
康介は呑気な足取りで帰ってきた。テーブルを挟んだ反対側のソファに腰掛けると、手近な紙コップのストローをくわえながら携帯電話を弄り始める。
「誰に?」
「白石。白石智子」
敗戦後の処理が面倒になって、セーブもせずに携帯ゲーム機の電源を切る。あの飛龍に挑むのは一体何度目だろうか。牛に追われ、トカゲに突き殺され、怪鳥の唾液で溶かし殺されながら、ようやく辿り着いた本格的な龍の討伐ミッション。意気揚々と乗り込んでみれば、そこには今まで以上に過酷な戦いが待っているだけだった。まったく理不尽としか言いようがない。いくら流行とはいえ、やはりこの手のアクションゲームは彼の手には余るのだろうか。
ふと店内を見渡せば、遠くの席で中学生が同じゲーム機を振り回して遊んでいる。最近はどこのファストフード店でも、同じような光景を見かけた。聞こえる台詞から推測すれば、彼らが挑んでいるのは最終ミッションなのだろう。御琴が遠く及ばない、遙か天上のプロゲーマー達。
やり場のない悲しさを、しなびたフライドポテトで誤魔化す。
「……ごめん、誰だっけ、その人」
「白石だよ。同じクラスの、文芸部の。つかお前、もう負けたの?」
「あー……うん」
曖昧に頷いて、御琴は次なるフライドポテトを口に運んだ。
「弱。早過ぎるだろ、負けるの」
何か言い返してやろうとも思うが、見事に真実を指摘されてはどうにもできない。
白石智子とは一体どんな人物だったか。仕方なく、それを思い出そうとする。
「ほら。だから、あの明るいオタクだよ。ちょっと可愛いけどイタい感じの。ものの例えが全部アニメ、みたいな」
いまいち記憶が焦点を結ばない――浮かぶのは、黒いブレザーと赤と黒のチェックスカート。それは祥星学園高校の女子全員に共通する特徴だった。
「うん、まあ、いいよ。別に」
いずれにせよ、どうでもよかった。どうせ大したことではないだろう。
「んじゃあ、送信ー」
一つボタンを押しこんで、康介は携帯電話を胸元に仕舞った。くわえたストローから、勢い良くコーラを吸い出して、案の定派手にむせる。
気付くと、御琴は店の入り口の方、注文カウンターに連なる行列を視線で探っていた。ゲーム相手に興奮したせいか、身体が水分を欲している。
「何見てんだよ。言っとくけど、今日いねーよ。かわいい子」
康介がしれっと言ってのけた。
御琴がハンティングに熱中している間に、彼は一体何をしていたのだろう。あまり確認する気も起きなかったが、一応質問してみる。
「……狩りの成果は?」
「ダメ。全然ダメ。俺好みの子がまったくいねえ。いまいちだよ、今日の渋谷は」
短い髪をかきあげながら言い放つその不遜さは、清々しくさえ見えた。今まで、康介が意中の女性をナンパせしめたことがあるだろうか。康介と知り合って――つまりは彼らが祥星学園高校に入学してから、一度もそんな光景を見たことがない。
「そりゃ残念だったね」
御琴は適当に慰めを吐き出す。
実を言えば、淡い期待があった。康介が美幸と遭遇して、連れてきてくれるのではないか、といったような。別段そんな依頼をしたわけではなかったが、康介の人懐っこさなら何とかしてくれるのではないか、と。
ただ、彼女と再会したところで、何をどうすればいいのか御琴には分からなかった。というより、彼に何が出来るだろうか。姿を消した女子高生達に対して。
「マジやってらんねー。こんなんだったら、俺も受けりゃよかった。美人女教師の誘惑課外授業」
「……代わってあげたかったよ」
そこまで考えて、御琴は所持金がもうほとんど無いことに気付く。果たしてシェイク一杯買えるかどうか。
尻ポケットに入れていた財布を取り出してみた。酷く薄っぺらい。そして驚くほどに軽い。ほとんど皮革素材の重さしか、手のひらに感じない。
