第3章 始まりと終わりの場所



 日常は、ずっとあるから日常で。終わりの時が来て、初めて気付くんだ。


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 何が幸せだったとか


 何が大切だったとか


 自分には出来たはずのこと


 もっと

 ああすれば良かった、なんて



 後悔ばかりを抱えて

 そこから僕らは


 一体どこへ行くんだろ。





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「いやだぁあああっ!」



 力の限りに叫んだ。


 手当たり次第のものを

 ぶちまけたせいで

 部屋は悲惨なことになり


 パンの鳥籠さえ

 ひしゃげてしまったまま

 倒れている。



 ドアの向こうじゃ

 父さんたちが

 必死に僕を呼んでて


 だけど

 それさえ


 僕の耳には

 ほとんど届かない。



 ***



 時を遡り――。



 王国祭最終日の午後、


 僕は

 ゴーヴの広場にいた。



 僕だけじゃない、


 街の皆が

 集まっていたんだ。



 ぐるりと円形に

 観客席は広がる、


 チェンバー魔法学院でも

 似た景色を見たことがある。


 でも

 今度は僕らは

 見下ろす番で


 これから何が起こるのだろうと

 せいぜい

 あるのは興味本位、


 僕に限って言えば

 興味すらあったかは

 あやしいもんだった。



 本当なら

 部屋に引きこもって

 どこにも出掛けず


 最後の祝日を

 静かに終えたかった。



 だけど

 父さんが僕を連れ出し


 仕方なく来たんだ。



 広すぎるせいで

 おいそれとはわからないけれど


 ここに

 学院の皆も

 みんな来ている。



 そう思うと

 僕は具合が悪かった。



 気持ち悪いくらいの

 大勢の人波、


 この中にいる。



 僕と

 マーキスだけは


 どんなに目をそらしても

 お互いがどこにいるか


 まるでわかってるようだった。



 僕は振り返らない。


 マーキスも

 こちらを向かない。



 それでも

 互いの場所が

 わかっているんだ。




 フェアや母さんは

 パレード以来


 僕の様子や

 顔色がおかしいと言って

 心配していた。



 僕は

 これでも

 普通にしているつもりなんだ。



 ただ

 憎悪と呼ぶべき

 わだかまりが

 ブスブスと音をたてて

 燻っているんだよ。



 僕の現実は

 どれだけ望んでも

 きっと変わらない。



 マーキスのいない

 平穏な僕を

 取り戻したいという


 小さな小さな願いでも。



 やがて

 集まった観衆は

 息を潜めて見守った。



 見下ろす中央には

 王国騎士が白馬に跨がり

 赤いマントをはためかす姿、


 僕は

 ぼんやりと見ていた。



 お城からやってきた

 何か偉そうな人が

 数人、


 騎士たちが囲むステージに

 上がって。



 長い話を始めていた。



 そうだ

 昔はよく

 母さんが読んでくれた、


 あの懐かしい絵本。



 フェアが大きくなってからは

 開いた記憶もないけれど、


 いちいち

 こんな場所で

 聞かされなくても


 話の内容なら

 誰だって知ってるさ。



 僕は

 空を見上げた。



 ここからは見えないけれど

 雲の端は

 夕陽の色に

 光り始めていた。



 はやく帰りたいなぁ、


 そんな

 不謹慎なふうに

 ぼんやりしていたのは


 きっと僕だけ。



 今日は

 百年に一度、


 世界の裏側へ旅立つ

 英雄たちを


 発表する日らしかった。



 どうでも良かった。



 飛んでいく鳥を目で追い

 数を数えていた僕は


 視界の端っこで

 立ち上がった青と


 何人かの

 悲鳴のような

 短い歓声、


 ざわめき、


 そうしたものに

 意識を戻して前を向いた。




「どうかしたの?」



 耳打ちした僕に

 フェアが

 びっくりした顔で振り返る。


 そうして

 小声で捲し立てた。



「聞いてなかったの? お兄ちゃんの学校の人が選ばれたのよ!」



 ステージでは

 まだ


 話が続いていて。



 僕は

 ゆっくりと


 瞬きをした。



 今年は

 世界の裏側へ


 誰かが

 伝説みたいに

 行っちゃうんだ。



 本当の話なのかな。



 誰かが選ばれた、って?


 こんな身近な話に

 なるっていうのかい。



 視界の端に

 せわしく落ち着かない青が


 隣の人々と

 何かやり取りをしている。




 だれが

 どこへ

 行くんだって?



 僕はマーキスを見た。



 隣の席の

 おじさんたちに

 宥められるように

 肩を叩かれたりしている。



 両手で顔を被ったり

 頭を振ったり、


 とにかく落ち着かない。



 マーキス。


 君が

 世界の裏側へ?




