Turn6 行峰フェイズ
それは、僕が中学二年の時のことだった。
「あのさ、義堂」
自宅である安アパートの一室で、母さんは僕に声をかける。
「なに? 母さん」
「実はね……」
そして、母さんは僕の目を見て、言った。
「母さんね、再婚しようかと思うの」
「え……?」
それは、言うまでもなく僕の生活が変わることを意味していた。
僕が三歳の頃、父は交通事故で亡くなったらしい。僕自身はそのことをほとんど覚えてはいなかったが。それからというもの、母さんは女手一つで僕を育てるために相当な苦労をしていた。当然だ。僕を養うために、仕事も家事も全く手を抜くわけにはいかなかったのだから。
そんな母さんの背中を見て育った僕は出来る限りの支えをしようと、小学生の頃から身の回りのことや家事を積極的に覚えるようにした。だがそれでも、まだ働けない僕を養う母さんの負担を十分に減らすことは出来なかった。
母さんは僕に口では言わなかったものの、相当に辛かったはずだ。
そんな中で現れた、再婚の話。
「その、お相手なんだけどね。母さんよりも少し年上だけど、とってもいい人なの。優しい言葉をかけてくれるし……」
僕の母さんは身内のひいきを差し引いても美人だと思う。最近はさすがに年齢が顔に出てきてはいるが。しかし、例え子持ちだったとしても、結婚を持ちかける男性がいてもおかしくはなかった。
だが、母さんは父のことをまだ忘れてはいなかったから、再婚をすると言い出したのは意外ではあった。
だけど、僕はすぐに再婚の理由を知ることになる。
「それと、その人はその町では結構有名な資産家なのよ」
――そう、母さんはやはり疲れていたのだ。僕という重荷を抱えて生活をするのに。
だから再婚の話を承諾した。だけど僕はそれを悪いこととは思えない。現実的な話、生活していくにはお金が必要だし、僕と母さんの幸福を考えれば妥当な決断ではある。
だから僕は、こう言った。
「うん、僕も賛成するよ」
こうして僕から慣れ親しんだ名前である『斉藤義堂』が剥がれ、代わりに新たな名前である『行峰義堂』が貼り付けれることになった。
だけど、親の再婚というものは僕が思う以上に様々な問題があった。
「初めまして、息子の義堂です」
「……ああ」
初めて会った時からわかった。父さんは母さんしか見ていないことに。当然と言えば当然だ。そもそも母さんを好きになって結婚することにしたのだから。
だけど、それを考えても父さんは全くと言っていいほど僕を受け入れていなかった。それこそ、『金を払って生活させてやっているのだから文句はないだろ』と言わんばかりに。
確かに母さんが再婚したことで、僕の生活は一変した。安アパートから移り、大きな一軒家に住めることになったし、母さんも仕事を変えて、負担が少なくなった。
だけど僕はと言うと、住み慣れた町を離れて田舎の町に引っ越すことになったことに抵抗は感じていた。当然のことながら、三年生から学校も転校することになった。
そして最大の問題は、周りからの呼称だった。
「行峰くん」
「行峰」
「おう、行峰」
母さんが再婚する前からわかりきっていたことではあったが、自分の名字が変わることは僕の予想以上に違和感があるものだった。ましてや、僕を受け入れていない父さんの名字で呼ばれることには尚更。
だから僕は、次第に思い悩む自分を助けてくれるヒーローの存在を空想するようになった。大きな体で、紳士のように優しく僕を包み込んでくれるヒーローが。だからそのヒーローのイメージは大柄でスーツとコートを着た紳士のような姿になった。しかし顔だけはどうしてもイメージできなかった。
そしてある日、学校でそのヒーローや女性キャラのイラストを描いている時だった。
「何やってるの?」
僕に一人の女子が話しかけてきたのだ。髪が短く、ツリ目で、なんというか男勝りという言葉が似合いそうな女の子が。
正直に言えば、少し苦手なタイプだった。僕はどちらかというとおしとやかな女の子の方が好みだったから。そして、その女子は見た目に反しない行動を取ってきた。
