最終話〈風鈴の帆〉

 さて、ここまで来ればもう分かることでしょう。

 おれたちの〈風鈴の帆〉の、ネタばらしです。


 結論から言うと、リコはやっぱりあの舟に気に入られてたんですけどね。

 気に入られたらどうなるかって? まあ待ってくださいよ。順を追って説明しますから。

 元はと言えばあの風鈴は、言うことを聞かない、俗に言う地獄行きみたいな暴れる魂を閉じ込めて、無理矢理送るために取り入れてみたものでした。

 風鈴の音とは元から、結界を張ることができるものらしいです。それに特別なまじないをかけて作り上げた、それが〈風鈴の帆〉です。

 その音で風鈴は、自分の結界の中にいる魂を閉じ込めることもできれば、追い出すこともできる。

 風鈴の魔力がまるで帆みたいに風をはらませて勝手に舟は動きますし、漕ぎ手も必要ありません。これで暴れる魂を相手にして危ない目にあわないで済むって、三途の川の漕ぎ手たちは喜んでいたらしいです。でも駄目でした。〈風鈴の帆〉には、とんだ問題があったんです。




 「あの風鈴は気に入った魂をこっそり自分の中に閉じ込め、食べていたんだ。だからぼくたちは、あの舟をここから追放した。でもそれ以来、時々……三途の川に来ていたはずの魂が神隠しにあい始めた。そしてそれは……あの風鈴の仕業だってことが、すぐに判明した。」