 僕の脳は

 それを

 じわじわと理解して


 思わずにやけた。



 僕の世界の中から

 マーキスは

 裏側へといなくなる。



 願いは


 思いがけない形で


 今

 叶おうとしているんだ。




 そう喜んだ僕の耳に


 遠くから。



 僕の名前を

 呼ぶ声がした。



 僕は

 反射的に


 え? と言った。



 ついさっき

 聞いたような


 どよめき。



 小さな歓声。



 息を飲む音。



 最後のそれは

 あまりにすぐそば、


 僕の耳元で聞こえた。



 父さんと母さんが

 絶句していた。



 でも僕の目は


 途端に弾かれて

 こちらを振り返った


 あの驚いた顔のマーキスしか

 見ていなかった。



 やっぱり

 マーキスも


 僕がここにいることを

 わかってたんだ。




 正直

 そのあとのことは

 よくわからない。



 気付いたら僕は

 部屋に帰って来ていて、


 そして

 どうやら鍵をかけたらしい。



 思考は途絶えたままで

 感情だけが荒れ狂って


 わけがわからないまま、


 何も理解したくないまま、


 僕は力の限りに

 腹の底から大きな声をだした。


 言葉にならない声を

 獣のようにあげて、


 うろうろするだけじゃ

 おさまらない、


 目につくものを

 手で凪ぎ払った。



 大きな音をたてて

 机の上は一掃され

 床にすべて散らばる、


 それを踏みしめて

 壁のポスターを破り

 鋭い痛みが手のひらに走った。



 深く切れて

 血が出ても

 僕は気にとめず


 目の前の高さに吊るしてあった

 パンの鳥籠のポールを

 ぶっ飛ばした。



 パンの姿はない、


 今頃安全な

 フェアの腕の中だ。



 主人のいない籠は

 壁に当たってへこみ

 床に倒れて動かなくなる。



「嫌だ、嫌だ、いやだぁあああ!」



 僕の口はそう言った。


 うぐ、とか

 ぎぎ、とか


 堪えきれない力と一緒に

 叫んでいた。



 何が、嫌なのか

 僕の思考は追いつかない。


 ただ

 理性をなくした僕が

 止まらないんだ。



 大声をあげて泣いた。



 息が詰まって

 喉が肺が苦しくて


 泣くことさえ難しい、


 小さなこどもみたく

 上手くは泣けない。



 ドアを叩く音が

 微かに聞こえていたから


 僕は

 父さんたちが心配してるのも

 ほんとは知っていたんだ。





 ──夜


 すっかり暗い中で

 僕は目を覚ました。



 ベッドに横になって

 眠っていたんだ。


 だから

 全部夢かとも思った。



 でも

 手のひらの切傷は

 手当てをされて

 包帯を巻かれている下で


 僕を責めるように

 ジンジンと痛んだ。



 夢じゃない。



 明かりをつけると

 部屋はだいたい片付いていて


 床の上は

 元通りだった。



 僕が泣きつかれて

 眠ってしまった後に

 母さんたちが

 してくれたんだろう。




 百年に一度、


 世界の裏側へ旅立つ

 英雄たちが選ばれる


 王国祭。



 今日

 ゴーヴの広場で

 名前を呼ばれたのは


 マーキスと僕だった。




 そんなわけない。


 僕らはこどもだ。


 そんな得体の知れない

 冒険になんか

 行けるはずもない。



 きっと

 何かの間違いなんだ。



 マーキスだけなら

 まだわかる。


 僕なんか

 ただの落ちこぼれだ。


 英雄にはなれない。



 仮に

 もしそうでも


 マーキスと一緒にだなんて

 耐えられはしない。



 もう

 暴れる気力もなくて


 ゆっくり

 思考をめぐらす僕の部屋に


 恐る恐る

 フェアが顔を出した。



「お兄ちゃん…」


「……おいで」



 泣き出しそうな顔で


 きっといっぱい

 心配をしてたんだろう、


 僕は

 飛び付いてきたフェアを

 軽く撫でた。



「私ね、私が、お兄ちゃんの代わりに行くよ?」



 何を言い出したんだろう、

 フェアの声が震えている。



「髪を切れば見た目はお兄ちゃんにそっくりだから、誰にもバレたりしないもん」



 あんなふうに

 僕が取り乱したせいで


 僕より小さな妹は

 すっかり

 覚悟を決めていた。



 ずっと伸ばした髪を

 そんなことのために

 切るだなんて、


「大丈夫だよ。もう大丈夫」



 僕が嫌なのは

 ただマーキスと一緒だなんて

 小さなワガママなんだから。


 そんなこと

 心配しなくていいんだ。



 いつものような、朝。


 いつものように

 朝食を済ませ


 いつもの道を通って


 僕は

 チェンバー魔法学院の前まで

 普通に来た。



 本来なら静かなはずの

 連休明けの最初の朝は


 異様な空気に包まれていた。



 注目されるのは

 慣れてる僕でも


 みんなの目付きが

 また変わって


 なんだか落ち着かない。



 ついこの間までは

 ゴミを見るように

 僕を嫌悪してた彼らが


 今度はこぞって

 話しかけてくる。



「おはようロイ、よく眠れたかい?」


「どうして選ばれたの?」


「いつからいくんだい?」


「なんだか大変そう、頑張ってね」



 僕には彼らが

 とても


 とても

 薄汚く見えた。


 簡単に手のひらを返して

 言い寄ってくるなんて。



 僕は

 生返事ばかりしては

 彼らをかわして

 やっと教室にたどり着いた。



 ほっといてくれたらいいのに……。



 僕でさえ

 この有り様なんだから


 あのマーキスなら

 なおのこと

 人だかりの中で

 もみくちゃにされるんだろうな。



 いつもなら、

 それをいい気味だと

 鼻で笑っていた僕が


 今日はそうじゃなかった。



 これは同情?



 いやまさか、

 そんなはずないよ。


 マーキスなら案外

 英雄気取りで

 喜んでいるだろうし。



 あるいは


 もしかすると僕は

 期待をしていたかもしれない。



 マーキスが来たら

 何か

 話しかけてくるかもしれなくて。



 だって

 あり得ないことに

 なっているんだもの、


 いくら

 日頃仲が悪くたって


 そんなこと

 消し飛んじゃうくらいだろ?



 僕とマーキスは

 もうじき

 学院から姿を消して


 世界を代表して

 どこかへ行っちゃうんだ。



 マーキスだって

 不安だったり

 するんじゃないか?




 これは


 単に僕が不安で


 だから

 同じ境遇のマーキスと

 分け合いたくて



 僕こそが

 マーキスを待っていたのかも。



 何でもない顔をして

 みんなの前で取り繕う自分に


 どうしていいのかも

 わからなかった。



 でもね、


 期待なんかは

 余計に傷付くだけ。



 ようやく

 遅れて来たマーキスは


 やっぱり

 僕には見向きもしないんだから。




 ぐちゃぐちゃの気持ちを

 抱え込んだ僕が


 ただ俯いていると。



 マーレイ先生に呼ばれた。



「マーキスとロイには学長室に来てもらいます」



 嬉しいとか

 哀しいとか


 自分の感情も

 よくわからないまま


 虚ろになっていくのに。



 そこに

 立ち止まったままを

 許されない。



「すぐ向かってください」



 マーレイ先生は

 ニッコリと


 笑顔で言った。




「おやおや」



 僕らを見るなり

 ローバー学長は


 たいそう眉を上げて


 それから

 ふむ、と

 一人納得顔で


 自分の髭を

 指で撫で下ろしていた。



「我が学院に、英雄が二人。かつてないことに、こちらもどうしてよいやら」



 そんな独り言を言いながらも


 ローバー学長は

 僕らを手招きする。



 おずおずと

 僕とマーキスが

 学長の教卓まで進み出ると


 学長は

 僕らの前に

 一つずつ箱を並べた。



「開けてみなさい」



 そこに入っていたのは

 よく見慣れた色の

 マーブーのローブ、


 キチンと畳まれた

 真新しいそれの上に


 何冊かの本と

 タクトが置いてあった。



 タクトは

 僕の肘から手首くらいまでの長さで


 特に宝石飾りもない

 シンプルなものだった。



 でも

 僕ら初等部の授業で触れたものとは

 見るからに質感が違う。



 魔法を使うための

 道具の一つだけど


 初等部の生徒は

 学院の教材を

 みんなで共有して使うから


 個人では所有していない、



 ……マーキスは

 持ってるのかもしれないけど。



「ローバー学長。これは……」



 マーキスが先に

 口を開いた。



 マーキスの箱のローブは

 薄茶色のマーブーじゃなく


 真っ青だった。


 そう

 いつもの

 マーキスの色だ。



「これは我が学院からのせめてもの餞別だ。君たちはまだ、ほとんど何も学んでもいない。魔法使いとしては赤子も同然、だが、選ばれたのだ」



 そう

 僕はまだ


 何の魔法も使えない


 ただのこどもだ。



 何かの間違いだと

 今でも思う、


 悪い夢かもしれないね。



「タクトも持たず冒険は出来まい。そしてタクトを使いこなすにはたくさんの勉強が必要だ」



 そんなことより

 僕はローブの色の違いが

 気になって仕方なかった。


 真ん中とって

 どちらも同じ

 一般的な灰色ローブじゃあ

 いけなかったんだろうか。



 こんなにたくさん

 贈り物をもらって


 英雄だなんて言われて



 本当ならきっと

 凄く光栄で



 だけど

 僕は抑揚のない声で


 死んだ魚のような目をして



 なんてお礼を言ったかも

 よく覚えてない。


 何もかもが

 遠く感じた。



 ただ

 マーキスは


 嬉しそうだった。



 それだけは

 僕の脳裏に

 ハッキリ焼き付いていた。



 家に帰りついてからも


 僕は

 その箱を開く気にならなかった。



 ローバー学長から

 贈られたのは


『差別』だと思ったからだ。



「お兄ちゃん、この箱なぁに?」



 妹のフェアが

 興味を示すまで

 忘れてすらいた。



「……開けていいよ」



 フェアは

 箱の中を見て歓声をあげると


 最初に

 タクトを手にした。



 それから

 本を開いて


 下手くそな呪文を唱えると


 窓も締め切った

 僕の部屋の中で


 風が吹き抜けていったんだ。



 鳥肌がたった。



 目を丸くして

 キョトンとしているフェアが


 たった今

 僕の目の前で使ったのは

 紛れもなく魔法。



 タクトをはじめて握ったくせに


 フェアは

 魔法を使ったんだ。



「危ないから貸して」


「エヘヘ、ごめんなさい」



 学院の授業で

 はじめてタクトを使った時


 大抵の生徒は

 コツがわからずに

 苦労したのに。



 タクトと本を

 僕に渡すと


 最後にフェアは


 あの

 薄茶色のマーブーのローブを

 箱から引っ張り出した。



 それは

 普段僕らが見るより

 ずっと長くて


 フェアが羽織ると

 裾が床スレスレまであった。



 長いローブは

 大人や高等部の人が

 着るものだと思っていた。


 フェアが羽織ると

 まるで可笑しい、


 仮装パーティーみたいだ。



 つまり

 僕が着ても


 同じように

 着こなせないということを

 意味していた。



 フェアが

 部屋を出てから


 僕もタクトを握って

 本に書いてある

 呪文を唱えてみた。



 コッソリと

 小さな声で。



 呪文は

 間違っていないことを

 何度も確認したけれど


 魔法は起こらなかった。



 どうやら

 僕の魔法センスは

 フェア以下みたいだ。



 今頃

 マーキスは


 おじさんにでも

 手取り足取り

 魔法を習っているかもしれないのに、


 僕だけが


 こんな

 情けないままだなんて


 絶対に嫌だった。



 ***



「僕に


    魔法を

    教えてください――。」



 ***



 それから

 しばらくして


 僕らは

 学院に通う

 最後の日を迎えた。



 この日は

 チェンバー魔法学院の

 すべてのカリキュラムを変更して


 僕とマーキスのための

 送別会が開かれ


 一足早い

 学院祭のようだった。



 入学したての僕らは

 実際の学院祭を

 知ることもないけれど


 上級生たちが

 式典用の法衣を纏う姿は

 そんな時くらいしか見れない。



 目の前で行われた大合唱には


 正直

 足がすくんだんだ。


 先生方や

 知らない上級生からの

 ありがたい送辞も


 ほとんど心には残らず、


 盛大な送別会に

 うんざりとして


 疲れていた僕の袖を


 後ろから不意に

 誰かが引っ張って来た。



「ロイくん」



 そこにいたのは

 なんと


 ミス・チェンバーだ。



 僕の心臓は

 急に跳ねた。



 ミス・チェンバーから

 僕に話しかけてくるなんて!



