第3話

 いったいどうしたことだあ。第一章と第二章を読んだら、まるでぼくが本当に強姦して殺人しているみたいじゃないか。しかも、本当に平行世界へ移動しているようだ。いっとくけど、ぼくは強姦も殺人もしてないからね。

 でも、このぼくが書いた記憶がない記述が二章存在することから考えて、これはこの記述の通りに平行世界へぼくが移動していると考えるのが自然ではないだろうか。ぼくは、小説を一心不乱に書いて、無我夢中で書いて、小説力で空間の臨界点を突破したのだ。そういうことも起きるかもしれない。と似非SF作家ワナビのぼくは考えた。

 ぼくの平行世界への移動が連鎖している。ということは、二章しか書かれていないにも関わらず、実際にはもっと大量の平行世界への移動が行われたと考える方が自然だ。平行世界というものは似た世界なのだから、一個の世界が平行世界へ移動すれば、類似した他の世界も平行世界へ移動する。現在、その痕跡は二章しか確認できないが、いずれ、この二章の書きこみは無限の章に増えることだろう。

 だが、しかし、本当に無限の章がこの小説に書かれるのだろうか。平行世界についてもっと慎重に懐疑してみなければならない。そもそも、平行世界が無限あるというのがうさんくさいのだ。平行世界には、無限の組み合わせが存在し、どんなことをしたぼくも存在することになる。それは、近所のお姉さんを強姦したぼくや、不動産屋を殺人したぼくだけでなく、連続強姦殺人事件を犯したぼくも存在するかもしれないし、連続猟奇殺人事件を犯したぼくも存在するかもしれない。

 それだけではなく、強姦なんてしなかったぼくも存在するだろうし、殺人なんてしなかったぼくも存在するだろう。平行世界の存在について記述するに当たって、その善悪を判断するのは非常に愚かなことであるし、その責任をどこか一個の平行世界に住むぼくに押し付けるのは賢明とはいえない。

 なぜなら、ぼくは決して強姦はしないし、殺人もしないからだ。ぼくは、生来、優しさというものに感動して生きてきていて、人生の中で優しくされたことがとてつもなく嬉しい。優しくされると感動する。ぼくはその優しさを大切にしたい。ぼくにとって優しさはとてもとても大切なものだ。それは、強姦できなかった悲しみや、殺人できなかった悲しみとは、比べものにならないくらい大切なものだ。

 ぼくは優しさの好きな男なのである。世間では、多少悪な男の方がモテるらしい。だが、そんなことは関係ない。女の誘惑で志を曲げる男ではぼくはない。平行世界への無限の連鎖は、あらゆる可能性が存在するため、必ずどこかで連鎖しない世界が現れるのだ。それがぼくだと思っている。ぼくは絶対に強姦をしないし、不動産屋を殺したりしない。そして、小説に一作入魂することによって平行世界へ転送されることもない。この強姦と殺人の連鎖はぼくが止める。

 近所の女の声が聞こえる。彼女が美人である可能性は低い。試しに外に出て確認してみた。驚くべきことに傾城の美女だ。細くしなやかな体の曲線が艶めかしい。しかも、若い。おまけに弱気そうなところが征服欲をかきたてられる。これは、そそられる女だ。だが、ぼくは手を出したりしない。

 ふと目の合った視線をぼくの方から逸らす。ぼくたちの間には何も起こらないのだ。決して強姦なんかはしない。彼女はぼくの人生で直接出会った女性の中で最も美人な女性だといえるだろう。それほど魅力的な女性だ。だけど、ぼくは声をかけない。

 彼女の方もぼくに声をかけない。このまますれちがう。それでいいじゃないか。彼女の貞操を無理矢理奪ったとして、それで何になる。一時的な快楽主義だ。そんなことの愚かさは第一章、第二章に充分書いてある。その世界にいられなくなって、平行世界へ逃げるしかなくなるのだ。そんなことはぼくはしない。何も、真面目ぶりっ子だから強姦しないわけじゃないぞ。ぼくは良心というものを信仰していて、良心に従って生きれば、どんな悪いことをしても許されると思っている。良心を丁寧に見つめることが大切なことだ。それが人生の指針となる。

 不動産屋だって、商売の規範ははみ出していない。きちんと見積もり書を提示して、客と納得の上で契約している企業だ。決して悪徳企業なんかではない。それが、たまたま企業の大収益に結びついたとしても、それは悪として糾弾されるべきものかは疑問だ。まあ、第一章でその事実がどんなものか、平行世界のぼくの主観が述べてあるが、それもひとつの参考意見だろう。殺されるほど悪いことではない。

 だから、ぼくはこの強姦と殺人の連鎖を食い止める。強姦と殺人は平行世界に無限に連鎖しない。必ずどこかでそれを行わない平行世界が現れ、その連鎖を断ち切るのだ。

 近所の女に無視された。不動産屋は相変わらずしつこく勧誘してくる。そもそも、平行世界が存在するのなら、近所に美女が十六人くらいいる世界だってあるだろうし、不動産会社が非常に謙虚な見積もり書の数字を提案する世界もあるだろう。いや、美女が裸でひきめしあっている世界だってあるだろうし、不動産がすべてぼくの所有権になっている世界だって存在するだろう。平行世界とはそういうものだ。想像できるあらゆる世界はすでに存在した世界なのだ。そして、想像することさえできなかった世界もすでに存在した世界なのだ。その平行世界の連鎖の中で、ぼくはこの連鎖を断ち切る。ぼくは強姦しないし、殺人しない。

 ただし、小説は書く。一心不乱に一作入魂で無我夢中に小説を書き、平行世界へ転送される。書く。書いてやる。強姦もしなかった殺人もしなかったぼくの小説を書いてやる。近所のお姉さんは美人だった。だけど、強姦なんてしてはいけないんだ。不動産屋を殺人してもいけない。そんなぼくの小説を書く。書く。書く。強姦や殺人がなければ、平行世界へ転送されないなんてことはないはずだ。ぼくは良心にもとづいてこの小説を書く。そして公開してやる。平行世界がつづくという無限の連鎖が無限ではありえないことを証明してやる。無限につづく平行世界は必ず連鎖の途切れる世界が存在するんだ。それがここだ。それがぼくだ。ぼくはこんなくだらない平行世界連鎖を許しはしないぞ。

 まいったか、ボンクラども。ぼくに後悔は一滴もない。

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