「いやだなあ~! 君が私を好きになるって!? そんな、そんなのあり得ないって!!」
僕が何気なく言った言葉に何故か彼女は大きく反応して、僕の背中をバシバシ叩いてきたのだ。
その行動で彼女が怖くなってしまった僕は、思わずその場から逃げ出してしまった。
だが後日、彼女は僕に謝ってきた。そして、僕と友達になりたいと言い出した。
僕としては少し躊躇したが、この町に来てから友達というものがいなかったし、彼女もこの前の行動を反省していたようだったので、その申し出を受けることにした。
だが問題は、ここからだった。
「それで、僕の名前は……」
「斉藤くん、だよね?」
「え?」
「あ、ごめん。スケッチブックに名前が書いてあったから……」
「……そうですか」
久しぶりに呼ばれたその名字。
『行峰』と呼ばれることに違和感があった僕は、ここで彼女の間違いを修正する気にはならなかった。それどころか、何も知らない彼女なら、僕を『斉藤義堂』として扱ってくれるという思いを抱いてしまったのだ。
だから僕は『天青素子』と名乗った彼女に『斉藤義堂』という名前を教え、連絡先にもそう登録させた。
そして僕と彼女は一緒に遊ぶようになった。彼女のスポーツ用具を買いに行ったり、一緒にスポーツをしたり、カラオケに行ったりもした。
だが頻繁に遊んでいるうちに、僕は彼女への苦手意識を蘇らせてしまった。
一緒に遊んでいてわかったが、彼女は我が強い性格だった。自分のやりたいことや好きなものをはっきりと主張し、それに向かって突き進んでしまう性格だった。そして突き進むときに、彼女はあまり周りを見ない。そう、僕の都合や気分などを考えずに、頻繁に僕を呼びだして一緒に遊ぶことを提案したのだ。僕がそれにうんざりしていたのも知らずに。
だけど僕はそんな彼女に強く出ることが出来なかった。この町に友達がいない僕は、彼女に嫌われることを極度に恐れていたからだ。だから彼女の行動に振り回されながらも、一緒に遊ぶことを断れなかった。
さらに別の問題もあった。そう、彼女に僕の名前を知られることだ。
彼女は僕を大切な友達だと思っている。そんな彼女が僕に名前を偽られていたと知ったらどう思うだろうか。
決まっている。僕を激しく問いつめるだろう。
僕はそれが怖かった。彼女に激しい怒りをぶつけられるのが怖かった。そして、彼女との関係が無くなるのも怖かった。だから僕は、名前を打ち明けることが出来ないでいた。
しかしある日、ついに彼女は僕の秘密を知ってしまう。
僕は町外れの神社に毎週お参りに行っていた。父さんとの関係、天青さんとの関係、それらの人間関係を何とか上手くいくように藁にも縋る思いで願っていたのだ。だがその日、僕がお参りに行く日に合わせて、天青さんに神社に呼び出された。
何故彼女がお参りのことを知っていたのか疑問にも思ったが、途中で缶コーヒーを買いつつ、いつも通りその神社に行くことにした。
そして天青さんは、僕に告白をしてきた。
正直言って、憂鬱だった。女の子に告白をされたこと自体は嬉しかったが、天青さんはあまりタイプでは無かったし、友達としか見れなかったのだ。それに今まで彼女に振り回されていたこともある。告白を受ける気にはなれなかった。
だけど、きっぱり断るのも怖かった。自分の思いを突っぱねられた彼女がどんな反応を見せるかが想像できてしまったし、承諾するまでしつこく告白されるかもしれないと思ってしまった。
だからしどろもどろになってしまった僕に対し、天青さんはついに僕の秘密を知っていることを打ち明けた。
『行峰義堂』。その名前が彼女の口から出てきた時は、身体が激しく震えて生きた心地がしなかった。恐れていたことが起きてしまった、そう思わざるを得なかった。
「どうして!? どうして私に本当の名前を教えてくれなかったんだ!」
そして予想通り彼女は僕に激しい怒りをぶつけてきた。さらには僕の顔を平手で叩いた。
