Turn2 天青フェイズ
それは、私がまだ勘違いしていた頃の出来事。
「本当にみっともないね、あんたら」
私が投げかけた言葉によって、目の前にいるクラスの女子グループが固まるのがわかった。彼女たちだけじゃない、そのグループに属していない女子も、男子も、まだ教室に残っていた私以外の生徒全員が固まった。
だがしばらくして、グループのリーダー格の女子が私を見て笑い出す。
「はあ? 何言ってるのアンタ?」
その表情は、私を愚かだと決めつけて見下しているが故の表情だ。自分の優位を疑っていないから出せる表情だ。
確かにそうだろう、彼女のグループは所謂クラス内での発言権が強いグループ。対して私は、その性格からクラス内でどのグループにも属さず女子の友達も少ない存在。権力が強いのはどちらなのか、誰の目にもわかることだ。
それでも私は、言いたかった。
「みっともないって言ったんだよ。その歳になっても他人の悪口でしか盛り上がれないなんてさ」
事の発端はこうだ。
授業が終わり、部活に行く生徒やさっさと下校する生徒が教室を出る中、ちょっとお喋りしたい生徒たちはまだ教室に残っていた。そして私は急に部活が無くなった上に、直ぐに帰る気にもならなかったために教室に残っていた。
その私の横で、件の女子グループが話をしていたのが聞こえたのだ。
「あの娘ってホント、ダサイよね~。私服見たことある?」
「見た見た。あの組み合わせはないよ。ファッション誌とか見たことないんじゃないの?」
「よく考えたらさ~。あいつってダサイくせに生意気じゃない? 上から目線っていううか」
「わかる。ちょっと調子乗っているよね~」
話を聞く限り、話題になっているのは彼女たちと同じグループに属し、今は部活に行ってこの場にいない女子についてのようだ。同じグループに属していても、本人のいないところではこんなもの。今会話している彼女たちもお互いの悪口を言っていたのをそれぞれ別の場所で見たことがある。
私はそれが気にくわなかった。どうせ本人にそれを言わずに表面的に仲良くしているのに、相手が自分に都合良く対応してくれるのを一方的に望むその姿勢が。
なぜ本人に言わないか。おそらくは彼女たちは責任を負うのがいやなのだ。自分が相手に意見を言ったことで、グループが崩壊したりケンカになったりして、その責任を自分が背負うのがいやなのだ。だから自分からは言わずに、相手が気づいて自分に合わせてくれるのを望んでいる。
そんなこと、起こり得るわけないのに。人は他人の心の中は覗けない、何かをして欲しいなら相手に言葉を放つしかない。
私は違う。私は言いたいことがあるならはっきり言うし、何か要求があるなら相手に直接言う。
だから今回も彼女たちにはっきり言ってやった。そうしたらこうなったわけだ。
「あんたさあ、何偉そうなこと言ってるの? 自分の立場わかってる?」
リーダーの女子が私に迫る。周りにいる女子も、『こいつはバカだな』と言いたそうな表情で私を見ている。
彼女が言う『立場』とは、社会的な立場ではなく所謂『スクールカースト』という階級に沿った立場のことだ。つまりこう言いたいのだ、『お前は私に逆らうことが許される立場ではない』と。
だけど私はそんなことは知ったことではない。間違っていることにはきっぱりと間違っていると言うべきだ。ここで引くつもりはさらさら無かった。
「立場? あんたと同じクラスの女子。それ以外の何者でもないよ」
「……へえ」
リーダーの女子は私の態度に対し、意味深な笑みを浮かべる。
「その割には偉そうなこと言ってるね。あんたにそんなこと言う権利あると思ってんの?」
「あるよ。だってあんたらがみっともないのは事実だし」
「みっともない? ただ話をしてただけでしょ?」
「話の内容がみっともないんだよ。人の陰口ばっかで」
「なにあんた? いい子ちゃんぶりたいの? こんなことみんなやってることでしょ?」
「みんなやっているから自分もやっていいっていう考えは幼稚だとは思わないの?」
教室内に緊迫した空気が漂う。周りの生徒や、リーダーと同じグループの女子たちも不安そうな表情になってきた。
だけど私は引き下がるつもりはない。おそらくは相手もそう。私は自分の意志を貫き通すため。相手は安っぽいプライドのために。
「はいはい、そこまで」
