住宅街からの脱出

木島別弥(旧:へげぞぞ)

第1話

 小説を書き始めたのは小学生の時で、ゲームブックの物まねのようなものを書いていた。読んだ兄はパクリだといっていた。それからも勉強の合間に時々、創作ノートを書き、十四歳の時に大学ノート三ページに渡る短編を書いた。それが処女作であり、ずっとぼくの机の引き出しに入れてしまっておいた。高校生になり、その短編はそのページだけを切りとってやはりぼくの机にしまってあった。

 それを発見したのは高校生の時だった。ぼくは学校生活が苦痛で、何のために生きているのかもわからず、小学生の時は十六歳で死のうと思って生きていたのだが、十六歳になった時には欲が出たのか二十歳で死のうと自殺の時機を延期し、それは暗くみすぼらしく生きていたのであるが、高校生の時に発見した自分が中学生の時に書いた短編小説はかなり良い出来に思えた。ぼくは、漫画を古本で買っては読んで売り、買っては読んで売りをくり返し、その中に格好いい言葉をノートに書いて集め始めた。それは、漫画や映画で知った他人が考えた言葉と、自分で考えた格好いい言葉に別れていた。その語録帳を高校生の間、秘かに作りつづけた。それは高校を卒業する頃には両方とも百単語を超えていたが、ぼくの宝であった。いわば、ぼくの生きている証はそれしかなく、漫画家かゲームデザイナーになれたらいいなあと漠然と思っていたが、それは成績優秀な自分の目指すべき道ではないこともなんとなくわかっていた。大学生になり、知り合った友達の中に小説を読む者がおり、ぼくはたいへん興味を引かれた。どれ、頭の固い文学徒の書くものなど、どんな文豪だろうと新進気鋭だろうと、ぼくの想像力には適うまいと思って、小説を借りて読んでみたのだが、たいそう面白かった。いや、世界観が変わるほどに面白かった。その友人はぼくの世代なら誰でも知っているドラゴンボールを見たことがないといっていて、ぼくが「魔ジュニア倒すところまでは再放送していたら見たらいいよ」といったのだが、なぜかぼくは悪者にされ、そのドラゴンボールを見たことがない友達は仲間から「別に知らなくても大丈夫だよ」とかばってもらい、悪いのはドラゴンボールを見なければならないかのようにいうぼくだという風になっていた。かように、ぼくはなぜか同級生から悪者扱いされる邪魔者であった。

 しかし、小説を読む習慣を身に付けたぼくは図書館に通うようになり、友達から借りたのは綾辻と京極のミステリであったが、図書館でアシモフ、ディック、ティプトリーの短編を発見し、これこそまさにぼくが求めていたものだと大感激して、以後、好んで海外SF小説を読むようになった。

 父親がパソコンを買うならお金を出すというから、父親から十万円を受け取りパソコン店に行ったが、パソコンは最低でも十五万円するという。それで、阿呆なぼくはワープロの文豪を買って帰った。だから、ぼくはインターネットを堪能するのにずいぶん他人より遅れてしまった。ぼくが馬鹿だったからであり、父親のいうようにパソコンを買っていればこんなことにはならなかった。それで家でワープロだけあって何をするのかというと、ぼくはSF小説を書き始めたのである。これが後にも先にも致命的な人生のあやまちであり、小説家などを目指している大学生はまともな社会人にはならないのである。何十回と推敲して完成させた短編を誰に見せることもなくただ保存しておいたのだが、やがて、データクラッシュでデータが消えた。何のために生きているのかもわからない人生の無駄使い以外の何ものでもない。データクラッシュでデータが削除されるそのために誰にも知られずに小説を書きつづけるのである。すでに正気かどうか疑わしい。

 そして、いつの間にか自分の夢はSF作家になることであると確信し、公募にも応募してみたのだが、一次落選であった。留年し、推敲して送ったものもやはり一次落選であった。この時、すでに社会人になっている。応募したのは大学生だったが、結果を知ったのは就職してからだった。

 それから、ぼくは会社を病気で退職し、ネット作家になった。そのまま、誰にたいして褒められるわけもなく三十六歳になった。今、ノートパソコンで小説を書いている。簡単にいえば、無職の病人というやつであり、ただのごくつぶしである。まともな大人とは思われない。