 僕はすっかり

 嫌なことも疲れも

 何もかも忘れて


 この瞬間だけ

 元気を取り戻した。



「私、ロイくんのことずっと誤解していたの。それを謝りたくて」



 ミス・チェンバーは

 そう言ったけれど


 僕はすっかり

 舞い上がっていて


 意味はよくわからなかった。



「ぜんぜん、気にしないで!」



 僕が笑うと

 ミス・チェンバーは

 小さく笑って


 安心したようだった。



 それから

 最後に言ったんだ。



「こんなお願い、あつかましいけど。マーキスくんを、よろしくね」



 僕の中で

 何かが音をたてて

 崩れたみたいだった。




 ***



 翌日


 ついに

 王都へと向かう朝が来た。



 王様から直々に

 世界の裏側へ旅立つ

 勅命を受けるらしいって


 お父さんたちは

 ソワソワとして


 僕だけがまだ

 ぼんやりとしてたんだ。



 王都へは

 家族みんなで向かうけれど


 そのあとは

 僕だけが旅に出る。



 そしたら

 そこにいるのは


 家族じゃなくて


 知らない人たちと

 マーキスだけ。



 頭ではそう

 わかってはいるんだよ。


 まとめた荷物の

 確認をしていると


 僕の部屋に

 フェアが

 パンを連れてやってきた。



 僕は

 フェアを見て

 思わず動きが止まってしまう。



「どうしたの、その髪」



 フェアの前髪は

 短く切り揃えられて


 今まで見たことのない

 髪型になっていた。



「あのね」



 少しはにかんで

 フェアの差し出した

 手の中に


 小さな人形が見えた。



 細い糸を

 ぐるぐると巻き付けて

 玉にしてある

 薄茶色の丸い頭に


 棒のような体が

 手足と共に

 ぶら下がっている。



「お守りなの」



 それは

 長く伸ばした

 フェアの前髪だ。



 人形には

 細い三つ編みの

 首掛け紐もつけられている。


 僕は人形を

 しげしげとよく見つめてから

 首にかけた。



 大事に

 ローブの中にしまうと


 なんだか少し

 懐があったかい気がした。



「一晩中作ってたの?」



 昨夜最後に見た時は

 フェアの前髪は

 まだ長かった。


 ならば

 そのあとに

 この人形を作り始めたのだろう。



「おまじないの本に書いてあったの。月の光を当てながら祈りを込めて作ったのよ。『お兄ちゃんが無事に帰ってきますように』って」




 案の定フェアは


 王都へ向かう馬車の中で

 眠りこけていた。



 ただまっすぐに


 綺麗に舗装された

 王の道を進む馬車は

 心地よい揺れで


 緊張さえしていなければ

 僕もきっと

 眠れただろう。



「ロイ」



 僕の向かい側の席に座る

 父さんが


 不意に僕を呼んだ。



 窓の外を見ていた僕は

 視線だけを

 父さんに向けた。



 何か

 言おうとしていた父さんは

 でも言葉に迷っているみたいで


 やがて

 はにかみながら

 当たり障りのない話をする。



「今日は都で一泊して、王様の所へは明日行くんだ」



 僕は頷いた。



「家族で旅行なんて始めてね。王都はどんなところかしら」



 父さんの隣で

 膝の上のフェアの頭を撫でながら

 母さんが言った。


 フェアはまだ眠っている。



 馬車は

 カタコトと

 音をたて


 僕らを運んだ。



 結局

 そのあとも

 たいした話をするでもなく


 また僕は

 外の景色ばかり見ていた。



 色んな不安が

 渦巻いていたし


 寂しい気持ちになるから

 父さんや母さんの顔も

 あまり見れなかった。



 ここでまた

 弱音を吐いてしまったら


 僕は

 もう立ち上がれなくなる


 そんな気がしていた。



 皆が

 支えて励ましてくれるからこそ


 僕は

 甘えたりすがったりせず


 自分の足で

 進んでいかなくちゃ。



 そうじゃなきゃ、


 僕を信じてくれる

 フェアたちに


 顔向けできないんだ。




 僕の座っている

 後方座席からは


 馬車の進む方角の景色が

 よく見えた。



 じっと座っている身体が

 すっかり疲れてしまった頃


 それは見えてきたんだ。



 まだ遠く

 霞んで広がる景色に

 僕は思わず腰を浮かし


 窓から顔を出した。



 僕の隣に

 山積みになっていた荷物が

 崩れそうになり


 父さんと母さんが

 慌てて手を伸ばして

 押さえながら、


 何か言っていたけど。



 僕は

 目を奪われていた。



 遥かにそびえる

 王都は


 ぐるりと

 周囲を塀で囲まれて


 その中に

 丘状の街並みがあり、


 一番奥の

 小高い場所には

 美しい造形の城が見えた。



「フェア、起きろ。城が見えて来たよ」



 僕が

 沈黙を破って

 声を出したからか


 パンは

 興奮気味に

 狭い馬車の中を跳ねて


 僕の肩や

 フェアの頭を

 行ったり来たりした。



 フェアは

 寝ぼけまなこで

 母さんの膝から

 ゆっくり起き上がる。



「いよいよか」



 父さんが

 緊張の面持ちで

 呟いた。



 王都は

 雄大な姿で

 僕らを迎える。


 教科書で学んだ

 古い古い歴史が

 もう目の前に実在した。



「琥珀色の煉瓦を一つ一つ積み上げて作った城壁は、700年前の大洪水の時も壊れることはなかったんだって。王都はその時壊滅的な被害を受けたけど、復興の際に王都全体を囲むあの塀を作ったんだ」



 僕は

 フェアに説明してるつもりだったけど


 本人はまだ

 眠そうに

 ぼんやりとしている。


 あんまり無反応なフェアを

 軽く振り返ると


 短くなった前髪が

 寝癖で跳ね返ってるのが

 可笑しくて


 思わず笑ってしまった。



 父さんや母さんも

 そんな僕に安心したのか


 あらためて

 一緒になって笑った。



 それから

 王都を囲む塀に

 たどり着くまでには


 まだしばらくかかった。



 近くで見るそれは

 僕が思うより

 ずっとずっと高く


 煉瓦も

 普段見かける物の

 何倍もの大きさで


 僕を驚かせた。



 大昔に

 これを作り上げただなんて

 信じがたい。



 一体

 どれほどの

 財力と労力とか

 そこに注ぎ込まれたのだろう。



「残念だな。時間があれば炉の遺跡も見に行ったのに」



 かつて

 煉瓦を生み出した

 その巨大な工房は

 今はもう役目を終えて

 遺跡だけが残っているらしい。


 王都には

 他にもたくさんの

 歴史的な名所があるけれど、


 観光をして歩く時間が

 僕にはない。



 せっかく

 王都にまで来たのに


 本当に残念だった。



「フェアたちは帰る前にたくさん観光をしてくといいよ。素晴らしい場所がいっぱいあるんだ」



 するとフェアは

 首を横に振った。



「お兄ちゃんが帰ってきてから、一緒に行く」




 この時はまだ

 当たり前のように

 そう思えた。



『僕が役目を終えて

 帰ってくる』――



 フェアも

 父さんも母さんも

 僕自身も


 それを信じて

 当然に思ってたんだ。



「そうだね、一緒に行こう」



 だから皆

 嬉しそうに

 笑いあえたんだ。



 高く影を落とす

 塀の前で


 馬車は動きを止めた。



 巨大な門が

 行く手を塞いでいたからだ。



 馬車を仕切る御者のおじさんが

 門の警備をしている

 兵隊さんと

 話をしている間も


 僕はずっと

 塀の煉瓦を観察していた。



 重圧感で

 僕は今にも

 押し潰されそうな

 錯覚すら覚えた。


 その感覚が

 チェンバー魔法学院や

 先生方を思い出させて

 僕は頭を振るう。



 重圧感?


 むしろこれは

 何かの魔法の力による

 微かな違和感だ。



 僕以外の誰も

 それを感じ取っている様子は

 まるでなかった。



 兵隊さんの一人が

 僕らに馬車を降りるよう

 告げに来た。


 王都に入るための

 手続きをして

 許可証を貰う間に


 荷物を

 調べていたみたいだった。



「都内では魔法の使用は禁止されています。まだロイ様は国家魔法術士の資格がないので、荷物の一部は預からせていただきますが、特令がでておりますので明日王城にてお渡し出来るかと思います」



