1-6 なんと素敵な夜だろう
やがて六人の男女は速度を落としていき、ぴたりとその足を止めた。
少年と少女はその疾走を緩めることなく、細い路地を抜けて道玄坂の大通りへ飛び込む。文字通りの坂を駆け上がり始めると、その姿は間もなく人混みに紛れて消えた。
意志を持たない十二の瞳孔は、最早そこにはいない二人の影など気にも留めず、虚しく夜闇を捉えていた。誰一人、息さえ切らしていない。そもそも呼吸など必要ないかのように。
ありえない。いくら彼らが人形めいていたとしても、やはりそれは血肉の塊に過ぎないのだから。
その証左を示すかのように、六人は徐々に肩を上下させ始める。活動を止めていた肺や肺胞が目を覚ますと、とっくに酸欠を迎えていた全身が脈動する。ある者は膝をつき、またある者は地面に座り込んで、猛烈な大気への欲求と戦い始めた。荒々しい呼吸がいくつも折り重なっていく。
その様の、なんと美しいことか。鼓動する生命。駆け巡る血液の轟き。漏れる吐息が広げる波紋。
溜息を禁じえなかった。歯と歯の間から、唇の隙間からひっそりと空気の震えが零れ落ちていく。彼を構成する全ての細胞が一斉に喚き立てる。その渇望。その願望。胃の腑から全身へと、衝動は広がっていく。
ああ――
自分がそうと意識する前に、両手はそれを掴もうとしている。それに吸い寄せられるように、定まらない足取りで近づいていく。
ああ、ああ、あああああ――
何故自らがそうしているのか分からないまま、激しく胸を上下させている少女。
セーラー服の襟から垂れ下がった
薄く張りつめた乙女の肌、その下に息づく深紅の脈動、みっしりとした細胞群。
あああ、ああああああああああ、あああああああああ――
喰らいつくと、皮膚と筋繊維が裂けるぷちぷちという感触が歯に伝わった。
あ、あ、あ。あ、あああああ、あ――
叫びは、悲鳴なのかさえ分からなかった。喉笛の震えは、怨嗟の声のようでもあったし、隙間風の囁きのようでもあった。
頸動脈から溢れ出す鮮血は甘く、狂おしいほど芳しい。少女は手を首に巻きつけて、必死にそれを抑えようとする。噴水のように天を突く勢いは、指先を巻き込んで弾けるばかりだったが。華奢な四肢が小刻みに痙攣する。
じっくりと顎に力を込め、彼は細い首を噛み千切った。頚椎特有の歯応えと食感。胴体が一段と大きく震え、アスファルトへ落ちる。血液が跳ねて、微かな音がした。
口に残る肉と骨を転がし、脂肪を舐めとる。なめらかな風味が、一層の恍惚を誘った。
ああ、ああ――
深く、深く、息を吐く。止め処ない歓喜を。
彼は空腹だった。甘美な食事はむしろ、忘れかけていた彼の食欲を呼び覚ましたような気さえする。衝動は、ほとんど飢餓に近い。
少女の身体は、頭部を失ってなお微かに震えている。彼は無造作に掴み上げ、腸の辺りに噛みついた。柔らかく弾性のある薄桃を咀嚼しながら、眼球だけで周囲を観察する。
残された五人の反応はまちまちだった。女が表情をひきつらせたまま座り込んでいる。路面を舐めるようにひれ伏して――命乞いか何かだろうか――震える男。彼の存在に気付かず、ひたすら呼吸を静めようとしている少年もいる。
ああ――
なんと素敵な夜だろう。思わず神への謝辞さえ心に浮かぶ。だが、すぐに思い直す。今や彼こそが、神そのものなのかもしれない。この夜も、闇も、
細く伸びやかな少女の指を口の中で弄びながら、彼はじっくりと思索を巡らせる。
次はどれを食べようか――
足元の血溜まりに、小さな波紋が浮かんだ。
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