そのとき、教室内に手を叩く音が大きく響いた。
その音に振り返ると、国語を教えている女性教師、返崎先生が教室に入ってきていた。
「なんか随分と物々しい雰囲気になっているじゃない。先生としては、もう少し楽しく学校生活を過ごして欲しいかな」
返崎先生は私たちの間に割って入る。
「先生には関係ありませんよ」
どうしても私は自分の考えが間違っているとは思わなかったたので、返崎先生に話が流されてしまうことが納得いかなかった。だから生意気な口を利いてしまった。
しかし先生は私の言葉をものともしなかった。
「関係あるのよ。教師っていうのは学校で起こった出来事全てに責任を負うの。もし私に割って入られたくなかったら、卒業してから存分に喧嘩しなさい。学校にいるうちは、関係ないなんて言わせない。まだ一人前じゃないあなたにそんなことを言う資格はないわ」
「でも、私の言っていることは……!」
「文句が言いたいのであれば私に言いなさい。もちろん木原さんもそう。それで気が済まないのであれば、私を殴るなりなんなりしなさい」
「そんなの……!」
先生は関係ない、と言おうとしたが、先ほどそれを否定されたばかりなので口をつぐむ他無かった。
「とにかく、とりあえずこういうことになった経緯を教えてくれるかしら?」
そして私とリーダー格の女子――木原という名前らしいが、失念していた――はそれぞれ別々に先生に話を聞かれることになった。
十数分後。
「じゃあ今度は天青さん、入ってきなさい」
先に木原と話していた先生は私を廊下で待たせていたが、しばらくして木原を外に出し、私を教室の中に招いた。
教室に入って席に座るなり、私は言い放つ。
「先生、私は間違っているとは思いません」
それは私の本心である。今回のことで私の意見を曲げる気はない。
そして事の経緯を話す。木原たちが同じグループの女子の陰口を言っていたこと。私がそれをみっともないと注意したこと。木原がそれに対して私に脅しをかけてきたこと。先生はそれらを黙って聞いていた。
「どうですか? 私は間違っていませんよね?」
一通り話した後、先生に確認をとるように質問する。
それを受けて、先生はようやく口を開いた。
「うん、間違っていないと思うよ」
その言葉に安堵した。返崎先生はちゃんとわかってくれている。
「別に正しいとも思わないけど」
その直後に、私の安堵は一気に衝撃へと変わった。
「ど、どういうことですか?」
「そのままの意味よ。別にあなたの言葉は正しくも間違ってもいない。ただの一意見だということ」
どうして、そんなことを言うんだ。この人ならわかってくれると思ったのに。
「私は、木原さんたちは間違っていると思います。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、それをしないで相手に望む通りに動いて欲しいなんて傲慢ですよ」
「うん、そうかもね。でもそうじゃないかもしれないね」
「そんな適当な……」
「適当じゃないわ。天青さん、あなたは相手に望む通りに動いて欲しいと思うのは傲慢だと言ったね? でもあなたも自分の意見を相手に押しつけようとしているよね?」
その言葉に思わず口をつぐむが、それでも納得はいかなかった。
「……じゃあ、木原さんたちが正しいって言うんですか!?」
「これはそんな単純な話じゃないの。そもそもね、学校という場に限らず、人が多く集まる場所で意見がぶつかるのは当然のことなの。皆、それぞれの意見を持っているのだから」
「それは、そうだと思いますけど……」
「でもね、意見がぶつかった時に相手の意見をある程度受け入れなければお互いに先に進めないの。今のあなたたちのようにね」
「じゃあ、木原さんの意見を受け入れろと?」
「それも違うわ。どうしても相手の意見を受け入れられないときはあるとは思う。そういうときはね……」
そして、先生は言う。
「関わらなければいいの」
私の思想を覆す言葉を。
「関わらないって……木原さんのやっていることを放置するってことですか!?」
「もし木原さんが明確に相手を傷つけるようなことをするようだったら、それは私たち教師の出番。少なくともあなた一人でどうにか出来る問題じゃないわ」
「だからって……!」
「あのね天青さん、あなたはこれまでの人生を過ごした中で、自分の考えを持った。でもそれは木原さんたちも同じのはずよ」