 星が空で泳ぎ、大地で踊る三途の川の河原。

 おれの隣で、竜のおっちゃんが息を飲む。

 「ンだと……そんな、じゃあ、」

 少年が早口でまくしたてる。

 「待って、食べるって言ったって、すぐにじゃないんだ。ゆっくりと時間をかけて……。そう、食虫植物が虫を捕えるように。」

 しびれを切らしたおれが、竜のおっちゃんを腕でどつく。

 「おい、食べるってなんだよ。食べられたらどうなんだよ。」

 竜のおっちゃんがおれを横目でちらりと見て、それからあらぬ方向へ視線を彷徨わせ出した。

 「……早く言えよ!」

 「体が死んでも、魂があれば生まれ変われる、あの世でその人とまた会える。」

 割って入った高めの声は、あの少年のものだった。空でひとつ星が流れて、しゃらん、という音を立てて地面に落っこちた。

 「でも魂が食べられる、つまり消えてしまえば、もう生まれ変わることもない。存在そのもの が消えて無くなる。」

 死の定義なんてよく分からないけど、肉体だろうが魂だろうが、死んだことを軽く扱われれば不愉快だ。

 「だからぼくたちは、死に別れること自体は肉体の世界での短い別れだと思ってる。でも魂が消えれば永遠に、」

 「リコがそこに閉じ込められたってことに間違いないのか。」

 じれったくて、おれはもう必要なことを聞くだけに専念することにした。

 ひとこと言や、大体伝わるよ。うだうだ長ったらしく似たようなこと繰り返しやがって。

 少年が、伏せていた目を さっと上げる。

 「だから間違いないのかって聞いてんだよ。消えた奴らが全員それに連れてかれてたのが分かったってことは、お前たちは確かめられんだろ。」

 少年の丸い目の中を、さっと流れ星が映り込んだ。




 私は言う通り、その風鈴に気に入られていた。


 リコはやっぱり、その風鈴に気に入られていました。

 あの後三途の川の人たちは、名簿の本を見て何やらごにょごにょやっていました。そして、それの確認が取れたことをおれに告げたんです。

 三途の川まで来ていたところを、あの舟と風鈴がやってきて、リコの魂は閉じ込められました。

 そこに居ると言われたって、おれにはリコが視えないですし声も聞けない。そこに居るのかなんて分かりませんでした。

 だから家族の魂がそこに閉じ込められてる、なんて話、信じようが無い内容ですよね。

 それに例えその風鈴の魔の手からリコを救い出すことができようと、おれはリコに会えるわけでも無いし、解放されたのか、それすらも分からない。

 あまりにも不確かで、漠然とした事実です。

 だというのに魔の手から救い出す方法は存在し、そしてその方法はあまりにも具体的でした。




 「その小舟、十杯分の黄金……?」

 少年が、渋い顔をして頷く。

 隣で、はぁーっという竜のおっちゃんのため息をつく音が聞こえた。

 「……行こう、坊主。どうやらコイツは単なる詐欺師だったみてェだな。」

 おれの背に手を当て、竜のおっちゃんが身を翻す。

 結果も不確か、証拠も不確か。おれは頭がついて行かず、されるがままに引っ張られてしまった。

 「……待って! 確かにこんな方法、怪しすぎるしぼくだって本当だとはとても思えない! でも、ちゃんと根拠はあるんだ。」

 少年が張り上げた澄んだ声に、竜のおっちゃんが初めて声を荒げた。

 「じゃあ何で、方法が分かるのにお前たちは自分で処理しておかなかったンだ! 元はと言えばテメェらの不始末だろ!」

 おれが振り向くと、あのさっきまでの落ち着いた少年は見る影もなく、今ではもう、泣きそうなほど弱々しい顔だった。

 「ごめん、ごめんなさい……。でもぼくたちも同じ、ここに縛り付けられた地縛霊みたいなものなんだ……。黄金なんて、集めようがない。それに、魂だけの存在のぼくたちが下手に近づけば、ぼくたちもあいつに吸収されちゃうかもしれない……。怖いんだ。

 ここに来るのは、あの世に渡る魂だけ。ぼくたちも、待っているんだ。ぼくたちを解放してくれる、誰かを……。」

 少年に背を向けてた竜のおっちゃんが、振り向き、少年を見た。

 夜の市場には、いろんな事情を抱えた奴がいる。忘れそうになっていたものの、ここも夜の市場の一部なんだ。嘘と真実がせめぎ合う、油断も隙もない世界。

 だからこんな世界での「信じる」という言葉は、「騙される覚悟」という言葉と同じ意味なんじゃないだろうか。

 「信じるよ。だから、教えてくれ。その黄金が十杯とかいう根拠を。」

 おれは騙される覚悟をしたんだ。




 「黄金は、永遠と不滅の魂の象徴なんだ。

 錬金術という、名前の通り金を作るための実験が存在したのは知っているかい。それは次第に、人間の肉体や魂を作り出す実験に変わっていった。

 そう、黄金は魂に最も近い物質だとされていたんだ。

 魂の偽物を使って、風鈴を手一杯にして、もう魂をこれ以上抱えきれないようにする。これは、〈風鈴の帆〉を作った人が言っていた、いざという時の正式な解除法なんだ。」


 おれはそれから、三途の川にずっと張っていた。

 〈風鈴の帆〉は、日の入りや夜明け頃の三途の川に、もやに紛れてすぅっと陽炎のように現れる。

 おれは三途の川に行く途中にあった、低木の白い花畑の中に身を潜め、その出現を待っていた。

 薄暗闇の中にぼんやりと浮かぶ白い花畑、その上を飛び交う、まるで魂のような蛍の光。幻想的な光景をただただ、延々と見続けていた。

 そしておれが待ちくたびれた頃、唐突に空気が変わったんだ。

 この辺りにはおれ以外誰もいない。物音がしたわけでも止んだわけでもない。

 なのに何故か、空気に漂うその異変はおれの体に伝わってきた。

 静かすぎる空間の中で、舟は音もなく川面を滑り、そうして、やってきた。

 誰もいないのにひとりでにやってくる舟。

 おどろおどろしい物かと思いきや何てことない、素朴で小さな舟だった。

 そしてこの小さな舟にぶら下がる、華奢なガラス細工。

 あれこそが、〈風鈴の帆〉の証だった。

 好きな魂を閉じ込めて食べるという暴挙に出たその元凶たる風鈴は、驚くほど、存在感も威厳もないものだった。

 桃色をした、花模様のついたりガラスで作られた素朴な風鈴。吸魂どころか、大したまじないすら果たせなさそうだ。その佇まいに、おれは少し、どうすればいいか分からなくなった。人違い、いや、舟違い?