 僕のローブもタクトも

 あえなく没収されてしまい


 チェンバー魔法学院の

 制服だけの姿で

 僕は落ちつかない。



 馬車の荷物も

 半分になってしまった。



 再び馬車に戻ると


 ようやく門が

 音をたてて開かれる。



 途端に

 大衆の歓声と

 拍手が押し寄せ


 僕らは

 何事だろうと驚いた。



 王都の人たちは

 僕らの到着を歓迎し


 色とりどりの

 花弁を撒いていた。



 歓声、


 そのあまりの圧力に

 僕は思わず身を隠した。



 とは言え

 馬車の両側に窓があり

 視界を遮る幕などない。


 片側からは隠れても

 もう片側からは

 丸見えだ。



「ロイ。堂々としてないと余計にカッコ悪いぞ」


「そうよ。悪いことをしたわけじゃないんだから、普通にしてなさい?」



 父さんや母さんも

 言葉のわりに

 居心地悪そうに

 緊張していた。


 フェアは

 口をへの字に曲げて

 固まっている。



 パンだけが

 キイキイと

 観衆に向けて


 対抗心むき出しで

 叫んでいる。



 僕は座席に座り直し


 ただただ

 馬車が早く

 通り抜けて行くことを

 祈っていた。



 だけど

 都の道には

 たくさんの人や馬車があり


 進む速度は

 比較的ゆっくりだ。


 手を振る

 一人一人の顔を

 見分けられるくらいだった。



 恥ずかしさで

 手に汗を握りながら

 僕が俯いていると


 母さんが

 不意に息を漏らして呟いた。



「あんなにたくさんの人が応援してくれて、ありがたいことね」



 そう言われたことで


 彼らが

 口々に叫ぶ声がようやく


 意味を持つ言葉になって

 僕の耳に届いた。


 ゆっくりの馬車


 いつまでも

 繰り返す声援


 その長い時間。



 学院でも

 聞いたはずの


 励ましや応援、


 今までなら

 白々しくて


 耳を塞ぎたかったもの。



 でも

 言葉は同じはずなのに


 母さんが

 ありがたいと言ったように


 今は僕も

 そう感じた。



 長く考えて


 あの時は僕が

 逃げ出したかったから

 受け取れなかっただけなんだと


 ようやく気付いた。



 ありがとう、と

 受け取れたなら


 自分の足で

 進んでいける。



 ちゃんと

 今


 受け取らないと。



 何かがすっかり

 剥がれ落ちたように


 僕の心は

 軽くなった。


 熱くなった。



 何かに背中を押されて

 力がわき起こるんだ。


 あるいは

 閉じ込めていた

 ほんとの自分が

 飛び出してきたみたいに。



 知らない人たちの声援に

 掻き消されない

 しっかりした声で


 僕は

 父さんと母さんに

 話しかけた。



「どうして僕なんかが選ばれたのか。まるでわからないけれど。出来ることを精一杯やってくるよ。だからもう、大丈夫。心配かけてごめんなさい」



 王国祭のあの日以来


 取り乱した自分への

 恥ずかしさや後ろめたさ


 そうした

 しこりを抱えていたけど。



 やっと


 まっすぐに

 父さんたちを見れた気がした。



 父さんたちはいつだって


 僕を叱ったり

 責めたり

 問い詰めたりせず


 僕を信じて

 時間をくれた。



 僕がどんなに

 問題から目を背けていても

 間違いをしていても


 じっと

 見守っていてくれた。



 時間はかかってしまったけれど。



 ありがとうと

 応えたかった。



 父さんは

 嬉しそうに笑ってくれた。


 母さんは

 泣いていたけど。


 ちゃんと

 自慢の息子に

 なれる僕でありたい。


 都のとある宿屋で


 僕らは

 最後の日を過ごした。



 フェアには

 パンと

 林檎の木の世話を

 任せていくことになる。


 しっかり者だから

 心配はしてない。



「もしも僕のことで我慢が出来なくなったら。この手紙を読むように」


「何が書いてあるの?」



 フェアは

 クリクリとまあるい目を

 こちらに向けていた。



「まだ内緒」



 跳ね返った前髪を

 撫でたけれど

 寝癖は直らなかった。



 アストリア王国を治める

 王様は


 メイルゥ・フィハネス女王陛下、


 老齢にして

 世界の三分の一を支配するその人は


 豊満な体に

 きらびやかな衣裳を纏い


 堂々たる出で立ちで

 僕らを迎えた。



 さすがは王様だと

 変に納得する。


 そんじょそこらの

 元気なおばあちゃん方では

 真似の出来ない

 威厳があった。



 でも

 やっぱり

 僕のおばあちゃんみたく


 優しいまなざしで

 笑ってくれるんだ。



「聞いていた通り、なんて可愛らしい英雄たちでしょう」



 大きなしっかりとした声で

 ゆっくりと話す女王陛下に


 僕はギクシャクと

 挨拶をした。



 大きな一室に

 女王陛下と

 数人の家来、


 僕たち家族


 そして

 マーキスたちがいた。



 ふかふかの

 真っ赤な絨毯が眩しくて

 俯いていると

 目がチカチカしてしまう。


 顔を上げれば

 壁に掛けられた布の

 見事な刺繍絵やら


 誰を模したかわからない

 立派な彫刻が

 次々目に入る。


 アーチ型の天井にだって

 絵画が施され


 その隙間に

 シャンデリアが光っていた。


 空間を余すことなく

 豪華絢爛に飾りながらも


 調和がとれていて

 無理を感じない。



 きっと

 こういうのを

 美しいというんだろうと


 こどもの僕でも思った。


 マーキスの家族は


 大人の男の人が

 二人だけで


 お母さんらしき人は

 いなかった。



 そういえば

 王国祭のパレードでも


 二人のおじさんたちだけだった。



 ちらっと盗み見た感じでは

 凄く厳しそうな


 気難しい顔をした人だ。



 魔法使いの正装をしているから

 きっと

 おじさんたちは

 国家資格を持っているんだろう。



 マーキスの家の

 有名さを考えれば

 当たり前のことだよね。



 マーキスだけは

 僕と同じで


 いつもの青いローブは

 着ていない。



 今だけ同じ

 制服姿だ。


「マーキス・ティンクヴェル。そうティンクヴェル家の魔法使いと言えば、ストリィやカルススはよく働いてくれています。非常に優秀な魔法使い」



 女王陛下がそう言うと

 マーキスの横で

 おじさんが恭しく頭を下げた。



 話の流れから

 どうにも

 マーキスのお兄さんが二人


 お城勤めの

 魔法使いであるらしかった。


 僕は驚いた。



 学院でも


 ティンクヴェル家が凄い家なのは

 皆が言っていたけれど


 まさか

 アストリアのお城勤めだなんて。


 宮廷魔法使いなんていっても、

 せいぜい辺境の小国とかだと思っていたんだ。



 長話を遮るように


 女王陛下の傍らにいた

 家来の一人が


 巻物を乗せた

 お盆を差し出した。



「それにしてもいくら魔法使いであるとはいえ、二人ともまだ幼い。私は心配で心配で、ご両親にも申し訳なく思います。これを言うのは残酷、だけど王としては果たすべき責務ね」



 女王陛下は

 たいそう心を痛めながら


 仕方なく

 巻物をほどいていく。


 表現豊かで

 何も隠さない人だった。


 女王陛下は

 一度ため息のように

 ゆっくり息を吐いて

 しばし目を閉じていたけれど。



 再び目を開けたそこには

 王たる気迫を備えた

 私情を一切挟まない


 公務としての女王陛下がいた。



 開いた巻物に視線を落とし

 朗々と読み上げる声に

 僕らは自ずと集中する。



「汝ら世界の意思に選ばれし英雄である。これより世界の最果て『バックヤード』への旅立ちを命ずる。三大国の王を代表し、称号を授与する。マーキス・ティンクヴェル、ロイ・ミルカ。両名は此へ」



