第4章 遥かなる、バックヤード・パス
見えないのなら、明かりをつければいいんだ。当然だろ?
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でも本当は
暗闇の中でしか
気付けないものもあることを
この頃の僕らが
まだ知らないだけだった。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
僕は
決めていたんだ。
二人きりになったら
真っ先に
僕から仲直りをしよう、と。
これから始まる
長い冒険に
遅かれ早かれ
それが必要な時が来るというなら
嫌な時間は
早く終わらせてしまうほうが
断然いいに決まっていた。
だけども
予定というのは
必ずしも
思い通り実行出来るものじゃなくて
つまり僕は
思いがけない
アクシデントに
出鼻を挫かれていた。
女王陛下たちに
見送られ
僕たちは
古い扉をくぐった。
つい
今さっきのことだ。
最後に
もう一度
フェアに何か言おうと
振り返ろうとした瞬間
急に
五感が麻痺して
頭がグラグラと
上と下も
わからなくなったんだ。
気がつくと
真っ暗な場所に
座り込んだまま
凍りつくように
強張る僕がいた。
いや
正確には
僕とマーキスが。
あまりに突然
すべてが真っ暗で
だからきっと
頭が驚いて
止まっていたんだろう。
どれくらいの間
そうだったかも
よくわからないけれど
何も見えない場所で
確かに
そこにいる
マーキスの微かな息づかいが
最初に聞こえたんだ。
それでようやく
冷静に
思考を始めた僕の脳は
単純に
『明かりをつけなきゃ』と
思いついた。
だって
何も見えないのだから、
仕方ないだろう?
魔法を使うための
タクトは
袖の中にある。
ゴソゴソと
手探りでも
取り出すことは簡単だ。
簡単じゃあないのは
実際に魔法を使うことで
僕はこれが少し苦手だった。
でも
落ち着いて、
自分を信じることが
第一なんだ。
僕は
火を灯すための呪文を
たくさんの中から思い出す。
万が一
間違っていたら
恥ずかしいから
マーキスには聞こえないように
小さな声を
口のなかで
モゴモゴと呟いた。
ボンヤリと
目を凝らして
よく見れば
ほのかに明るいかとわかる
つまりは
ほとんどわからないような
小さな明かりが
タクトの先に浮かぶ。
いくらなんでも
これじゃあ恥ずかしい。
僕の自信のなさが
うかがえる。
僕は慌てて
もう一度
ちゃんと呪文を唱えた。
ボッ! と
今度は音をたてて
はっきりと
火がついた。
蝋はないけれど
タクトがまるで
蝋燭のようになる。
その
魔法の蝋燭が
最初に見せたのは
マーキスの表情だった。
驚いたまま
何か言いたげな顔が
でも
何も言わない。
マーキスより先に
明かりをつけたことは
僕にとっては
少し誇らしくて
ちょっとだけ
いい気分だ。
本当なら
まず
仲直りをしなきゃならないのに
つい
そんな
いい気分な僕で
だから余計に
謙虚に切り出す言葉が
まったく
浮かんで来なかった。
それどころか
変な沈黙が流れそうで
僕はすぐさま
タクトの先を
違う方へ向けて
辺りの景色を探って
マーキスから
目をそらしてしまった。
いっそ
沈黙の空気に追い込めば
マーキスの方から
耐えきれず
何か喋ったかもしれないのに。
とんだ失敗に
内心凹みながらも
僕は
辺りを伺う振りをした。
こんな小さな火じゃ
何も見えないけれど
地面は
岩か堅い土で
湿り気もなくて
冷たかった。
草や何かは
生えていない。
それ以上に
言葉が見つからない、
どうしよう。
「デイラート」
静かな声で
マーキスが言うと
かなりの範囲が
まるで真昼のように
明るくなった。
急だったので
眩しく感じた僕は
思わず目を細めた。
やっぱり
僕なんかが使う魔法とは
ぜんぜんレベルが違う。
比べるまでもない。
そこは
洞窟のような場所だった。
辺りを岩に囲まれ
空はない。
道なき道が
あちこちにわかれ
穴や亀裂が続いているみたいだ。
「…………」
「…………」
お互いに
疑問や不安は
たくさんある現状だろうに
独り言でさえ
それを口に出せず
黙り込んだままだった。
自分で考えて
わからない、
それを
相手に質問したって
わかるはずもない、
そう
どう足掻いても
わかるわけがないということだけ
ハッキリわかっていた。
突如
こんな場所に
僕らだけがぽつんと存在する。
僕らは一体
どこから来たんだ?
バックヤードの
入口だったあの扉さえ
ここにはない。
不意に
二人の沈黙を破るように
パタパタと
乾いた音が鳴った。
薄っぺらな音に
僕らが目をやる。
音の出所は
マーキスの腰の辺り。
慌てて取り出した
バックヤードの地図が
音をたてていた。
巻いてある
地図の端っこが
ふるえている。
こんなことってあるんだな。
風の音も何もない
静寂のここでは
その微かな物音さえも
よく響く。
そして
羽虫が羽を震わせるような
高い音が混じって
地図はこう言った。
“辛気臭いガキども”
“ようこそ裏世界へ”
地図が喋る?