「なんだよ……私一人で舞い上がって……すごい、バカみたいじゃないか……」
その時、僕の頭の中である考えがグルグルと回った。
『バカみたい』? ああそうだ、なんで僕は彼女にこんな振り回されてなければいけないんだ。こんな、全く僕の気持ちを考えずに一人で突っ走る女に。あげくの果てに彼女は僕を叩いた。なんで僕がここまでされないといけないんだ。
そして、僕の感情がついに爆発した。
「うるさい、うるさいんだよ!」
「さ、斉藤くん?」
「ああそうだよ! 僕は『行峰義堂』だよ!! もう僕はその名前なんだ!! 君にはその名前を教えたくは無かったけどね!!」
そうだ、僕にとって彼女は、僕を『斉藤義堂』として認識してくれる友達、それ以上の存在ではない。そして彼女が『行峰義堂』という名前を知った以上、彼女にこれからも付き合う義理はない。
「大体君はなんだよ! 勝手なことばかり言って! 自分のやりたいことばかりやって!! 僕はそれに合わせてやっていたのにもううんざりだ!」
「そ、そんな……」
「もう終わりだね、君は僕を『斉藤義堂』と認識してくれたから付き合ってあげたけどもういい。さよならだ」
そう、もう終わりだ。もしかしたらいい機会だったのかもしれない。彼女とは別の学校なわけだし、会わないようにするのは容易だ。これからは自分の学校で新しい友達を作ろう。
「待ってくれ! 悪かった、私には君しかいないんだ! 私は君を……」
「うるさい!」
「あっ……」
この期に及んで縋りついてくる彼女を心底うっとうしく思った僕は、思わず突き飛ばしてしまう。
それが、いけなかった。
「がっ……」
「……え?」
突き飛ばされた彼女は神社の階段の角に頭をぶつけ、頭から血を流し始めた。
「え、あ……」
なんだこれは。これはどういう状況だ。天青さんは頭から尚も血を流し続けて、身体を痙攣させている。
「あ、ああ……」
そして次第に、自分のしたことが何を意味するか認識し、顔がひきつってしまう。そうだ、僕は……
天青素子を、殺した。
「ち、違う、違う……」
頭に浮かんだその事実を必死に否定する。違う、僕は悪くない。彼女が悪いんだ。彼女がこんなところで僕に縋りついてきたのが悪いんだ。
でも周りはそう受け取るか? 皆にはなんて説明する? 彼女が勝手に転んだと言うか? でも、バレたら僕はどうなる?
『人殺し』『卑劣漢』『凶悪犯』『人でなし』
頭に浮かぶ、僕を追及する言葉。それらが僕を否応無く追いつめる。
いやだ、そんなのはいやだ。違うんだ、僕はやっていないんだ。
そして僕は、願ってしまった。
誰か、この場にもう一人の別の人物がいたんだ。そいつが天青さんを殺したんだ。そうであってくれ。それが事実であってくれ。
そして僕は、地面に転がった缶コーヒーに描かれているリサイクルマークを見る。
そうだ、やり直させてくれ、もう一度『リサイクル』させてくれ。彼女は別の人間に殺された。僕ではない別の人間に殺された。そういう事実を改めて作ってくれ。
その願いが頭に浮かんだ瞬間――
「あ、ぐ、あ……」
僕の中から……何かのマークと共に大柄の人間のようなものが出てきた。
『ケテ、ケテ、ケテ……』
その大柄の人物は帽子にトレンチコートにスーツ、そしてリサイクルマークが描かれた覆面を被っていた。
「はあ、はあ、はあ……」
大男が僕から完全に独立した後、彼は天青さんを身体の中に取り込んでいく。
「あ、ま、待って!」
反射的に手を伸ばしたが、天青さんは既に全身を大男の中に取り込まれていた。
「そんな……」
『待って、そんな』
そのノイズがかった声を聴いた直後、激しい疲れが身体にのしかかり、僕は気絶した。
……そして僕は、自分がやったことの記憶を全て封印し、代わりに『親友』が何者かに連れ去られたということにした。
――フェイズ終了――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます