Turn1 天青フェイズ


 今日も練習が始まる。特に思い入れのない、練習が。

 

「えー、それでは。今日もいつも通りのメニューを行います。まずは外周を5周!」


 顧問の教師の号令で私たちは惰性に近い動きで校門の外に行き、『外周』と呼ばれる学校の敷地内の周りを取り囲むコースを走り始める。


「……」


 走るときに特にかけ声などはない。うちの陸上部は別に強豪というわけでもない。どちらかといえば弱小だ。県大会など夢物語だ。

 なので部員も別にそこまで陸上競技が好きというわけでもない。外周を走る女子たちも、走りながらお喋りをしている有様だ。

 そんな中で一人先頭を走る私、天青素子あまお もとこはお喋りをするでもなく黙々と走っていた。

 別に真面目にやっているわけではない。不真面目な他の部員に憤っているわけでもない。ただ私は、この部に溶け込めていないだけだ。


「そういえばさ、天青さんってまた男子とケンカしたらしいよ」

「マジで? 全く、男なんかとケンカするなんて時間の無駄でしょ。ダサいし」


「……」


 聞こえていないと思っているのだろうが、本人たちが思うより大きな声を出している後ろの女子たちの会話は丸聞こえだった。しかし、確かに彼女たちの言うとおり、すぐ他人と言い合いになってしまうのは時間の無駄なのではないかと私自身も思っている。

 私は俗に言う、『男勝り』な性格をしているらしい。確かに髪も短いし、同年代の女の子が興味を持つような化粧や恋愛沙汰にもあまり興味を持てない。その代わりスポーツは得意で、見るのも好きだ。だからよく男子とテレビのスポーツ中継の話で盛り上がったりする。

 しかし、この年代の女子というのは往々にして、『普通』とは外れている者を排除しようとする傾向にあるらしい。そしてこの場合の『普通』とは、自尊心を隠して他人の可愛さを賛美し、いかにカッコいい男子と付き合ったかという『功績』を称え合う行動を指すらしい。

 彼女たちがそのような行いをするのは、もちろん自分のためだ。自分は相手を誉めてやったのだから、相手はその倍くらい自分を誉めるべきだという思考からくるものだ。

 その一方で、私は自分の意見を正直に言ってしまうタイプだった。そこが『男勝り』と思われる最大の原因なのだろうが、とにかく私は他人に媚びを売るという行為に馴染めなかった。だからこそ、男子相手と口ゲンカになっても決して引くことはないし、女子同士の馴れ合いに入り込むことも出来なかった。

 別に私の行動が正しいわけではないとは自分でもわかっている。だけど、そんな自分をコントロール出来るほど、私はまだ大人ではなかった。

 そんなわけで私は、所属する女子陸上部の部員たちの輪にとけ込めずに、こうして一人で練習することが多くなった。



 特にキツイわけでもない練習が終わると、教師が部員たちを集めてミーティングを始める。

 

「はい、今日も練習お疲れさまでした」


 その声に続いて、部員たちが特に大きくもない声で、「お疲れさまです」と返す。お喋りの時は不必要なまでに声が大きいのに、大きな声を出すべきときには出ないのが今時の女子らしい。


「えー、それでは。明日の土曜日は予定通り、合同練習を行います」


 合同練習。そういえばそんなことを言っていたな。

 うちの学校の陸上部は、すぐ近くにある他の学校と定期的に合同練習を行っている。他の学校の部員と練習をすることでお互いのレベルアップを図ろうという趣旨らしいが、向こうの陸上部も弱小なのであまり意味は無い。

 しかし、いつも同じような練習ではモチベーションが上がらないのも確かなので、部員たちは合同練習に肯定的だった。

 私としては特に向こうの学校にも友達がいないので、合同練習と言ってもただ同じことをやるだけになり、さしたる思い入れも無かった。



 翌日の土曜日。


 今回はうちの部が向こうの学校のグラウンドを借りる番だったので、授業が終わった後、私たちは全員で向こうの学校に歩いていくことになった。

 目的地に向かう道中、私は何気なく町並みを見回す。

 私が住む町は、所謂『田舎町』と言っても過言ではないほど栄えていない。人口も隣の市に比べれば圧倒的に少ないし、特にこれといった特産物もない。実際はあるのかもしれないが、住民にすら知られていない特産物などたかが知れている。

 当然のことながら高いビルはおろか、繁華街もない。辺りを見回せば田んぼや畑ばかりで遠くには山も見える。

 だけど私はそのことに不満は持っていなかった。所謂『普通』ではない私が都会に行ったとしても、今以上に奇異の目で見られることは想像に難くなかったからだ。だから私はここでいい。この町でいい。



「久しぶりー!」

「きゃー! 元気だったー!?」


 学校に到着すると、うちの部員も向こうの部員もはしゃぎながら再会を喜ぶ。といっても、別に一ヶ月ぶりに会っただけだし、そこまでお互いの学校が離れているわけでもないので、会おうと思えばすぐ会える。

 しかし、こうして大げさに喜ばないとお互いに気まずいのだ。皆、自分は相手と仲がいいということを証明しないと、自分からも他人からも奇異の目で見られてしまうのだ。


 『こいつ、友達いないんじゃないのか』と。


 そしてそんな嘘だらけのイベントに参加しない私は、当然のことながら奇異の目で見られた。その目は、外れた者を侮蔑するためのものなのか、それとも、自分や他人を騙すイベントに参加しなくていい私への嫉妬なのだろうか。それはわからない。 

 そして練習が始まっても、彼女たちは相変わらずお互いの仲の良さをアピールしていた。自分はいかに相手のことを考えているか。いかに自分たちの友情が深いか。いかに相手は自分のことを思ってくれているか。それを必死にアピールしていた。


 正直言って、気持ち悪かった。彼女たちの関係に真実が一つもないように見えたから。

 彼女たちが大事なのは自分だけなのに、そういった自分の醜い部分から必死に目をそらしているようだったから。



 かつては、そんな関係を否定して彼女たちとぶつかったりもした。私の意見を貫き通すことこそが正義だと勘違いしていた時期もあった。

 だけど今は私と彼女たちの間にはお互いに不干渉でいようという暗黙の了解が成り立っている。その方がお互い平和だと考えたから。


 なんのことはない。私が彼女たちの関係を侮蔑するように、彼女たちも私の生き方を侮蔑しているのだ。


 そして、私はそのことを特に悪いことだとは思わないようにしていた。そう思いながらも、私は尚も自分の意見を心のどこかで正しいと思い続けていた。

 だからなのだろう、この後出会った『彼』に感銘を受けることになったのは。




 午後四時ごろ。

 合同練習が終わり、用具の片づけが終わると現地解散となった。

 と言っても、そのまま帰る部員はほとんどいない。友達との楽しい会話を続けるために学校に残っている人がほとんどだ。

 本来ならそんな相手などいない私はさっさと帰るところなのだが、なんとなく学校の中をうろついていた。

 

 そして、グラウンドに面した校舎の前に座っている、一人の男子を見つけた。


 その男子はグラウンドを見ながら、何かを描いているようだった。


「何やってるの?」


 私が声をかけると、男子は目を見開いてこちらをみた。それはそうだろう、同年代とはいえ、いきなり知らない女子に声をかけられれば驚く。普段なら私は知らない人に声をかけることはないので、私も自分の行動に驚いていた。

 なぜこんなことをしたのだろう。私も、同じような日常から脱したかったのだろうか。


「え、えと。絵を描いているんです」


 男子の言葉を聞いて、自分が初対面の相手に敬語を使わなかったという失敗に気づいた。しかし、我が強い私はそれを修正する気にならなかった。


「ちょっと見せてもらってもいい?」


 男子が描いている絵に興味を持った私は、了解を取る前にスケッチブックをのぞき込んだ。


「あ……」

「あれ?」


 そこに描いてあったのは、髪の長い女の子の絵だった。もしかしたら、好きな娘を描いていたのかもしれない。てっきり風景画を描いていると思っていた私は、少し気まずくなってしまった。


「えっと、その」

「す、すみません」


 気まずかったのは男子も同じなようで、半ば反射的な様子で謝ってきた。


「何で謝るの?」

「あ、いや……」

「……ごめん、今のは言い方が悪かったね。人のスケッチブックのぞき込んだ私の方が悪いわけだし」

「……」


 お互いに気まずくなった私たちはしばらく無言になってしまった。そのまま立ち去ってもよかったのだが、私は男子にあることを聞きたくなった。


「あのさ」

「はい?」


 私は男子の隣に座って、質問をぶつける。


「やっぱり、オトコノコっておしとやかな女の子の方が好きなのかな?」

「それは……」


 先述の通り、私は髪も短いしどちらかというとつり目だし、自分の意見をズバズバ言ってしまうタイプであり、『おしとやか』とは対極にある性格をしている。だから少し気になったのだ。

 

「僕は……正直言えば、そうです」


 意外な返答だった。てっきり私を傷つけないような当たり障りのない返答が帰ってくると思っていたからだ。


「はっきり言うね」

「……すみません」

「謝らなくていいよ。君は質問に答えただけなんだから」

「はい……」


 しかし、ショックはあった。やはり私は、人に好かれにくいタイプなのだという事実を突きつけられてしまったのだ。


「でも」

「うん?」

「今、僕は確かにおしとやかな女の子が好きです。でも、これから色々な人と関わっていくうちに変わっていくかもしれませんし、あなたも変わっていくかもしれません。その時は……」


 そして、私を真っ直ぐ見据えて言う。


「僕があなたを好きになることもあると思います」


 衝撃的だった。

 久しぶりに、本音の言葉を聞いたような気がした。

 決して私へのフォローのために言葉ではない。彼の本心による言葉だ。

 

 彼は本気で、今会ったばかりの私を好きになる未来もあると考えてくれているのだ。


「い……」


 私の顔が真っ赤になっているのが、顔からの熱でわかる。

 だから私は、思わず言ってしまった。


「いやだなあ~! 君が私を好きになるって!? そんな、そんなのあり得ないって!!」


 そして私は、初対面である彼の背中をバシバシ叩いてしまった。私としては、照れ隠しの末に思わずとってしまった行動だったのだが、彼にとっては違ったようだ。


「そうですよね……」

「え?」

「初対面の男にこんなこと言われたら気持ち悪いですよね……」

「あ、いや」

「すみませんでした!!」


 彼は、立ち上がって私に深々と頭を下げると、走り去ってしまった。



 その日の夜、私は自宅の自室でベットに横たわり、思わず呟いた。 


「最悪だ……」


 その言葉の通り、今日の私の行動は最悪だった。今日ほど自分の性格を呪った日は無い。

 嬉しかった。初対面の私に本心をぶつけてくれる彼の態度が嬉しかった。なのに私はそれに対して、最悪な対応をしてしまった。

 いつもははっきりと自分の意見を言うのに、なぜこういう時に素直になれないのか。自己嫌悪が私を襲う。

 謝ろうにも、私は彼の連絡先すら知らない。スケッチブックには『斉藤』と書かれていたので、それが彼の名前ではあるのだろうが。

 だけど、今更謝ったところで斉藤くんは私を許してくれるだろうか。いや、謝ったことでさらに状況は悪化するのではないだろうか。

 いくら一人で考えても、答えは出てこない。仕方がない。明後日、あの人に相談してみよう。

 意を決した私は、思考を中断して眠りにつくことにした。



 月曜日。

 授業が終わった後、部活に行く前に私は真っ先に職員室に向かった。


「すみません」


 挨拶もそこそこに、目的の人物を呼び出す。しばらくして、その人はやってきた。


「あら天青さん。部活はどうしたの?」


 目的の人物は、この学校で国語を教えている女性教師だ。

 しっとりとした黒髪に、優しげな目。そして、柔らかい物腰。

 そう、この人はまさに『おしとやか』な大人の女性であり……私が『こうありたい』と願うモデルそのものと言っていい人だった。


「実は……部活に行く前に少し相談したいことがありまして」

「あら珍しい。もしかして、恋の相談?」

「い、いえ、そういうわけじゃ……」

「いいわよ。ここじゃ何だし、図書室にでも行きましょうか」


 私は先生と共に、図書室に行くことになった。



 放課後になってまで図書室に行く生徒は殆どいないようで、私は心置きなく先生に相談することが出来た。


「なるほど……その男の子との会話で、失敗しちゃったわけね」


 土曜日のことを話すと、先生は真剣に聞いてくれた。


「私、もう少し大人しい人になった方がいいんでしょうか? 今までだって、何度もケンカの元になっているし……」


 正直な気持ちだった。活発な性格と言えば聞こえはいいが、要は相手の領域にズケズケと入り込んでしまう人間ということだ。それで何度も言い合いになったりしているし、自分が正しいと勘違いしていた時期もあった。こんなことでいいのだろうか。


「天青さん、相手のことを考えるっていうのは自分の意見を引っ込めればいいってものじゃないのよ」

「え?」

「確かにね、あなたは自分の意見を貫こうとしたり、不必要に相手の事情に入り込もうとして失敗したのかもしれない。今回みたいにね」

「う……」

「でもね、それは相手がまだ天青さんのことをまだわかっていないからだと思うの」

「私のこと?」

「そう、言葉っていうのはね、『何を言うのか』よりも『誰が言うのか』『いつ言うのか』の方が重要だったりするのよ。今回のことも、初対面の相手に少し乱暴に対応したからその男の子も面食らっちゃったんだろうけど、もし天青さんがその子と少しずつ話し合って仲良くなったとしたらね」

 

 そして、先生は言ってくれた。


「きっと、その子はあなたの真っ直ぐに言葉を言えるところを長所だと認めてくれると思うわ。私みたいにね」


 私のこの性格を、長所だと言ってくれた。


「……先生」


 思わず涙が浮かぶ。思えばこの人には何度も助けられた。私の間違った正義感を正してくれたのもこの人だった。

 だからこの人は私のあこがれなのだ。私は何度も『こうありたい』と願ったのだ。


 どこまでも優しく、どこまでもおしとやかな――



 返崎先生みたいになりたいと思ったのだ。



――フェイズ終了――

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