でも
僕の耳には
そう聞こえた。
細い音だけど
大人の
男の人の喋り方に思えた。
地図を通して
誰かの声を聞いてるのだろうか。
恐々と
釘付けになる僕らに
さらに
地図は続けた。
“マ~キス”
“名門一家の末っ子御曹司”
ゆっくり
名前を呼ばれて
マーキスは
気味が悪そうに
顔をしかめた。
確かに
意地が悪そうな
言い方だった。
上から
人を小馬鹿にしたような
そんな態度が
伝わってくる。
そりゃあ
僕らはこどもだけど。
地図の人は
そんな僕らを楽しむように
からかい歌を
歌いだした。
いや
いじめがあったとは言え
チェンバー魔法学院でだって
そんな下等な悪ふざけは見なかったな。
どちらかというと
僕が小さい頃よく遊んだ
村の男の子たちが
やっていた。
つまりは低レベル。
誰かの失敗とか
あげあしを取るみたく
笑い者にする、
たいていは
下品な内容の歌になる。
マーキスは
目を丸くして
ぽかんとなっているから
からかい歌自体
よくわかってないのかも。
“マーキスは”
“マーキスは”
“優等生”
“優等生”
“いつだって一番”
“偉い”
“完璧な”
“優等生”
地図の人は
マーキスのことを
よく知っているんだろうか。
わかりきったことを
聞かされた僕も
ゲンナリとした気分になる。
“だけど”
“ある日マーキス恋をした”
“ある日マーキス恋を”
「うわぁあああ!」
“相手は”
「わあ! わあ! わあ!」
マーキスは
大声をあげながら
地図を押さえ込んだり
バシバシと叩いたり──
「……マーキス?」
いや違う。
僕の知ってるマーキスは
どんな時も落ち着いていて
パニックには陥らない。
僕のいたずらで
魔法水を飲んだ時も
モーガンさんの魔法で
溺れた時も
マーキスは
冷静な思考を
手放さなかったはず。
いつだって
余裕綽々で
王様気取りだろ?
予想外の
まさかのマーキスの暴走に
僕もすっかり慌てた。
マーキスの腕にしがみついて
必死に叫ぶ。
「マーキス! マーキス! 地図が破れる!」
バックヤードの魔法の地図は
たぶん他の何より
大事にしないといけないはず。
冒険が始まった途端
地図をロスト、なんて最悪だ。
必死にしがみつく僕に
マーキスも叫び返す。
「だって!」
……だって、何さ。
ハッと
息を飲んだマーキスが黙る。
遅いよ。
地面に転がった地図は
もう静かなただの地図だった。
パタパタと
はためいたりも
はた迷惑もかけない。
肩で息を切るマーキスを無視して
僕は
大事そうに
地図を拾い
汚れを軽く払った。
しわがよっていたけれど
一応
破損は免れたみたいだ。
一安心。
僕が安堵する横で
足元の一点を見つめたまま
僅かに上ずった声で
マーキスが言った。
「すまない。……忘れてくれ」
何をさ。
僕は
出かかった言葉を飲み込む。
マーキスの存在ごと
忘れたいくらいだけど
出来るなら
とうにやってる。
マーキスが
あんなふうに取り乱すことは
意外だったけど、
誰のことを好きでも
別に興味ないよ。
僕は
地図を開いた。
今まで
触ったことのない
枯葉のような
乾いた質感の紙が
その古さを
より一層思わせる。
一体何で出来てるのかな。
硬いような
軟らかいような
不思議な触り心地だった。
精一杯何でもないふりで
地図に意識を飛ばすけれど
でも僕は
自分の手が
微かに震えていることを知っていた。
マーキスと
ついに会話が成立した!
それは
僕にとっては
一大イベントで
今も心臓が
バクバクと
激しく騒ぎ立てるような
大変なお祭り騒ぎだ。
それが
どんな発端で
どんな内容で
どんな顛末でも。
僕らは
会話を成立させたんだ。
気まずそうに
マーキスは
顔を少しそむけたまま
会話を続けてきた!
「地図には…何か書かれてるか?」
女王陛下の前で見た時は
何も映さなかった
その魔法の地図は。
ここでならきっと、と
僕らは信じて疑ってはいなかった。
「……なにも」
マーキスに返す
僕の声は
真っ白なままの地図に
自然と調子が下がる。
地図に
進むべき道は
標されなかった。
僕は途方に暮れる。
一方マーキスは
真面目な顔で考え込み
ぽつりぽつりと
呟いた。
「魔法の発動には何か条件があるはずだ。それが単純に『バックヤードにあること』じゃないなら――」
それが
単純に
バックヤードじゃないなら
一体何だというんだろう。
僕らはここで
何をすべきか知らない。
地図がなければ
どこへ向かうべきかもわからない。
地図は
今、必要なんだ。
何もない僕らで
満たせる条件なんて。
「きっと簡単なこと」
でも
それがわからない。
「……よし。頭で考えるのはやめよう」
マーキスは
そう言った。
考えてもわからない、と。
僕は
地図を裏返してみたり
息を吹き掛けたり
色々試してから
あまりの馬鹿らしさに
諦めてしまった。
無言で
マーキスに差し出すと
マーキスは
地図を受け取ろうと
腕を伸ばす。
自分から
地図を渡そうとしたくせに
思わず
僕の肩は緊張して
力が入る。
この僕と
マーキスとで
普通にやり取りが
成立するなんて
驚異的としかいえない。
僕が地図を
落としそうになる前に
マーキスが手にして
良かったと思う。
内心
安堵の息をつく僕に
気付いた様子もなく
マーキスは
地図に釘付けだ。
「あれ……今、何か書いてあった」
「……白紙のままじゃないか」
「消えたんだよ。消える瞬間を見たんだ」
マーキスが
僕をからかっている気がして
怪訝な顔を返す。
人を疑うのは
良くないって
よく父さんが言っていたけど
相手がマーキスだから
仕方ないよね。
「そっち側を持って」
僕は
マーキスに促されるまま
地図の端を持ち
二人で広げる形になった。
すると
信じられないことに
今まで何もなかったそこに
くっきりと
線が浮かび上がって来たんだ。
「どうやら、二人で協力しないと地図は出ないみたいだな」
なんて魔法だ。
まるで
僕とマーキスが
仲違いをしてるとわかっていて
わざと
仕向けているとしか思えない。
(でも待てよ?)
地図は
僕らが仲直りすることに
協力的なのかもしれない。
さっきだって
僕はマーキスに
話しかけることが出来ずにいたら
地図は歌いだした。
地図には
見透かされている、
そう思うと
恥ずかしくて
居心地が悪いこと
この上ない。
マーキスは
真剣な顔で
地図と辺りを見比べて
唸っている。
「……わかりにくい地図だなぁ」
それも仕方ない、
道らしい道が
整備されてるわけじゃないし
こんな入り組んだ地形
平面に示せる情報なんて
限界がある。
まずは
現在地を
地図に見つけることだけど。
マーキスに
ケチをつけられたからか
また
地図が歌いだした。
無駄のない動きで
マーキスが
地図の端をはたくように
押さえ込んだ。
素早かった。
地図が何を歌ったかは
わからない。
なるべく
その話題には触れないように
僕は
地図の角度を変えたりしながら
とりあえず
発見したことを報告する。
「この地図、すごいよ。真ん中が現在地で、向きを変えると地図も変わるんだ」
「細い道は途中で終わってる。一番太い道を行こう」
地図の端くれと
いがみ合うマーキスに代わって
僕は
一番太いと思われる
道を探した。
地図を頼りに
僕らは
時に這いつくばり
時によじ登りながら
どんどんと進んでいった。
道が二手に分かれたり
広い場所に出るたび
二人で
地図を確認する。
ただひたすらに
黙々と進む僕らだったけれど
お互いに
大きな荷物も背負っていたし
徐々に疲労が襲ってきた。
洞窟は
少し寒いくらいなのに
僕らは汗だくで
時々
額から流れる汗を
ローブの袖で拭う。
「この辺りで、少し休憩しよう」
荷物をおろせるくらいに
開けた
平らな空間に出て
マーキスが言った。
荷物をおろして
座り込むと
足がジンジンと
騒いでいた。
筋肉を
軽く揉みほぐしてみても
気休めにもならない。
「他の国から来る人たちと合流しなきゃならないってことは、……何日くらい歩くんだろう」
息を切らすマーキスが
呟いた。
行けども行けども洞窟で
僕らは
バックヤードを
地下世界だと思っていた。
地上を行くより
困難な道のりで
それぞれの国の
中間地点を目指すイメージだ。
こどもの足で
そんなに長い距離を
行けるだろうか。
込み上げるのは
不安ばかり。
「少し何か食べよう」
僕は
荷物に手を伸ばした。
不意に
嗅いだことのない香りがして
僕が顔をあげると
マーキスが
木製のカップを
差し出していた。
「飲むか?」
どういう原理だろう、
中の飲み物が
今淹れたかのように
湯気が立ち上っている。
「魔法で、出した、の?」
うまく言えずに
どもってしまうけれど
マーキスは
肩をすくめて笑うだけだった。
「まさか。絵本に出てくる魔法じゃあるまいし」
そう、
だから僕も驚いたんだ。
マーキスが持っていたのは
珍しい入れ物だった。
そこから
飲み物が出てくる。
「『魔法瓶』ていうんだ。魔法じゃないけど、温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま、ある程度の時間なら中の飲み物の温度が変わらない」
魔法じゃないのに
魔法瓶だなんて。
紛らわしいけど
まるで魔法みたいだね。
僕は
お返しに
パンをマーキスに渡した。
「これは何?」
恐々と
パンを観察するマーキスに
僕は少しふてくされる。
やっぱり
あげるんじゃなかった、と
早くも後悔しながら。
「父さんが焼いてくれたパンだよ」
「これがかい? うちのパンとはぜんぜん違う!」
僕だって
こんな色のお茶を飲むのは
はじめてだよ。
真っ赤なのに透明で
優しい香りがする。
きっと
高級なものなんだろう。
なにせ
マーキスのうちじゃ
豪勢な食事が出るんだろうから。
僕が涙ぐみそうになって
黙っていると、
マーキスは
僕の家のパンに
かぶりついた。
「んふぅ。ふごいやわらはい。ほれにあまふてほいひいや」
「……………………………………………………………………………………………………今、なんて?」
マーキスは
よくわからない言葉を
にこにこと
無邪気な笑顔で
食べながら話した。
マナー違反だ。
ていうか
僕は自分の目を疑う。
耳も。
訳:すごいやわらかい。それにあまくておいしいや
by マーキス
こどもみたいに
目を輝かせて
嬉しそうに
明るい声で
マーキスはそう言っていた。
そりゃあ僕らは
実際にまだこどもだけど
マーキスは普段はいつも
悠然としていて
すまし顔で
何だってこなしてしまうから
余計に
時々こんなふうに
感情が顔に出るのが
妙にこどもっぽく見える。
それがただの
年相応、
新しいものに
興味を持って
興奮するような
そういうものに
見えてしまう。
だけど
僕は知っている。
『すごいよ! ロイ』
いつだって
僕を大げさにほめる。
例えば
授業で習った
基本の魔法文字を
僕が皆の前で書けただけで
マーキスは
大きな拍手をした。
誉められた気がして
僕は照れ臭くなって
小さく笑う。
だけどね。
マーキスには
基本なんてすべて
朝飯前。
学院で習う前から
出来て当たり前。
クラスの皆は
大爆笑だよ。
そこで僕は
やっと気付くんだ。
からかわれたのだと。
今、目の前で
マーキスが
父さんの焼いたパンを
美味しい美味しいと言って
咀嚼する。
クラスの皆が
今の僕らを
魔法のスクリーンに
映し出して見ていたなら
教室はそう
笑いの渦に
飲まれているところだ。
僕は俯いた。
聞こえない
笑い声の中で
消えそうな声で
呟いた。
「――普段は、どんなパンを食べてるのさ」
悔しくて
口から溢れたそれは
マーキスに
聞かせるつもりはなかった。
でも
皆の笑い声がない場所では
しっかり
マーキスの耳に
届いてしまうんだ。
「だいたい名家と言われる家には、それぞれの家の伝統の味があって」
温かいお茶で
パンを飲み干してから
マーキスが語りだした。
自慢話だと思った。
「だから自分の家のパンや、せいぜい付き合いのある家のパンしか食べたことがないから」
僕は
耳をふさぎたかった。
「カチコチに固いんだ。それに少し苦いか、味がない。粉っぽいのもある。家じゃあ言えないけど、とても食べれたもんじゃないさ」
マーキスは
口を尖らせた。
それからまた
ゆっくり笑う。
「こんなおいしいパンがあるなんて。……ロイがいつもいい匂いなのはパンの匂いなんだな」
教室は今
どうなっている?
