第2話

 なんじゃ、こりゃあ。小説の第一章を読んだぼくは思った。まるで、ぼくが本当に強姦して殺人して平行世界に移動しようとしたみたいじゃないか。いやいや、ぼくは強姦もしてないし、殺人もしていない。平行世界への移動なんてできるわけがない。

 くり返すが、ぼくはネット作家である。無職のネット作家である。ただネット小説を書くだけで生活している。十七年間書いてきて、一次を突破したことは一回もない。ぼくはもう小説を書くのがしんどくなり始めている。もう昔のように何度も小説を推敲することもなくなってしまった。読み返したらひどいものだ。何が平行世界へ移動するだ。小説を書いているだけで平行世界へ移動するわけがないだろう。

 近所で女の人の声がする。いつもの女の声だ。あの声の主が、ぼくが無意識のうちに書き上げた第一章に書いてあるような美人である可能性は極めて低い。そんな都合の良い美人がそう簡単に見つかるわけがない。いかん、いかん。この第一章を読んだ人物がまちがってぼくが強姦して殺人したかと勘ちがいして警察に通報するかもしれない。気をつけなければ。そもそも、平行世界へ移動できるわけないし。どういう犯行計画だよ。行き当たりばったりにも程がありすぎるじゃないか。

 それに、また近所の不動産屋さんが来ているけど、悪徳不動産なんて呼んじゃいけないよ。まっとうに彼らは商売しているんだし。まして、殺すなんてもっての外だ。いったいぼくは何を書いているんだ。あの第一章を書いたのが、この世界のぼくなのか平行世界のぼくなのかよくわからなくなってきた。

 第一章を書いたのが無意識のぼくだとすると、いったいどんな修行を積んだ高僧だというんだ。無我にも程があるぞ。小説の第一章を書き上げるだけ無意識でいられるほど集中力の高い無我を体現した覚えはまったくないぞ。ぼくには、第一章を書き上げた記憶がない。ということは、第一章はやはり誰かぼくでない他人が書いたんだ。それは、平行世界の自分かもしれないし、ぼくが眠っている間にこの部屋に侵入した赤の他人かもしれない。とにかく、ぼくは第一章なんて書いてないんだ。どうして書いてない小説が投稿されているんだ。おかしいじゃないか。これは何か摩訶不思議な現象が起きたにちがいないんだ。冷静に考えよう。最も可能性が高いのは、近所の誰かがぼくが離れているうちにこのノートパソコンに小説を書いたということだ。誰が書く。あの近所の女か。それとも、不動産屋か。いやいや、不動産屋は、自分が悪徳不動産だなんて書かないだろう。企業イメージダウンにも程がある。そんなことをする不動産屋はいないだろう。

 とすれば、誰だ。スーパーハカーか? あの昔は大きな尊敬の声で呼ばれ、現実にはどこで何やっているかわからないが、昔、幻想されたようなことは全然できないらしいスーパーハッカーさんがぼくに代わって小説を書いてくれたということか。ないないないない。そんなハッカーなんて信じていたら、現代社会は生きていけない。落ち着け。落ち着くんだ、ぼく。最も可能性の高い犯人は誰だ。

 やっぱり、スーパーハッカーじゃねえか。スーパーハッカーが不動産業者の株価を下げるためにでっち上げた小説を書いて送ったんだよ。これは噂に聞く遠隔操作だ。遠隔操作ウィルスを使ったんだ。そうにちがいない。そうか、スーパーハッカーが書いたのか。すると、ぼくはどうしたらいいんだろうか。

 スーパーハッカーが第二章を書くかもしれない。そうだ。だから、第二章はうかつにぼくが書いて投稿する必要はない。ぼくは冷静にスーパーハッカーの動向を見守ればいいんだ。

 いやいやいや、待て待て、それじゃ、スーパーハッカーの思うがままじゃないか。ぼくの小説アカウントは命より大切なものだ。失うわけにはいかない。スーパーハッカーから身を守らなければならない。となると、ぼくはどうしたらいいんだ。警察へ電話か。それしかないだろう。サイバー警察へメール相談だ。メールの相談文を書こう。