 呼ばれるままに

 僕とマーキスが

 女王陛下の前に進み出た。



 女王陛下は


 おしろいの匂いが

 微かにする

 眩しい白い肌に


 薔薇色の頬紅をさしていた。



 元気そうなのは

 お化粧のせいかもしれないと

 僕はボンヤリ思う。


 キラキラと

 光を返す首飾りが


 俗世にはない輝きで

 一線をかくしている。



 そんな中

 不意にまた


 女王陛下が

 いたずらっ子のように

 表情を和らげた。



「素晴らしい数をいただいたわね」



 だがすぐに

 もとの厳粛な声音に変わる。



「七人の英雄にそれぞれ異なる称号を、世界より与っております。マーキスには『Ⅶ』の称号を。ロイには『Ⅰ』の称号を」



 僕はポカンとしてしまった。


 女王陛下が

 勲章のようなものを

 付けてくれて


 おまけに

 なでなでと

 頭を撫でられた。



「これからは、ロイ・Ⅰ・ミルカと名乗りなさいね」



 どうやら

 僕の名前が

 変わったらしかった。



 女王陛下のおっしゃる話では


 僕ら7人を選んだのは

《世界の意思》なのだという。



 誰かが選んだわけではない、と

 言い聞かされても

 狐にでもつままれた気分だ。


 でも

 ずっとそうして


 選ばれた者は

 どんな事情があっても

 拒否や辞退は許されず


 皆旅立って行ったという。



 その

 世界の最果て

《バックヤード》へと。



 ここには

 僕とマーキス

 二人だけがいるけれど


 残りの5人は


 ウィングルド王国や

 ウァルフガン王国から

 バックヤードへ向かうらしい。



 入り口は

 世界中で3つしかない。


 つまり

 三大国のお城の地下に、


 百年に一度開く

 魔法の扉があって


 英雄の称号を持つ者だけが

 そこを通ることが

 出来るのだという。



 やがて

 運び込まれて来たのは


 昨日

 都に入る時に

 没収された


 僕らの

 魔法の道具だった。



 許しをもらい

 いつものローブの色を纏うと


 なんだかんだで

 落ち着く。



 カバンの中身も

 ずっしり重くなった。




「私から貴方たちに最後に渡すのはこれです」



 女王陛下は

 古びた立派な箱の中から

 何かを取り出した。



「バックヤード・パスを受け取りなさい」



 差し出されたのは

 魔法に覆われた

 不思議な巻物。



 なぜ

 一目見て

 それが魔法に覆われていると

 僕はわかったんだろう、


 マーキスも

 同様の視線を送っている。



 僕とマーキスの前で

 差し出されたのは

 ただ一本の巻物だ。


 魔法がかかって

 いなかったとしても


 どちらが受け取るべきか、も

 迷う。



 どんな魔法か

 わからない、


 何か呪いを受けるかも。



 そんなわけはない、


 女王陛下自ら

 手にしているじゃないか。



 二人いるのに

 僕が先に手を伸ばして

 受け取るべきだろうか。


 女王陛下を

 いつまでも


 お待たせしてはいけない。



 実際には

 ほんの何秒の間


 だけど

 ずいぶんたくさんのことを

 迷ってしまう。



 そんな

 僕の躊躇を追い越して


 マーキスは

 堂々と

 それを受け取った。



 マーキスに

 巻物を渡した女王陛下は


 僕ら二人の顔を

 しっかり見ながら


 ゆっくりと

 確かな口調で

 力強く言う。



「それは、世界の裏側バックヤードの大事な地図よ。開けてごらんなさい」



 マーキスが

 巻物を開くと

 そこには色褪せただけの

 空白があった。



 見たところ

 紙の質がとても古い、


 材質も

 普段見る紙とは

 違うようだし


 普通に考えたなら

 長い時間の経過で

 インクが薄れて


 地図は

 消えてしまったに違いない。



 だけど

 僕らは魔法使い。


 そこには

 魔法の力があることを

 すでにわかっている。



「バックヤードに行けば、地図は蘇るのですか?」



 僕の質問に

 女王陛下は

 嬉しそうに目を細めた。



「なんて賢い子達でしょう。先日最果ての地図を紐解いた家臣は『大事な地図が消えてしまった』と大騒ぎを起こしたというのに」



 その様子を思い出して

 可笑しくなったのか、


 女王陛下は

 肩を震わせていた。



 マーキスは

 静かな声で返す。



「魔法に長く携わる者には、魔法の気配がわかります。家臣様がわからないのは仕方ありません」


「そうらしいですね、貴方のお兄さんから聞きました。ですがカルススはこうも言っていたわ。――『魔法を肌で感じるのはよほどの熟練者』。私は魔法学校に入ったばかりの貴方たちがそれを出来るとは思ってなかったの」