 でもその舟が近付いてくるほどに、おれの体の中はざわざわと騒ぎ出していた。

 脳から「逃げろ!」という危険信号でも出ているかのように、いつの間にか自分の腰が浮いていく。

 得体の知れない感覚に汗がにじみ出したその時、いきなりおれの体の中を爆風が突き抜けた。

 あくまでも、突き抜けたような感覚といえど、あまりのことにおれは体がよろけ、一瞬視界が定まらなくなる。

 きしみを上げて、粗末な舟は岸についた。どん、という衝撃にも音が鳴ることのない、不可思議な風鈴をおれは見上げた。

 そして思わず、声が漏れた。

 「化けもの」

 そうとしか思えなかったんだ。

 〈風鈴の帆〉に、さっきまで視えなかった化けものが乗っているって。

 舟の中には、不気味な球体が浮かんでいた。

 溶けかけたような手や顔がずるずると、球体の表面でうごめいている。球体は煮込まれた液体のように流動していて、手や足という人間の体の一部が球の内側から、泡のように盛り上がってきては、表面でばちんとはじける。そしてまた内側から別の体の一部が出てきてははじけるの繰り返しだった。

 あんな醜悪な生き物見たことが無い。

――いや、ちがう。

 ちがう。あれが閉じ込められたとか言う、たくさんの人の魂だ。そしてああやって、少しずつ少しずつ溶かして食べているんだ。

 身の内に醜悪な物体を押し込めているというのに、風鈴は自分の身の中で起きていることなんてまるで意にも介さないように、相変わらず優しく、温かい色をたたえてぶら下がっている。

 混ぜ合わされて、化け物のようになった魂たちの成れの果ての姿よりも、それを牛耳る風鈴の平然とした可愛らしさの方が、おれはよっぽどおぞましかった。

 



 あの体に感じた爆風ってのは、きっとおれが結界の中を視ようとして、視るなーって風鈴が張った結界だったんでしょうね。まあそれでも、視えちゃいましたが。

 にしても何度も言いますが、おれはよくそこにリコが居るなんて信じれましたよね。

 不確かな望みにすがった哀れでけなげな子どもか。あるいは、痛々しい盲信ぶりを見せた狂った人間か。

 まあこんな俯瞰したような物言いができるのも、今だから、としか言いようがありませんが。

 本当、いないって可能性を考えなかったんでしょうか。

 まあ、そんなことはないと思いますけどね。

 だって周りの人に散々言われましたから。




 「怪物退治、危険な場所への材料取り、はたまた単なる雑用まで! 言われれば、どんな危険な仕入れだってこなしますよー! あっ、いらっしゃい! 夜の市場の出店者の方ですね。え? そうですよ、ドラゴンの羽でも何でも、おれが行って調達してきます! えー。俺みたいな子どもにできるのかって? それができるんですねー、ほらっ!」

 そう言っておれは、近くにいた巨人の通行人を片手で持ち上げて見せた。すると辺り一面が騒ぎ出し、歓声と拍手が巻き起こった。

――かかった。

 おれはあの日から、夜の市場で自分の武器を活かした仕事を始めた。

 当たり前だけれども、この時のおれはまだあまり知られていない。だからただひたすら目立たせて、今は足で稼ぐ。払いの良い得意先を作るんだ。雑用は日銭稼ぎだから安くていい。でもこの怪力を安売りするな。高価で確実なものにするんだ。

 そうやって、リコの受け売りの方法を実行するんだ。

 最初は何も考えずにリコのことを言ってしまったりもした。色々あって、それを言わなくなってからも、どこからかその話を聞きつけられたりもした。

 妹さんの魂が? 騙されているんじゃないのかい? 

 狐の霊が神様やご先祖様のふりをして人を騙したりもするんですよ。

 妹さんの魂なら、あたしが持ってるのが本物だよ。あたしなら、半分の値で売ってやる。

 同情を誘って金を稼ぐんですね。卑怯な手だ。

 私それ、本当だと思います。応援しかできないですけれど、あの、がんばってください。

 何年、経ったのだろうか。成果が見えると言ったら嘘になる。

 金は思いのほか貯まらず、だから途中で何度かヤケになったりもした。

――リコがあそこに居るなんて確証、どこにも無いだろ! バカか、おれは。こんなことして何になる。バカな妄言を間に受けて!