これも皆
笑うところ?
だって
マーキスは今
何て言ったの?
誰も笑わないから
思わず
自分で笑ってしまった。
弱々しくて
情けない笑いだった。
マーキスは
目を丸くして
それから
残念そうに
表情を曇らせた。
「どうして笑う? ロイまで」
僕が笑うのは
おかしいらしい。
そうだよね、
からかわれてるのは
僕だもの。
「どうしていつも、みんな笑うんだ」
「君が僕をからかうから」
決まってるじゃないか。
でも
マーキスはなぜか
顔をしかめた。
「からかってない。おいしいものをおいしいと言っただけじゃないか」
僕は
さっきからずっと
混乱していた。
「本気で言っているの?」
「当たり前だろ!」
そんなことって
あるんだろうか。
マーキスが
もしもずっと
思ったことを
言っていただけなら
どうしてあんなに
皆は笑ったんだろう。
「……マーキスはエリートなのに?」
「関係ないだろ!」
疑り深い僕に
マーキスは
怒りはじめていた。
「でもさ。でも」
言葉が浮かばない。
皆が笑いだすと
僕はびっくりして
赤い顔で俯いた。
その時いつも
マーキスは
どんな顔をしてたんだろう。
記憶の中に探しても
答えはみつからなかった。
僕は
入学してから今日まで
マーキスからずっと
さんざんな
からかいを受けてきた。
そう思ってた。
僕だけじゃない、
学院の皆だって
そう信じて疑わないさ。
でも
今目の前で
不機嫌がちなマーキスは
そんな僕らを否定する。
簡単に
納得が出来ない。
誤解? あれが?
あんまり理解に苦しむことだから
直接
一つずつ聞いてみることにした。
「マーキス。最初に会った入学式の日に僕を女の子扱いしたよね」
「謝ったじゃないか。あの時は本当に女の子だと思ったんだ」
僕の顔は
妹と瓜二つだから
そう見えることも
あるかもしれない。
だけど
髪型とかで
だいたいは
誰も間違わない。
「最初に会った時、君は僕に何て言ったか覚えている?」
「……よくは覚えてない。何て言ってたんだ?」
「『やぁ。君もこの学院に入学出来たんだね。おめでとう』って。すごく馴れ馴れしかった」
「…………」
マーキスは
黙りこんでしまった。
言い方がきつすぎただろうか。
でも
名門のエリートで
新入生の代表だった
マーキスから見れば
僕は
どこの出身かもわからない
薄汚い田舎者。
「僕にだけそういうのは、ローブのせいだってしばらくして知ったんだ」
「ローブの?」
「だってローブの色にはランクがあるって。クラスの誰かが兄弟から聞いた話をしてた。青や緑はエリートの色だって」
あの日のことを
思い出しただけで
僕は気分が沈んだ。
人もまばらな
あの日の教室。
雑談に花を咲かせる
クラスメートたち。
皆が
憧れの眼差しで
マーキスの青を見た。
そのあと
思い出したように
僕を振り返ったんだ。
『じゃあロイのローブの色は? ロイだけ違う色だ』
『アレは一番安物の田舎ローブじゃないか?』
父さんたちが
僕にくれた
大切なローブは
たちまち教室を
笑いの渦にした。
僕だけが
知らなかったんだ。
他に
同じ色のローブを着た人は
一人もいなかった。
「それは違う!」
僕の話を聞いていたマーキスが
突然に叫んだ。
「ロイのローブは安物なんかじゃない」
僕は
驚きで
手に握ったままだったパンを
危うく落としそうになる。
「誰だ、適当なことを言った奴は!」
マーキスは
本気で怒っているみたいだった。
びっくりした。
「……僕のローブ、安物じゃないの……?」
「いいか、ロイ。マーブーの毛は一番上質でローブには最適だと言われている。その上色が薄いから染めやすい。青や緑のローブは、マーブーを染めたものなんだ。マーブーはもともと数が少ない。稀少なものをさらにほとんど染めてしまうから、だから君のは珍しいんだ! 学長もよく見つけてきたと思うよ」
早口に捲し立てるマーキスに
僕は首をすくめた。
自分の無知さが恥ずかしい。
それ以上に、
――すごく嬉しかった。
「自然な色のままのマーブーは初めて見たけど、……なんかいいだろ。僕は好きだ、ロイのその色」
ずっとずっと
僕は
自分が皆より
劣っていると思っていた。
みすぼらしいと思っていた。
劣等感を
抱いていた。
だからいつも
マーキスが僕を
馬鹿にしていると
勝手に解釈していた。
王様気取りの
エリートだと
決めつけて。
「皆もきっと無知だっただけで、ほんとは誰も悪くなかったのかな……」
僕はずっと
被害者のつもりで。
僕の中ではずっと
マーキスは悪者で。
「ごめんマーキス。勘違いしてた」
迂闊にも泣き出しそうになった。
でも
今泣いたらダメだ。
やっと
僕はマーキスに
謝ることが出来た。
僕が予想もしないほど
それは申し訳ないことだった。
喜びと同じだけ、強い後悔に苛まれる。
頭のなかがぐちゃぐちゃで、
でも
ここで泣くのは間違いだ。
学長にも
『差別』だなんて
僕の勝手な
被害妄想だった。
マーキスは
真剣な顔で
ゆっくり
首を横に振った。
「謝るのは君じゃない。僕のほうだ」