 外で女の声がするが、声だけ聞けば美人のようにも思われる。というか、せめて美人でも近所に住んでいる幻想を抱かねばやってられない。小説の公募は一次落ち十五回となり、ネットでの評価もぼくは最悪なダメ作家だということになっている。小説を十七年間書いてきた。大学の頃に構想していた集大成というべき作品を応募し、見事一次落選となってからは、ぼくは自分が勘ちがいした大言壮語のごくつぶしであると認め、平に謝罪し、ネットで謝りに謝っている。いざ、自分の人生の結末が見えてみると、自分がいかに愚か者であったかが身にしみてわかり、他人が自分を軽蔑するのもわかるというものである。ぼくに才能なんてない。何の意味もないことをしてネットにゴミを吐き捨てただけの厄介者である。ごく少数の同好の士もいるのだが、ぼくの作品を褒めることはなく、小説愛好家たちのほとんどはぼくを邪魔だ、消えてくれと思っているだけである。日本に一人もぼくの作品を褒める人がいない。誰に聞いても、ぼくの作品は「描写が足りない」とだけしかいわない。どうにも、誰にとってもつまらない作品であるようなのである。

 家に頻繁にセールスマンがやってくる。不動産屋である。複数の不動産屋が我が家の土地の活用に注目しているようである。十年前、被害妄想がひどい時は、町の造りが我が家の田んぼだけを残してアパートになっていくのを見て、我が家はなんてバカなんだ、アパート経営もできない時代遅れの田舎者だ、と自虐感にとらわれていたが、賢明なる我が父によると、アパート経営の斡旋をしている不動産業者というものは悪辣なもので、アパートで土地活用をするように持ちかけて、何千万円も支払わせてアパートを建てさせる、そのくせ、不動産業者の負担は数百万円もない安全資産であり、損をするのはアパート経営をする庶民ばかりであるという。実際に見てみたアパートの見積もり書も、とても誠実な会社の作った契約書だとは思われず、二千三千万円を土地所有者が支払うという悪辣非道なものであった。結果、賢明なる我が父だけが田んぼを売らず、どんどん住宅地となる町の中で我が家だけが田んぼを維持する状態になってしまった。それを何年もの間、自分の家だけが頭が悪いのだと被害妄想にとらわれていた。悪辣なアパート経営の斡旋をする会社は、儲かりに儲かり、東証一部上場して、社長は長者番付にものったという。賢明なる我が父にいわせれば、ほとんどの家がだまされて大金を払ってしまったのだという。それを愚かな何も知らないぼくは、自分の親だけが世間で愚かであり、時代に取り残された敗北者であると思って、罪悪感にかられて苦しんでいた。何のことはない。十年がたってみれば、アパートを建てた近所の地主はみんな大損であり、我が家は賢明なる父のおかげで安泰な暮らしができるのである。今でも、頻繁に不動産屋が自分だけ儲かるように作った見積もり書を持ってアパート経営をすすめてくるが、我が家はそんな甘言にはたやすくのらない賢明なる一家なのである。我が家だけが損をしていると勘ちがいして苦しんでいた自分の十年間は何だったのか。すべてを父に任せていたから助かったものの、ぼくが口をはさんでいれば、危うく何千万円を支払ってアパートを建設するという愚挙に出てしまったかもしれない。ぼくなどはまったく愚か者であり、世間知らずもいいところである。いや、世間の多くがだまされてしまったのである。

 このように自分が成功した立場にあるにも関わらず、自分が間違っているなどと罪悪感にかられて苦しんでいた自分の性格というものは醜悪としかいいようがない。そして、ぼくには小説を書くしかすることがないのである。ぼくは三十六歳にして小説を1100冊読んでいる。これはたいした量だとネットでも評価されるのだが、すぐにわけわからないやつらが読書家なら1000冊くらい読んでいて当然とかいってくる。まったくそういうやつは信用できない。ぼくが小説1000冊読むのにどれだけ苦労したと思っているんだ。もちろん、小説の七割は読むのが苦痛な駄作であり、読むべき作品は三割くらいしかない。時代遅れの凡庸な小説が世界のすべてを記述した名作だとかいわれていたりする。レフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」とかである。ただ、不倫した女が自殺するだけの誰でも思いつく内容である。とても全体を書いた名作などではない。