「……!」
確かに……そうかもしれない。
「あの子が自分の考えを正しいと思うのであれば、それを変えることは誰にも出来ない。たとえどんな言葉を投げかけたとしても、自分が正しいか間違っているかを判断するのは自分にしか出来ない。それは皆、あなたも、木原さんもそう」
「……」
「でもね天青さん、あなたは真っ向から木原さんを否定した。彼女が間違っている前提で話を進めていた」
そうだ、私は……
「いくら正しかったとしても、そんな人の言葉を聞き入れたいと思う?」
私も相手を思い通りにしようとしていただけだったんだ。
何も変わらない。陰口を言って、他人を排除しようとしていた木原と何も変わらない。私も今の考えを持った木原を強引に排除しようとしていたんだ。
「先生……!」
気がつくと、私は両目から涙を流していた。返崎先生は私に真剣に言葉を投げかけてくれた。私を真っ向から否定はしなかった。なんて、なんて優しいのだろう。
「天青さん、あなたはまだ若い。これから色々な経験をするでしょう。そうした中で、自分の考えを持って相手と真剣に向き合いなさい。それは今すぐじゃなくていいの」
「はい……!」
返崎先生は私とは違う。まさにおしとやかで優しい先生。私はこうはなれない。
でも、それでも私は。
返崎先生のようになりたいと、この時思ったのだ。
自室のベッドで過去を振り返っていた私は、一昨日と今日のことを思い出す。
土曜日、私は初対面にも関わらず斉藤くんに失礼な態度を取り、彼を傷つけてしまった。返崎先生ははっきりと物を言えるのは私の長所だと認めてくれたけど、やはりあの時の私は対応を間違えたのだ。
彼に謝りたい。いやそれだけじゃない、彼にもう一度会いたい。私と仲良くなる未来を考えてくれた彼に会いたい。
だけど、いいのだろうか。あんな態度をとってしまった私が彼の前にもう一度現れたらもっと事態が悪化するのではないだろうか。そもそも私は彼の連絡先すら知らない。あの学校に行けば会えるだろうが、クラスも学年もわからない。下手に探ろうとしたら、それはもはやストーカーだ。
散々悩んだ末に、私は明日もう一度返崎先生に相談することにした。
「え? その男の子に会いに行きたい?」
職員室で私の相談を受けた返崎先生は、目を丸くしてそう言った。
「やっぱり、変ですかね……」
落ち込む私に、先生は笑いかける。
「いや、そういうわけじゃないのよ。ただ、天青さんがわざわざ他校の男の子に会いに行きたいなんて、ちょっと意外に思っただけ。そうかあ、そういう時期かあ」
「か、からかわないでください!」
思わず顔が赤くなってしまった。
「ごめんなさい、真剣な話だものね。確かにね、その子はまだあなたに会うのは気まずいかもしれないね」
「う……」
「でもね、これは私の個人的な意見なんだけど……」
落ち込む私に、先生は声をかける。
「かわいい女の子が自分に会いに来たなんてシチュエーションを嫌がる男は滅多にいないと思うわよ」
その励ましを受け、私はもう一度斉藤くんに会いに行くことを決意した。
放課後。
部活を休み、再び斉藤くんのいる学校を訪れた私だったが、どこを探せばいいか見当もつかなかった。そもそも私は制服姿だ。他校の制服を着た女子が学校にいたら怪しまれるだろう。
どうしたものかと思っていたが、校門の外からグラウンドを眺めていると、土曜日に会った場所と同じ所に斉藤くんが座っていた。
それを見て、いてもたってもいられなくなった私は教師に見つからないように警戒しながら、斉藤くんに近づいていった。
彼に近づき、その姿が明確になっていくに連れ、緊張が高まっていく。心臓が高鳴り、喉が乾いていく。それでも私は、彼に謝ると決めたのだ。彼はまだ私に気がついていなかったが、意を決して声をかけた。
「こ、こんにちは!」
口から出たのは、私が発したものとは思えないほど裏返った声だった。さらに結構大きな声になってしまったため、斉藤くんは小さく跳ね上がってこちらを振り向いた。
「あ……」
彼も私が誰か気づいたようだ。一瞬、目を丸くしたと思うとすぐに顔を逸らしてしまった。
……やっぱり、いい印象は持たれていないみたいだ。
「あ、あの」
「ごめんなさい!」
「え……」
私が謝罪しようとする前に、彼が謝ってきた。