そんなことを
マーキスが
言い出したものだから
僕は
夢でも見ているんじゃないかと
少し心配になった。
あまりに
話が出来すぎだ。
でもマーキスが
深刻そうだったから
黙って話を聞くことにした。
「ほんとは君には関係ないのに、いつも巻き込んですまなかった。山トカゲの時も……仕返しをされるまで、僕は……」
「『巻き込む』って何に?」
パンの続きを食べながら
なるべく気にしてない風を装って
軽く訊いた。
今なら
マーキスを信じて
『きっと何か訳がある』と
思える余裕がある。
自分が嫌なことをされたと
腹をたててばかりいたのは
視野が心が
狭かったんだ。
「代々魔法使いを世に出してきた家系の僕らのような生徒にとっては、あの学院は生きた心地がしない場所なんだ」
いつも
クラスで一番の
偉そうにばかり見えた
王様マーキスは
僕の知らない悩みを
たくさん抱えていた。
「家同士が互いに競い、暗黙のうちにランクがつけられていて、どこの家の子には負けてはいけない、とか。親戚や付き合いの深い家のこどももたくさん通っているから、いつも落ち度のないように、家の名前に泥を塗らないように、頑張らないといけないんだ」
そうして
競いあう家の者同士が
先に身につけた魔法で
優劣のために
悪戯をしかける――
そんなことが
長年続いて来た。
「常にトップを独走するように教育を受けてきた僕は、今さら差をつけなきゃいけない相手がいない。でも誰かに仕掛けて示していかないといけなくて――僕は君に挑んだ」
案の定
僕はマーキスの
いじめの対象だった。
「どうして僕を選んだの?」
少しだけ
声が震えた。
聞くのは怖かった。
勇気を出して
乗り越えないと
いけない壁が
目の前にそびえる。
立ち止まったら
余計に足がすくむ、
なら
止まらずに
突き進むしか
他にないんだ。
マーキスだって
こんな話を
僕にするのは
きっと勇気がいるだろう。
自分が悪いと
わかっていたら
余計に
謝ることは
たいへんだもの。
僕が今さら
ここで怒ったり
泣いたりしたら
マーキスの勇気を
踏みにじることに
なるような気がした。
「僕は弱い者いじめは嫌なんだ。叔父さんは一番才能のない奴を狙えばいいって言った。もし潰してしまっても、全体にとって大した損害はないから、って。でも僕は、はじめて叔父さんに逆らった。僕は僕の意思で君を選んだ――『才能があるから』」
何を言われたのか
よくわからなくて
僕は
口をぽかんと開けたまま
マーキスを見ていた。
だって
マーキスは
僕に才能があるって言った。
あれ?
そう言ったんだよね?
僕があんまり
マーキスを凝視してしまったからか
マーキスは
目の下がほんのり赤くなる。
「僕はロイとなら、もっと多くを学べると思ったんだ!」
ヤケクソみたく
マーキスが叫んだ。
僕は
自分が
どんな顔をしているか
よくわからない。
こんなことは
初めてだから
どんな顔をしていいか
わからないしね。
「よく…わからないけど、僕はマーキスに期待をされてたんだね。……僕はちゃんと君の期待にそぐえたのかな」
才能なんて
一体どこにあるんだろう。
期待外れだったんじゃないだろうか。
少なくとも
僕より才能のある人材を
僕は知っている。
「君は凄いよ! 僕の予想なんか遥かに超える。一体誰に弟子入りしたんだい」
まだ興奮気味に
マーキスが言う、
僕は息を飲んだ。
どうして
僕が誰かに弟子入りしたなんて
わかってしまったんだろう。
見透かされている
僕が
自分で気付かない『尻尾』を
出しているということなのかな。
見る人が見れば
バレバレなのかも。
怖いね、魔法使い。
内心
あわをくう僕が
口をパクパクさせて
言葉を探していると
マーキスはさらに
加速した。
「あの医療部の先生かい? まさか学長じゃないよね?」
「うええ?」
僕は変な声を出してしまった。
とりあえず
落ち着いてほしい、
僕もマーキスも。
「違うよ。ローバー学長やケイミラー先生は関係ないよ」
「また予想が外れた! 一体誰なんだ。さっきの魔法だってどうやったかわからないし、高等技術すぎる」
「??? ……何の話?」
完全に
僕の理解不能領域に
マーキスは駆け上ってしまった。
話が見えない。
こういうのをきっと
『困惑』っていうんだと思う。
僕の使った魔法と言えば
あの蝋燭くらいの
弱い明かりだ。
どの辺が
高等技術か
意味がわからない。
からかってはいないはずだけど
一体マーキスは
何を言いたいのだろう。
オズオズと僕が
申し訳なさそうに
マーキスに訊く。
「僕は何もしてないよ?」
同じセリフでも
マーキスが言えば
謙遜ぽく聞こえるかもしれない。
けど
困り顔の
僕の言葉は情けなくて
到底
謙遜には
聞こえないだろう。
「『未知なる場所の暗がりでは、明かりをつけることは恐ろしい』」
途端に
マーキスの唱えた内容に
僕はポカンとした。
何を言っているのか
さっぱりわからない。
暗がりのままだと
恐ろしいからこそ
明かりを
つけるんじゃないのか?