 とにかく十代の頃は荒れて荒れて、それこそ酒、煙草、女に賭け事と色んなものに手を出して、夜の市場から足が遠のく時もあった。

 でも頭の中からリコのことが切り離れることはなかった。

 そうやって荒んだ生活を送れば送るほど、リコの姿が頭に色濃く現れるんだ。

――何だよ、自分を忘れて楽しむなんて。って責めてんのかよ。

 誰に話しかけるでもなく送った言葉は、自分に返ってくる。

 がむしゃらに仕事をしている時も頭に浮かんで、嫌になった。

――どうしろったっていうんだよ!

 分かってるよ、それは単なるおれの妄想だった、なんてこと。

 だってよく眠れた日や心が軽い日は、全然って言っていいくらいリコの姿が浮かばなかった。でもおれはそれが何だか悲しくて、リコを忘れて一人の人間として生きようとしてるみたいだったから。

 でも夜の市場から足が遠ざかってた十代後半のある時、何となく思ったんだ。

 おれがヤケになったりして、自分を追い込んでる時にばっかリコの姿が頭に浮かぶなって。

 逆に浮かばないのは、前向きな気分の時だけだ。

 だから、もしかしたらリコはおれが自分から不幸になろうとしてる時に、頭の中に出てくるんじゃ無いのかなって。

 根拠の無い想像だけれども、何となくその時のおれにはそうとしか思えなかった。

 だって大体リコが「私を置いてかないで、一人で幸せにならないで」なんて可愛いこと言いそうになかったから。そんなしおらしくて、けなげな奴じゃない。死にかけてた子猫を可哀想だからってとどめを刺すような奴だぞ、あいつは。

 リコはおれの記憶から自分の影が薄くなることを恐れ、引きとめようとしたのでもなく。自分は犠牲になったのに、とおれが楽しそうにしてる姿に恨めしいと訴えかけていたわけでもなく、ただただ「しっかりしなさいよ」と注意しに来てたんじゃ無いだろうか。

 「保護者かよ。」

 おれは独り言ついでに、ぷっと吹き出してしまった。

 まだ多少は荒れていたものの、また夜の市場に通い出したきっかけだ。




 まあ、足が離れてたと言ってもほんの二、三年の話だったんですけどね。その間も、丸っきり行ってなかったわけじゃないですし。

 そんなこんながあって、また〈風鈴の帆〉の元に戻った時は、また魂を集めてたらしく、球体は肥大化していました。

 まったく、やれやれって感じですよね。

 さて、おれはその時、夜の市場から足が離れる前の何年かで貯めた、風鈴への生贄がわりの黄金を持ってきていました。

 荒れてた時もこのきんには手をつけませんでした。 大きな麻袋にぱんぱんに入っていて、かなりの大金だったと思います。

 そしてその日、おれは初めて今貯まっている金がどのくらいの量になっているか、舟に入れて確かめようとしたんです。

 はい、それまで一度もやらなかったことです。何故かって? だって、もし入れた途端金が消えて行ったらどうしよう、とか、変な不安があったんです。でもどうしてその時はやろうと思ったのか。正直、色々と久しぶりすぎて、当時の不安を完全に忘れていたんですよね。まあ、それが功を奏したわけですが。