「土曜日のこと、ですよね? 本当にごめんなさい。僕が、変なことを言ってしまって……」
違う、そうじゃない。謝るのは私の方なのに。
しかし、こういう時に限って、私の口からはっきりした言葉が出てこない。
「本当に申し訳ありませんでした。僕のこと、好きなだけ怒ってくれていいです」
彼は辛そうな顔で、私の言葉を待っている。
本当に彼は私に真剣に接してくれているんだ。だから私に謝ってくれたんだ。だから自分を責めているんだ。
それを悟った私は、決意を固めた。
「謝るのは私の方だよ」
「え?」
「あなたに失礼な態度を取ってしまったこと、本当にごめんなさい」
……言えた。
やっと言えた。この数日間、ずっと心に留まっていた言葉を言うことが出来た。
この言葉を言うのに、どれだけ遠回りをしたことか。だけど結果的に言うことが出来た。
「あの、失礼な態度って?」
「私が初対面のあなたに対して背中をバシバシ叩いてしまったことだよ」
「あ、あれはその、気にしては……ないです」
気にしてはいない。彼がそうだとしても、私は謝らないといけなかった。
「私ね、本当にあなたの言葉が嬉しかった。あなたが私の質問に真剣に答えてくれたことが嬉しかった。なのに素直になれなくてあんな態度を取ってしまったことをずっと後悔していたんだ」
「……」
彼は土曜日のことを思い返しているようだった。そして、思い出したようだ。
「別に、大したことは言ってないです」
「だとしても、私は本当に嬉しかった。そして、あなたに失礼な態度を取ったことを本当に後悔したんだ。だから、謝りにくることにした」
「……」
「本当に、すみませんでした」
私は深々と頭を下げる。
「……すごいですね」
「え?」
頭を上げた私は、彼の言葉に驚く。
「自分の間違いを認めて、それをうやむやにしないでこうして他校に来て僕に謝ってくれる。あなたこそ僕のことを真剣に考えてくれていると思います」
彼の言葉を噛みしめる。なぜだろう、彼の言葉を一語一句聞き漏らしたくない。
「あのさ」
「はい」
「もしよかったら、お友達になってくれないかな」
「え?」
自分の発した言葉に驚く。私は何を言っているのだろうか、そもそも彼は私の名前すら知らない。それなのに、友達になってくれるわけがない。
自分の発言を取り消そうとした私に、彼が返答した。
「あなたがよければ、喜んで」
「え……?」
「そして、先ほどの謝罪の言葉を受け入れます。僕は、あなたを許します」
「あ、あ……」
口から出る声は、言葉にならない。彼の友達。私はその立場を手に入れたんだ。
その事実が、その快挙が、喜びとなって私の体を駆けめぐる。
「あ、ありがとう……」
ようやく出た意味のある言葉は、とてもありきたりな言葉になってしまった。そうじゃない、私はもっとあなたに喜びを伝えたい。
しかし彼は、真摯に対応した。
「どういたしまして」
微笑んだ顔から出たその言葉は、彼の人柄を如実に表していた。
ああそうだ。だから私は彼と友達になりたかったんだ。私の言葉を真剣に受け止めてくれる彼と友達になりたかったんだ。
「すみません」
「はい」
「お名前を聞かせてもらえますか?」
「う、うん」
私は彼に、はっきりと名乗る。
「天青……素子です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。それで、僕の名前は……」
そしてこの後、彼と私は連絡先を交換した。
私も彼のフルネームを知ることになったが、彼の下の名前は少し難しく聞き慣れないものだったため、しばらくは『斉藤くん』と呼ぶことにした。
本当に良かった。彼と友達になれたんだ。本当に良かった。
家に帰っても、今日の出来事を何度も思い返した。彼にメールを送ろうとして何度も試行錯誤した上にようやく送ったメールは、とても無難なものになってしまった。
今日は記念すべき日になるだろう、これから私は彼と幸せな時間を過ごすのだろう。そう信じて疑わなかった。
だけど私は、わかっていなかった。自分のこと、そして、この世にはどうしようもない『悪意』が存在すること。
だからだろう。
私たちがこの後、悲劇に向かってしまうことを私はまだ考えもしなかった。
――フェイズ終了――
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