「どんなガスがあるか、特にこんな洞窟なんかはわからないからね。微かな静電気でも爆発をするかもしれない。君はそれを確認するために最小の魔法を使ってみせただろ?」
思いがけない話に
僕の思考は追いつかない。
なぜか
マーキスは
興奮気味に話している。
「燃えないのに光る、あんな絶妙な手加減をした魔法は見たことないよ。誰に習ったんだよ」
「待って、違うよマーキス。手加減なんてしてないんだ。僕の魔法がへなちょこすぎただけなんだよ」
慌てて弁明する。
何がどうして
そんな誤解を受けたやら
マーキスは
フェア以上に
夢を見すぎている。
「僕は何も凄くなんかないんだよ! 爆発するガスなんて知らないし、僕が弟子入りしたのは学院の雑用をしているモーガンさんだよ!」
僕は
皆に認められたい、
誉められたい、という
気持ちが強い反面
自分の知らないことで
それをされることが
すごく恐ろしかった。
誉められるのはいつも
虚像の僕ばかり、
現実は
取り残された僕が
あまりに虚しい。
モーガンさんの名を聞いて
マーキスは
凄くびっくりしていた。
名のある
優秀な魔法使いに
弟子入りしたと
思っていたからだろう。
「学長や先生方には申し訳なくてそんなお願いできないよ。僕なんかに付き合わせるわけにいかないだろ」
しょせん
落ちこぼれは
落ちこぼれとしか
ウマがあわない。
ようやく納得をしたのか
少し落ち着きを取り戻して
マーキスは
でもまだ
信じきれないように
言葉を紡いだ。
「あのモーガンという男は、僕の叔父さんの同期生で――」
そのまま
言葉をなくしたマーキスに
僕は顔を上げた。
次第に
背筋はザワザワと
不快で包まれ
僕は
思いついたままに
言葉に変える。
「マーキスのおじさんが、モーガンさんを潰したの?」
「モーガンが、そう言ってたのか?」
マーキスの声は
微かに震えていた。
見開いた目が
高鳴る心音まで伝えている。
「……ううん。モーガンさんは何も。でもさっきの話……」
『叔父さんは一番才能のない奴を狙えばいいって言った。もし潰してしまっても、全体にとって大した損害はないから、って。』
おじさんだって
昔は
マーキスと
同じ立場だったなら
きっと
誰かを
虐めたはずで。
僕は
笑ってばかりいた
モーガンさんを思うと
胸が傷んだ。
「でも僕には、モーガンさんは立派な魔法使いだよ」
膝を抱え込んだ。
胸が苦しい。
自分を駄目だと思っている
モーガンさんは
誰のことも恨んではない
けれど
それでも
植え付けられた劣等感は
根強いマイナス要素で
自らの可能性さえも
すべて否定してしまう。
――僕みたいに。
「そう、――ロイはモーガンと違う。僕はロイならそう言ってくれると思った。皆に否定されても、ロイなら負けないと思った。やられてもやりかえしてくれる。強くて優しい」
僕はまた
思考が置いていかれた。
「本人さえ諦めてしまったものを、それでもロイは拾い上げるだろ」
目の前で
マーキスが
僕を見て微笑んでいた。
すぐ闇におちそうな僕を
眩しそうに見つめていた。
「魔法は想いに左右される力だ。僕らの家ではいつだって自信をもって胸を張っているように教え込まれる。失敗をした時でさえ、堂々と気を強く持たなくちゃいけない」
それは
マーキスの
生まれ持った
性格ではなかった。
「泣くことは許されない。甘えることは許されない。脱落者に情けをかけてはいけない。――本当に息が詰まる」
弱音を吐かない
マーキスは
弱音を吐くことを
許されない立場にいた。
生まれた時から
ずっとそうして
生きてきただろう。
「叔父さんはモーガンをきっと潰してしまったと思う。本当は立派な魔法使いにもなれたかもしれないのに」
罪に向き合う
マーキスは
もはや凛としていた。
頂点に立つ者の
足元には
いくつもの犠牲が
積み重なっている。
僕はやっと
わかったんだ。
踏まれた人間だけが
苦しいんじゃないと。
踏みしめてなお
そこに立つマーキスは
決して
楽しそうじゃなかった。
そして
踏まれても踏まれても
そこから僕が
這い上がって来たなら
マーキスはきっと
救われるんだろう。
モーガンさんは
諦めてしまった。
落ちこぼれのレッテルを
受け入れてしまった。
僕は。
「僕は簡単に潰されたりはしない」
強がりを言った。
いつだって
潰れそうだったくせに。
だって
マーキスが
嬉しそうに笑うんだ。
“そうだ”
“お前達の心のバックヤード”
低い低い声が
でも
僕らには届かなかった。
“それぞれのバックヤードを行き来するパスを”
存在すらわからない
誰かの意思を。
“確かに渡したぞ”
僕らは受け取っていた。
「さて。そろそろ行こうか」
「そうだね。のんびりしてられない」
立ち上がる僕らの世界が
硝子のように割れた。
辺りの洞窟の景色は
たちまち一変する。
そこは濁流の中だった。
突然のことに驚き
思考は途切れたけれど
押し潰されそうになる肺が
いつかの記憶を呼び覚ます。
隣り合わせの死、
そう
僕らは
のんびりしてられない。
あの時の
モーガンさんの声が
今も
聞こえてくるようだった。
つまり
今すべきことの
指示が
的確になされる。
腕のタクトをまさぐり
強く握り締めた。
『早く魔法を! イアガー! イアガー! 空気をまとうんよ』
頭に響く、
それは記憶。
「イアガー!」
荒れ狂う水の中で
渾身の魔法を放つと
ふっと
体が楽になった。
自分の周りを
空気の膜が被って
僕を守ってくれていた。
(すごい!)