 ようやく

 魔法使いとしての

 実力を試されたんだと

 僕は気付いた。


 背中にうっすら

 汗が滲む。



 マーキスは

 当たり前に

 知っていただろうし


 小さいうちから

 訓練を受けただろう。



 でも僕は違う。


 たった今

 初めて知った。


 居心地の悪さに

 僕は生唾を飲んだ。



 にこやかなのは

 女王陛下だけで


 マーキスは

 ほんの一瞬だけ

 僕に疑問の一瞥を向けたし


 背中には

 魔法以上に突き刺さる

 皆の視線を感じる。



 マーキスのお父さんたちは

『なぜお前みたいなヒヨッコが』と

 言わんばかりの

 冷たい視線。


 反対にフェアは

『やっぱりお兄ちゃんは凄いんだ』と

 妄想に拍車をかけている。



 僕の

 被害妄想もあるだろうけど


 注目されてるのは

 事実、


 嫌な緊張だ。



 気がつくと


 女王陛下は

 再び

 厳しい顔付きになっていた。



 コロコロと代わるから

 油断ならない。



「言い伝えでは、そこに決まった地形はなく毎回姿を変えるそうよ。だからその魔法の地図だけが頼りなの。なくさないように大事になさい」


「はい。女王陛下」


「バックヤードでは何が起こるかわからないわ。ほんとなら兵士を護衛につけたいけれど……選ばれた7名しか行けないの」


「はい。女王陛下」



 僕とマーキスの肩に

 手を乗せて


 じっと僕らの目を

 交互に見る。


 女王陛下だけは

 僕とマーキスを

 差別せず


 同等に扱ってくれる。



 きっと

 マーキスの青より


 ずっと上に立つからだろう。



 当たり前か、


 一番偉いんだもんな。



 その

 尊敬すべき口が


 再び開かれた。



「力をあわすの。何があっても。お互いを信じて」





 僕は自分の耳を疑った。



 だって

 僕とマーキスで


 力をあわせる、なんて


 想像も出来ない。



 思わず

 息が喉に詰まって

 僕はぐっと耐えた。



 僕の

 隣前方に立つマーキスだって


 表情はわからないけれど

 耳の先にだんだんと

 赤みがさしてきて


 もしかしたら

 内心ものすごく

 怒っているのかもしれない。



 女王陛下の御前だけに

 僕はハラハラした。



「そうして無事にちゃんと帰っていらっしゃい」


「はい……女王陛下」



 僕は恥ずかしくなって

 俯いてしまった。



 どんなときも

 信じあうどころか


 一回であっても

 信じるなんて難しい。



 マーキスに負けないように


 せめて

 自分の力だけで

 乗り切れるように。


 力を借りたくなくて

 魔法の練習をして

 腕を磨いてきたのに。



 うなだれた僕を

 勘違いしたのか


 女王陛下は

 やんわり


 明るい優しい声で

 こう付け足した。



「無事に帰ってきたら、ご褒美に私が願いを叶えてあげましょう」



 普通に考えて

 女王陛下直々にくださる

 ご褒美なんて


 どんなすごいことか


 でも

 僕はまだ

 その価値に

 気付いてもなくて。



 これからはじまる

 マーキスとの時間に募る


 不安を

 拭えなかった。



 むしろ

 生きて帰れる気すら

 しなくなってきた。


 マーキスなら

 平気で僕を見捨てそうだ。



「バックヤードでは具体的に何をしてくればいいのですか。旅の目的がわかりません」



 マーキスの切り出した問いに

 僕はハッとした。


 ついつい

 悪い方に考えてしまって

 黙り込んでいたから。



 女王陛下は

 もっともそうに頷いてから

 その質問に応える。



「まずは他の国から来た者たちと合流をしなければならないでしょう」



 全員で七人。


 残りの五人は

 どんな人たちだろう。


 僕とマーキス二人では

 さすがに心許ない。


 魔法使いとはいえ

 こどもなのだから。



 女王陛下は

 伝え聞く限りのことを

 僕らに話してくれた。


 過去に

 バックヤードから帰還した

 英雄たちの話だ。



「バックヤードは不思議の国です。この世界とは成り立ちが違います」


「成り、立ち……?」



 言われている意味が

 わからない僕らは


 ただ神妙な顔をした。




 だけども

 僕もマーキスも


 深くは追求しなかった。


 実際に

 その不思議を

 目の当たりにしたのは


 百年も昔のひとだから。


 女王陛下にだって

 意味はわからないだろう。



 僕らが行って

 この目で見てくる、


 それが選ばれた

 僕らのさだめ。



「最果ての地図に示されるものを頼りに進んでいくと、やがてあなたたちには試練があると思います」


「試練……」



 にわかに緊張する。


 僕にとっては

 すでに毎日が

 試練の連続な気もするけど。



「最終的には、次の地図を手にして、無事に帰ってくることです」



 旅の途中に

 何があるかは

 誰にもわからない、


 そういう意味を込めて

 女王陛下は

 最終的な目的を告げる。



 次の

 百年後にまた

 バックヤードへ旅立つ

 英雄たちに


 渡す地図を持ち帰る――



 まるで

 時を超えた

 リレーのようだね。



 この地図も

 百年前の人たちが

 届けてくれたものなんだな。



 そう思うと

 感謝や

 責任や

 使命や


 色んな気持ちが湧いてくる。



 いつまでも

 個人的な

 小さなことに

 とらわれていては


 繋いでもいけない。



 僕はそっと

 マーキスを見た。



 僕たちに

 それが出来るのかな。



 何で

 よりによって

 僕とマーキスが

 選ばれたのかな。



 僕とマーキスだったから

 余計に選ばれたのだろうか、


 だとしたら

 意地悪だ。



 でも

 きっと

 やるしかない、んでしょ。


 僕は人知れず拳に力を込めた。



 まずは

 マーキスと

 仲直りを……?




 ああ、


 一生懸命

 前向きに検討しても


 絶望しか見えてこない。




 魔法の扉の開く先


 真っ暗な口を開けた

 バックヤードが


 僕らを

 不安の渦に

 飲み込んでいった。




                           《第三章》完  



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