 え。どういうことかって? それは、今からお話ししますよー。

 さて。集めた金はかなりの量があるように見えたのに、入れてみれば金はこの舟一杯の半分にもならない。

 おれは途方に暮れました。まあ全部入れずとも、船に金を注いでいる途中で分かってたっちゃ分かってたことなんですけどね。

 あぁ、道のりは遠いな。

 そう思った時でした。

 〈風鈴の帆〉と初めて会った時の感覚。あの体を爆風が突き抜けるような感覚がまたおれを襲ったんです。

 あまりの衝撃に目眩がしました。そして視界が戻った瞬間。

 本当に、一瞬のできごとでした。

 あの醜悪な球体が、はち切れんばかりに膨らんでいたんです。

 球体の表面にうごめく手や足の隙間からは、煌々と光が漏れていました。まるで、光が内側からこの球体を突き刺しているかのように。

 そうして、風鈴が鳴ったのです。

 ちりー……ん

 初めて聞いたこの船の風鈴の音は、まるでか細くあげられた叫びのようでした。

 その光は球体を、いや。球体の形にして自分たちを丸めていた結界を突き破りました。

 その光は夜の世界を明るく照らし、数個の光の玉となって、どこか遠くへ飛び立っていきました。

 降り注ぐような光はやみ、残ったのはいつも通りの夜の川辺。何事もなかったかのように、川の水は流れていきました。

 おれは はっと我に返って、すぐさま〈風鈴の帆〉に目を戻しました。

 すると風鈴は、結界に開いた穴をきゅるきゅると閉じていて、もう穴は修復されていました。

 そこにあるのは、やっぱり手や足のような物がずるずると中でうごめく球体。

 ただ、大きさだけが一瞬前と違っていましたが。

  小さくなっていたんです。〈風鈴の帆〉と、最初に出会った時くらいに。

 夜の市場に毎日のように来ていた時も、風鈴はどんどん魂を吸い込み、肥え太っていっていました。それが小さくなった。

 すなわち、飛んでいった光の玉は、間違いなく何人分かの魂だったんです。

 三途の川で出会った、大人びた少年は言っていました。「黄金は、永遠と不滅の魂の象徴」である。「魂の偽物を使って、風鈴を手一杯にして、もう魂をこれ以上抱えきれないようにする。」

 これはおれの予想ですが。そう、この風鈴は偽物と言えども魂を詰め込まれて、自分の許容量を大きく超えてしまったのではないでしょうか。

 だから結界は耐えられなくなり、破れ。偽物と違って、本物の魂は自分の意思で逃げていった。

 当然、許容量以下になれば結界はもう閉じれますし、風鈴も急いで結界を張りなおして、逃げ切れなかった魂はそこでまた閉じ込められてしまう。風鈴の魂を蓄える限界は、十杯分の黄金と同程度。

 おれはそう思っています。


 さあ、長きに渡ったこのお話も、もうすぐ終わりを迎えます。




 そのきっかけは、一枚のメモ用紙だった。

 夜の市場に戻ったおれが拠点兼、商品を置く物置にし始めていた〈風鈴の帆〉。そこの荷物に紛れ入っていた、一枚の不思議なメモ。

 『首 水晶 注文』

 そして、その消え入りそうな字の下に書かれていた簡単な地図。

 誰かのいたずらか、と思ったものの、好奇心でおれはそこに行ってみたんだ。

 空中にぶら下げられた灯火が、夜の市場を禍々しくきらきらした姿に染め上げる賑やかな通り。

 そんな喧騒から離れた静かな場所に、その店はぽつんとあったんだ。

 紫のビロードのような布で拠点を囲っている、簡素な店。

 頼りない灯火の中で、店からちらつく無数の鈍い光がある。目を凝らすと、それは全て水晶玉だった。

 そして真ん中においてある、小さいが明らかに特別感のあるテーブルに鎮座するのは、どう頑張っても水晶には馴染めない異形なもの。

 人間の生首。

 「……あの。」

 おれが来たことを察知すると、生首は くわっと目を開いた。

 「何だい、坊や。」

 何だい、と言われても。おれはここに行けって書いてあったから来ただけで。正直言っておれは逆にここに来れば、向こうが何らかの反応を見せてくれると思っていた。だから当てが外れた今、何て言えばいいのか迷った。