楽に動けることも
辺りを見回す
余裕があることも
一瞬前とは
何もかも見違える。
同じように
空気を纏うマーキスが
離れた場所に見えた。
流れが強すぎて
このままじゃ離ればなれになる。
僕らは互いを確認すると
示し合わせたように
次の魔法を使った。
『早くエアートで飛んで逃げろや!』
あの時
モーガンさんが言ったように
今ならそれが
僕にも出来た。
「エアート!」
水よりも力強い力が
僕の体を持ち上げて
空中まで引き上げた。
同時に出てきたマーキスが
さらに
次なる呪文を
唱えるのが聞こえ
辺りは
その騒音を吸い込まれた。
「……すごい。これが『リスウォルト』。水が消えていく」
まるでそれは
奇跡みたいだった。
水が
すっかり引いてなくなり
僕らの足も
地面に着く頃、
誰かの
むせていた咳が止んだ。
散乱した荷物。
倒れている人々。
僕らは
二人きりじゃ
なくなっていた。
石で出来た平らな床、
壁に天井、
切り取られたみたいに
真四角の部屋。
広くて
部屋と呼べるか
わからないけれど
巨人の家なら
きっとそう呼ぶだろう。
そこに
閉じ込められている
僕とマーキス、
そして
見知らぬ大人が五人。
僕とマーキスは
あちこちに放り出された
荷物を拾って歩いた。
どれが誰の持ち物か
よくわからないけれど
一所に集めてから
自分のものだけを
鞄へとまとめる。
「君たちも、ここへ選ばれて来たのか」
よく鍛えられ
引き締まった体つきの印象を
さらに強めるような
褐色の肌の男の人は
少しだけ
堅苦しい面持ちで
話しかけて来た。
長めの黒髪が
顔にかかるのを
忌々しそうに
掻き上げている。
「そうです。僕はマーキス・Ⅶ・ティンクヴェル」
「ロイ・Ⅰ・ミルカです」
僕らの自己紹介に
彼は頷いた。
「俺はデュラー。デュラー・Ⅳ・バァナ。……まさかこどもがいるとは思わなかった」
「僕らもです。まさかこどもまでもが選ばれるなんて」
「だが」
デュラーは
僕らをまっすぐに見据えた。
「先ほどの水を消したのだな。偉大なる魔法使いたちだ」
水を消した偉大な魔法使いは
マーキスだけれど
大人に誉められ
僕の頬は紅潮した。
精一杯何でもない素振りで
辺りを見回すと
他の大人たちは
まだ意識を失ったままだ。
僕らより先に
ここへきて
ずいぶん長く
溺れていたかもしれない。
「皆、大丈夫かな」
背の低い
色白の小さなおじさん。
僕の母さんみたいな
女の人。
太った若いお兄さん。
それと
立派な筋肉質のおじさん。
僕らの視線の先に
動かない彼らがいた。
倒れたままの
彼らをゆっくり観察し
ついに
七人が揃ったことや
全員に
これといった
共通点がないことを
ぼんやり実感していると、
マーキスが
小さな声で
耳打ちをしてきた。
「用心したほうがいい」
驚いた僕は
ギョ、と動きを止める。
一体何に
用心すべきかわからず
マーキスを見た。
マーキスは無言で
軽く視線を流し
僕はその先を恐る恐る追う。
示された先に立っていたのは
逞しいデュラーの後ろ姿だ。
もう一度マーキスを見ると
マーキスは
自分の腕を胸の辺りに上げ
無言でその手首を指す。
僕は
彼に気付かれないように
注意深く
デュラーの手首を
観察した。
(……?)