 ネットで自分の読んだ小説の面白かったランキングを作っているぼくは、そのランキングを読んだ自称文学通が「本屋に並べてあるのを読んでいるだけの無駄な読み物。体系的に読むということができていない」などと評価されて、カチンときたりしたこともある。小説を千冊読んでそれを評価し公開しても、全然褒められることはなく、自称読書家に敵視されるだけである。この世に幸福とはどこにあるのかまったく見当がつかない。かなりの努力をしたはずのぼくでさえ、無職だからということもあろうがまったく褒められないのに、いったいどうすれば世間で褒められる人物になるのであろうか不思議でしかたない。ぼくは駄作の書評と小説を書いてネットに投稿するだけで、ただの迷惑な狂人であるようだ。誰もぼくを褒めてくれない。日本に一人もいないんだよ。日本語を使う人で一人もいない。信じられるかい。これほど生きるのが孤独であろうとは思わなかった。孤独なぼくはいくつか精神を病んでおり、妄想もかなり湧いてきているのであるが、もうぼくには何が現実で何が妄想なのかわからなくなってしまった。確かなことは、今は亡き賢明なる我が父がアパート建設を断ったのは正しい判断だったという事実だけである。おかげで、無職のぼくを養うだけの余裕が我が家にはあるのである。ぼくが生きているのは亡き父が賢明であったからに他ならない。

 ところで、ぼくは小説を書いているのである。これは小説である。というのも、近所に聞こえる声の主に話しかけてみたのである。声から想像するよりもなお絶世の美女であった。赤いカーディガンを着た質素な女性だった。まだ若い。大学生だろうか。平日の昼間に私服を着ていることから女子高生ではないだろうが、その美しさからまだ高校を卒業したばかりの十八、九歳の才媛であると勝手に想像してしまった。腕のひねり方が妖艶で、そのか弱い腕では重い物は持てないかのようであった。だから、ぼくはその女性に話しかけて、近所の地主が建てたアパートの壁に押し付けて、有無をいわさず接吻したのだった。唇をくっつけただけだから、たいしたことはないのだが、その女性は口紅はつけていなかったようで、特にベトベトすることはなかった。

「いいですか」

 とぼくがいったら、

「はい」

 と答えたので、このはいが肯定形なのか疑問形なのかもはっきりしないまま、ぼくはその女性を野外で押し倒して服を脱がしていった。本当に細い腕をしていて、ぼくがちょっと力をかけるだけで抵抗できないみたいだった。明らかに嫌がっているだろうというのも、ぼくはその考えは気づかなかったことにした。白い肌が見えると、どきっとした。やはり、乳首の色と形くらいは確認しないともったいない。ぼくは衣服を剥いで胸のふくらみを確認すると、あとは流れるままにことに及んだ。

 押し倒すことに成功した後、この女性がすごく小さな声でしか話せないことに気づいた。

「また会いましょう」

 などと感想も聞かずに女から離れて、家に帰った。あの女性がぼくを近所に住んでいる無職だと知っているのかどうかはわからない。強姦で逮捕されることもないだろう。あれは和姦だったのだ、と自分を言いくるめて、家に帰って満足していた。

 その後、我が家を訪問する悪徳不動産屋のセールスマンをナイフで殺した。出会い様に頸動脈を切った。首を切ったら血がどばっと出たから、頸動脈が切れたかどうかは知らないが、死んだだろう。世の中から害悪が消し去られた。

 世の平和を守ったぼくは、一心不乱になってまた小説を書いている。強姦して、殺人をしてしまった。バレたら、ただではすまない。助かるにはこの世界から逃げ出すしかない。無我夢中に集中して小説を書くと、別次元へ抜け出せるという話を聞いたことがある。小説を書く妄念が空間を維持する臨界点を突破し、平行世界へ転送されるのだという。ぼくはその仮説を信じて無我夢中に今、小説を書いている。これは小説だ。空間の臨界点を超えて、平行世界へ飛び出すのだ。ただ集中し、小説を書く。書く。書く。書く以外に何もぼくはできない。小説を書くためだけに生きている。ぼくの小説力で空間の臨界点を突破してやる。もう後には引けない。振り返ってはダメだ。振り返ったら身の破滅があるだけだ。ただ小説を書いて書いて書きまくるんだ。そうすれば、空間の臨界点が崩壊し、ぼくは平行世界へ脱出できる。意識が消えかかってきた。ぼくはこの世界から脱出する。栄光の平行世界へ移動するのだ。と書いているうちに体が白い霧に包まれていき、後は記憶もなくなりそうだった。

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