 「あっ、分かった。」

 生首のおばさんがそう言った。

 これは、ようやくおれが最後の歯車を手渡された瞬間だ。


 「もしかしてアンタ、あの売り子の子のお兄ちゃんかい?」


 「あの売り子の、子?」


 「そっくりだからね、すぐ分かったよ。」


 「あの、誰か別の人と勘違いなさってるんじゃないですか。」


 「えぇ? あんた、リクくんじゃないのかい。」


 「どうしておれの名前を。」


 「いやだね、この前アンタの妹に教えてもらったからに決まってるじゃないか。」


 生首が、言葉を続ける。


 「兄妹で店をやってるんだろう? あの風鈴を帆にしたような舟の店でさ。あの子、言ってたよ。仕入れ係の兄がいる、自分はこの店の売り子だって。」


 この瞬間、全ての歯車は合わさった。


 「ちょ、ちょっと。どうしたんだい。」

 ぺらぺらと喋っていたおばさんの口が止まって、限界まで動かした眼球で、おれのことを見上げていた。

 辺りにはびこる無数の水晶玉には、きっと大粒の涙を流しているおれがしつこいくらいに映し出されていたと思う。




 おれはおばさんに、それまでのことを話し終えた。

 短い話だったような気もするし、とてつもなく長い時間の話だった気もする。

 おばさんは長い沈黙の後、はぁーっと深く長いため息をついた。そして、遠い目をして語り始めた。

 「……そうだったのかい。だからあの子、あたしと話している間もずっと舟の上に居たんだね。あの子が現れたのは、ほんの二、三年前さ。川の上でね、舟の上の店に紛れて、小さな女の子が居たんだ。ふわふわと、赤ん坊の魂をくっつけてね。〈水子の怨念〉とか言ってたっけ。

 あの子はあの舟で商売をやっていたよ。兄はなかなかお店に来ないから、いつも自分が店番だ、って。」

 おばさんは目を細め、本当に優しい笑顔でおれのことを見つめた。

 「アンタ、本当にあの子があそこに居るか。不安だったろう。でもね、あの子はあそこにちゃんと居たんだよ。風鈴の結界にはまだ閉じ込められているのかもしれないけど、ちゃんとあそこに居た。アンタは、信じるか信じないかの大博打で勝ったんだ。

 散々馬鹿にされたかもしれないけど、あたしは、アンタのことを手放しで褒めるよ。リコちゃんはアンタのおかげで、絶対に、かなり救われてたさ。寂しくなかったさ。あの子はね。アンタが昨日は市場に来たんだ、とか、そのたびに嬉し、そうに……」

 そこまで言って、生首だけのおばさんはずっと涙ぐんでいた目から、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。

 寂しいのはこっちだ。嬉しいのはこっちだ。

 救われてるのはおれの方だよ、リコ。

 おれは小さなメモ用紙を、涙を拭う手のひらの中に存在すること、何度も何度もその感触を確かめていた。

 手の中にあるのは、何てこともない、要件が簡潔に書かれただけの小さな紙切れ。

 でもおれの人生で一番幸せな日を作り出したのも、この紙切れだったんだ。

 おばさんが涙に濡れた目は、空よりもっと先のどこか遠くを見ている。その目には、もう思い出の中でしか会えない大切な人の姿を浮かべているのだろうか。

 「夜の市場ってのは、不思議なところだね……。死人にすら会えるんだから。なのに、どうやっても死に別れた後の自分の大切な人にだけは会えない。あたしらが一番会いたいのは、その人なのに。何でなんだろうねえ……。」


 おれはその先も、リコと会うことはなかった。

 ただ、リコからのメモを受け取ることは、あれからもあった。

 それが要件しか書かれない簡素な内容でも。

 おれはその仕入れの仕事を従順にこなし、その間にリコはおれが仕入れた商品を〈風鈴の帆〉で売る。

 簡素なメモや、お客さんが話してくれるリコのちょっとした様子が、おれにはとっておきの楽しみだった。

 おれたちが死者か生者かは、もう誰かに言わない。何も知らない人たちから、まるで今も二人で暮らしてるような口ぶりを聞かせて欲しいから。

 おれたちは、〈風鈴の帆〉が黄金でいっぱいになるまで、夜の市場で店をやり続ける。

 おれが寿命で死んで、幽霊になった後になっても。











 ……ん? どうしましたお客さん。

 ああ。お客さんたちの知っているおれたち双子の「今」のお話は、一体おれたちにとってはどこの時系列のお話なのかって?

 さあどうなんでしょうね。

 お客さんは、どの話がどの時系列になっていたと思いますか。

 お客さんたちが知っているおれたちの話は、もうリクという人間も、リコという人間も死んだ後の、死者たちのお話なのでしょうか。

 それか、あの世とこの世の狭間で、おれたちは未だに紙ごしの会話を続けているのでしょうか。

 分からないのも仕方がないです。お客さんたちには、おれたちの一方的な話し声しか聞こえないですもんね。







 さあ、ここに集うは、語り部とその物語。

 買わなくてもいいから、ちょっとだけでも見ていってくんな。


 ちりん ちりん。


 毎度、ありがとうございました。

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