筋肉のついた
綺麗なラインの腕から
徐々に手首へと視点をずらすと
濃い肌の色が
そこだけ少し変わっていて
妙な窪みを作っていた。
僕の手のひらくらいの幅で
他より細く窪む手首、
両手とも
何かで長い間
締め付けていたかのような跡。
僕の母さんが
指輪を外すと
指には
あんなふうに窪んだ
指輪の跡が残っていた。
何年も
同じものをずっとしていると
そんなふうになるんだって
言ってたよ。
デュラーもきっと
腕輪か何か
そうしたものを
ずっと付けていたんだと思う。
けれども
‘用心’と言った
マーキスの言葉に
僕の表情は曇っていった。
デュラーの手首についているのが
何の跡かはわからない。
罪人だったか
奴隷だったか
ここにいる誰かを
疑うなんて
したくもなかった。
たった七人しかいない、
僕らは仲間だ。
どんな過去や
生い立ちであれ
ここでは関係ない。
「マーキスは知っている?」
澱みない
まっすぐな声は
辺りに反響して
綺麗に響いた。
「……何を?」
「王国祭でマーキスが真っ黒な山羊や鶏を連れていった先の家々の下に、誰が住んでいるかを」
目を丸くして
こちらを見ている、
多分
どうして
黒い山羊や鶏のことを
僕が知っているのか、
それを
不思議に思っただろう。
「あの地区は、上の道と下の道とがある」
「下の道……?」
きっと
存在すら知りもしない、
キョトンとした眼差しで
僕を見ているんだ。
「彼らは自分たちのことを『家なし』って呼んでいた。上の人々とは顔を合わさないように隠れて暮らしていた」
マーキスは
絶句して
もう相槌すら返さない。
家がないなんて
僕だって心配になるよ、
どんな毎日を送っているか
まるで想像さえも
つかないんだから。
「皆に忌み嫌われているんだって、そう言ってた」
「でも僕は、彼らとも友だちになれると思うんだ」
出会ったのだ。
知り得たのだ。
言葉だって通じる。
「だからきっと大丈夫だよ」
こんな
何が起こるかわからない
世界の裏側で
選ばれた7人なのなら
なおのことそうだ。
先入観で
苦手意識や嫌悪感を抱くと
誤解はどんどん膨らんで
相手を
大嫌いになってしまう。
僕が
マーキスに
そうだったように。
打ち解けてしまえば
マーキスは
なんていいやつだろうと
簡単に
手のひらを返した僕がいる。
そう、
あんなに大嫌いだったのに。
マーキスが
しばらく僕を
まっすぐ見ていた。
何か
僕を見ながら
自問自答
してるみたいだった。
やがて小さく息を吐き
目を伏せて
微かな呟きを落とす。
「――信じろ、きっとそれが正しい」
マーキスの
頑なな表情は
普段誰かに向ける
おおらかな笑顔とは違う。
固く厳しく
真剣そのものだ。
もしかすると
マーキスは
自分にはものすごく
厳しい人間
なのかもしれないと
僕はこの時から
薄々思うようになった。
顔をあげて
僕に笑いかける
悠然としたいつもの顔。
「わかった。僕も努力をしよう」
前なら
偉そうな振る舞いだと
嫌気がさしたそれも
誠心誠意
偽りない
彼の意志表明と知れば
違って聞こえてくる。
僕らは再び
デュラーに目をやった。
少し離れた場所で
まだ目覚めない皆の
様子をみて
女のひとに
上着をかけてあげていた。
悪い人には見えない。
さっき話をした時も
落ち着いていて
話しやすかった。
きっと
大丈夫だと思うんだ。
上着をかけられた
女のひとが
目を覚ましたようだった。
体を起こし
辺りを見回しながら
オドオドとしている。
デュラーと何か
言葉を交わしてから
僕とマーキスに気付いて
こちらを見た。
「大丈夫? 具合は悪くない?」
僕は
自分の母さんに言うように
心配して聞いた。
なのに
女のひとは
びっくりした顔で
こう言ったんだ。
「ありがとうございます、平気です魔法使い様」
大人のひとに
そんな丁寧な
言われ方をするなんて
思ってもいなかったから
僕はぽかんと
口をあけてしまった。
おかげで
続きは
マーキスに言われたんだ。
「僕らは見た通り子どもです。魔法使いの勉強はしてますが、一人前になるにはまだまだですし……様とかはいりません」
「ごめんなさい、私の国では魔法使い様はとても偉い身分なので」
こんな子どもにさえ
丁寧になってしまうなんて
身分が一体何なのか
僕には
イマイチわからないけれど
僕の隣で
マーキスは
微かに肩をすくめた。
「ウィングルドの出身ですか」
「えぇ。ウィングルド領の小国ポータから」
ウィングルドは
三大国の一つ、
だけど
ポータという国の名前は
僕は知らなかった。
マーキスに
頷いてみせた女のひとが
上着をデュラーに返すと
他の皆も
寝返りをうったり
目を覚まし始めた。
僕らは
話を途中でやめて
彼らに声をかけた。
「誰も怪我をしてないか」
デュラーが発した声に
青白い顔をしたおじさんが
眼鏡をかけて皆を見た。
「驚いたな、これが今回集められたメンバーかよ」
別の方から
筋肉質のおじさんが
ボウボウに伸びた
アゴヒゲを撫でながら
ぼやくように言った。
最後に目をあけた男のひとは
寝転んだまま天井を見て
呟く。
「……ここ、どこ」
まだ
ぼんやりしているらしい。
「全員気がついたようだな」
「皆さんの荷物を集めておいたので確認してください」
遅れて目を覚ました彼らは
まだ事態をよく
把握出来ては
いないようだった。
散らばった荷物の山をみて
慌てて駆け寄るひともいれば
座り込んで
首をゴリゴリ
鳴らしているひともいる。
「確か突然水に飲まれて溺れていたはずなのだけれど……」
辺りに
水のあともなくて
女のひとは
腑に落ちないようだった。
デュラーは
フ、と笑いを浮かべ
女のひとに
こう答えた。
「魔法使い様がお救いくださったよ」
僕はカッとまた
赤面してしまう。
「デュラーさん、……からかわないでください」
「嘘は言ってないさ」
クスクス笑いながら
デュラーは
そうだろ? と
おどけてみせる。
「そうだったのですか。助けていただきありがとうございます。私はミラン。ミラン・Ⅱ・リュートです」
「敬語はもう勘弁してよミランさん。僕はロイだよ、ロイ・Ⅰ・ミルカ」
「マーキス・Ⅶ・ティンクヴェルです。僕もロイも見ての通りアストリア王国のチェンバー魔法学院の生徒です」
マーキスが
わざわざ
魔法学院の話をしたのは
皆の立場も
逆に
把握したかった
からかもしれない。
「俺はデュラー・Ⅳ・バァナ。ウィングルド王国から来た」
だけど
職業や生い立ちまでは
語られはしなかった。
「ウィングルド……。ミランさんと同じですね」
「同じではないわ、私の国は小さな小国だもの」
世界を
単純に三つにわけては
語れないみたいだ。
僕の頭の地図は
三つの国で
成り立っていたけれど、
そこにもやはり
僕の知らない
上下関係が
たくさん
存在しているようだった。
《第四章》完
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