「初めまして。蜘蛛塚です。家のノートパソコンがスーパーハッカーにのっとられて、遠隔操作されたらしいのですが、どうしたらよいでしょうか。小説投稿サイトのアカウントものっとられており、スーパーハッカーがログインしています。ぼくもログインできています。右も左もわからない状態ですが、放置しては危険だと思い、通報させていただきました。どうか対処をお願いします」

 うん。これで通報。どうなるかな。サイバー警察から返事が来るのを待とう。どう考えても、自宅に不法侵入されたってことはないだろう。寝るか。おやすみ。そして、おはよう。九時間も眠ってしまった。熟睡した後だ。どれどれ、サイバー警察から返事は来ているかな?

 ふむ。返事のメールが来ているなあ。

「あなたのパソコンが不法侵入された痕跡は確認できませんでした。このまま、警察が追跡調査をすることを依頼なさいますか。不法侵入や遠隔操作された可能性は、現在公に出まわっているプログラムを使った場合に限り、その可能性はゼロパーセントです」

 だと。

 これは、どういうことだ。スーパーハッカーじゃないのか? 近所で女の声が聞こえるなあ。なんか、むらむらしてきた。犯してしまいたい。いや、本当にあの第一章は、ぼくの無意識の現れなのか、平行世界のぼくの書きこみなんじゃないのかな。離人症かなあ?

 離人症とは、本人の意識がなく歩きまわったりする病気だけど、そんな重症な患者になってしまったのか。落ち着いて考えよう。


 その1:警察が知らないほどのスーパーハッカーの仕業。

 その2:家に不法侵入した誰かが書いた。

 その3:ぼくは離人症で無意識のうちに書き上げた。

 その4:小説に書いてあるとおり、平行世界のぼくが書いた。


 どれもないだろ。ありえん。

 とにかく、第二章の下書きだけでも書いておくか。知らない間に原稿が書けるって素晴らしいじゃん。最高。なんか、天才作家な気がしてきた。この第一章が認められて出版社から声がかかったら、誰が書いたことになるの? ぼくじゃない? うっひょおおお。なんか、急に第一章が名作な予感がしてきた。うん、こんな名文、どこぞの馬の骨ともわからないプログラマーなんかには絶対に書けないし、自宅に不法侵入した女にも不動産屋にも書けないよね。つまり、これは、無意識のうちにぼくが書いたのか、平行世界のぼくが書いたのだ。ふっふっふっふっ、ぼくは天才だったのだ。

 よっしゃあああ。

 なんか、無意識のぼくの所為にして、近所の女に悪戯してやるか。まだ、顔も見たことないんだよな。

 そして、ぼくは外に出た。いつもの近所の女がいる。すごい美女だ。絶世の美女だといえる。これは、無意識のぼくが思わず強姦したと書いてしまってもしかたがない。今まで、こんな美女が近所に住んでいたのに気がつかなかった。

「いいですか」

 とぼくはいった。

「はい?」

 と女は答えた。それが肯定形なのか疑問形なのかも確かめないうちに、ぼくは彼女を押し倒していた。か弱い腕で押さえつけると抵抗できないようだ。そのままなすがままに服を脱がし、ピンクの乳輪の小さな乳首を見た。そして、流れるままにことに及んだ。明らかに嫌がっているだろうということも、ぼくは気がつかなかった振りをした。

 気持ちよかった。もっと早く犯せばよかった。

 そのまま、自宅に帰ると、不動産業者がやってきた。ぼくはナイフで不動産屋を殺害し、ノートパソコンの前に来て、必死に小説を書いた。これが現実なら、必死に一心不乱に小説を書けば、平行世界へ移動できるはず。書くんだ。書け。書け。書くしかない。強姦して、殺人してしまった。もう助かるには平行世界へ逃げるしかない。なんだ、ぼくは正気か。いいから書くんだ。もう一度、平行世界へ転送されるんだ。空間の臨界点を小説の執筆力で突破して、平行世界へ逃げるんだ。がんばれ。お願いだ、神さま。どうか、本当に平行世界へ送ってください。小説を書くしか能のない男です。小説を書いて解決します。ぼくの小説は空間を破壊する。だんだんと白い霧に包まれてきて、ぼくの意識は消えていった。

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