「どうだったのよ、実際」
「先生が泣きやむまで一時間。説教が一時間。寝不足のアドバイスが三十分」
彼は溜め息をついた。思い出すだけでも憂鬱になってくる。槇田響子という女性は、教師というより、むしろ生徒に近い。
「お前はさぁ、なんでそうなのかなぁ。そういうのがアレよ。いわゆるゲットチャンス。魅惑のFカップをゲットするチャンス」
「そうかな」
千賀や響子が、男性から見て魅力的な女性だろうということは、御琴にも理解が出来る。タイプの違いこそあるけれど。
「なんだよ。教師だって人間だろ。ましておっぱいの大きい人間だぜ」
しかしそんな彼女達が、わざわざ御琴を望んだりするものだろうか。彼にはそれが酷く非合理なことに思えてならない。
「なんか、よく分からないんだよ。そういうの」
彼にとっては雲を掴むような話だった。誰かに好意をもたれるという、そんな想像が。
「じゃあお前、何が楽しくて生きてんだよ」
行き過ぎた真剣さで、康介が言う。
御琴は笑った。
「バニラシェイク」
とにかく薄すぎる札入れを戻し、立ち上がる。飛龍にへし折られた心の回復には、一晩かかる。
更に言えば、これ以上渋谷にいても、美幸に出会える可能性は低いだろう。
「俺達みたいなのが、他に楽しいことなんてあんのか」
康介の言葉は、存外真面目な硬さがあった。それに気付いた瞬間、石をぶつけられたような気がして、御琴は動きを止める。
「なに、どうしたの」
「適当に毎日やり過ごして、意味あんのかよ。俺達の人生」
康介は真っ直ぐにこちらを見上げている。いっそ怒気を
一瞬、何を言われたのか理解が及ばなかった。御琴は戸惑う――彼の変化はあまりにも唐突だった。
訳も分からないまま、口を開く。
「いきなり、何だよ――」
と、電子音が耳を突いた。御琴の上着の中で、携帯電話が暴れている。
渡りに船、とまでは言わないにしても、彼は少しほっとした心地で電話を取り出し、通話表示をタップした。
『三‐C霧島美幸です』
それが電子メールの件名だった。
『突然メールしてしまってすみません。私のこと、憶えているでしょうか?』
忘れるわけがない。ありありと思い起こされる――埃に煌めく渋谷の夜、表情を無くした男達、無慈悲に叩き込まれるブーツのつま先、そして。
『突然だと思うのですが、今夜、もし時間があれば、もう一度会ってもらえないでしょうか。あの時のお礼をさせてください』
手を取り合って駆け抜けた路地裏と、悲壮なほど張り詰めたその横顔。
『ハチ公口の、大交差点にあるスターバックスで待っています』
待ち合わせ場所に渋谷が指定されているのが、意外だった。あんな危険に遭遇してなお、彼女はこの街を訪れるのか。
つと、画面から目を上げると、康介は睨むようにこちらを窺っている。
「……白石から?」
「いや」
答えたはいいが、二の句を継ぐ気になれず、御琴はスマートフォンをしまった。
「別の人だよ」
「なんだよー、隠すことねーだろ。お父さん応援するからさぁ」
いきなりだらしない表情を浮かべると、康介はやはり強引に肩を組んでくる。先程までの張り詰めた空気が嘘のように、上機嫌な声音で。
「誰だよー。なあなあ、話してみ? 俺に話してみ?」
「……何でもないから」
そう返しながらも、彼は自分が上の空であることに気付いていた。
奇妙な思いが胸に宿る。足元が浮き上がるようでいて、地べたを這いまわるような、上下さえ見失いそうな感覚だった。それは喜びと呼べばよかったのか、単なる興奮に過ぎなかったのか。御琴にはよく分からなかった。
ただ――意志を灯した少女の瞳だけが、はっきりと彼の中にあった。
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