第14話〈貴方色のインク〉
〜小指の先ほどの小さな小さなインク壺。蓋はアメジストやトパーズの欠片を、コルクのようにそのまま詰めたもの。
その中には、とろけるような漆黒の雫……。
そうして一輪だけ、インクの中で揺蕩う、本当に小さな小さな、しみひとつ無いピンクのお花……。〜
……持ち主の目をえぐり出して。
その目をすり潰して。
そうやって、自分の目の色をしたインクができる、と……。
何言ってるんですかお客さん。
色を作るために片目を潰すって、たかがインクにそれほどの価値はさすがにないでしょう。
あなたの色ってそういう意味じゃないですよ。
あなたの心を映すんです。
毎度ありがとうございましたー。またのお越しを。
……え? 勝手に帰らせないでくれ、それがどういう意味か聞きたいって?
何で私が説明しなきゃならないんですか?
………………。
………………。
………………。
……もういいですか? 気がすみましたか? お帰りは……。
え? 何ですか、これ。あげるからお願いって……。
どれ……ん、お金? もしかしてチップですか?
…………では。例えばあなたが手紙を書くとしましょう。
仲の良いお友達に書く時、好きな人に想いを伝える時。しっかりした真心をこめて書けば、インクはきれいな黒色になります。
逆に、利用してやろうとか、仕方ないから書くか、みたいに真心を込めずに書けば、インクはまるで水を垂らしたかのように薄く、滲んだ色になります。
……はい、そうやって楽しむものなのか……って。
違います。
そこまで無意味じゃありません。
………………。
あ、追加のチップですか? ありがとうございます。
このインクの特徴は、書いた時の心の色を表すのではなく、書いた本人の心とずっと繋がってます。つまり、例えば恋文を出した時はキレイな黒色だったとしても、5年、10年と経てばどんどん薄れていく。それはその人の気持ちが今は抜けていることを教えてくれるのです。そして完全に気持ちが無くなれば、書いた文字はきれいさっぱり消えてしまう。まあ、気持ちが戻ればまた字も浮かび上がりますが。それと同じで、書いた本人が何年経っても相手のことを変わらず想っているのならば、インクはきれいな黒色のままです。
なので、夫が戦争で遠くに行ってしまった時などに、夫との文通でこっそりこのインクを夫に持たせる妻もいました。
自分のことを忘れてはいないか、浮気をしていないか。このインクは、そのチェックによーく役立ちました。
ただ、あまりこのインクが有名になってしまっては、こっそり使わせることができなくなりますけどね。こういう闇市……まあここは夜の市場ですけども。こういう所で、こっそり買ってこっそり使う、みたいな。表沙汰にならないよう、こっそりと流行ったりもしていた時代もあるらしいです。
あとは、買って行ったのは文豪ですかね……。
………………。
………………。
はい、どうも。説明の方、延長になります。
文豪。偉大な作家などは、死んだ後に自分の日記や手紙を公開されますからね。プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。だから、想いが消える、ということで死んだら全部リセットということで、誰にも見られないようにするために買ったそうです。
死んだからって消えるとは限りませんけどね。
え? だってそうじゃないですか。
例えば日記に悪口なんかを書いていたとして、それで幽霊になって怨念が残ったりなんかしていれば、その文字は消えるどころかむしろ浮き上がることすらあります。
なので、誤った解釈をして使う人もいたそうですね。
例えば、詐欺のつもりで契約書に使ったり。
気持ちがなくなれば消えるっていうんなら、今だけここで書いて、後になってシラを切ればいい、みたいに目論む人。
でもそれ、最初っから気持ちがないのでスカスカの薄いインクしか出ません。
先方がそのインクを知らなければ、そこでの問題は無いですが、結局は気持ちが変わらない、ということでうすーいインクが残り続けるだけです。
それで『全然出ませんね。では、こちらで用意したペンもちゃんとありますので、こちらを使ってください。』という具合に、詰みになることもあります。
気持ちが消えるって言うのは、そんな単純なことではありませんからね……。
そんなところでしょうか。
え、他にまだあるだろって……。
そんなこと言われても、チップを出されてもどうしようもないですよ。
ん、倍払う……?
思い出しました。あと使われていた正しい使い方は、相手が信頼できるか確かめる時ですね。
『あなたに忠誠を誓います』
『私は秘密を漏らしません』
単純ですが、これがこのインクの作られた本当の目的です。
その文字を書かせて、どんなインクの色が出るか見る。
国家機密に携わらせるかどうかも、これで決めた所もあるって噂ですよ。
まあ、最終的には偽物がわんさか出回って廃れていったんですけどね。
当然、これは正真正銘の本物ですけども。
……え、証拠はあるのかって?
そうですね。見分け方としては、インクの中に紙切れとかを入れるんです。このインクは書く時にしかインクとしての効力を発揮しないので、本物であればその紙切れはインクに汚れず、きれいなまま。うちなんかはほら、小さな花を入れています。見ての通り、花びらに染みひとつ無いでしょう。
え。そう言う証拠じゃなくて、本当に心によってインクの濃さが変わるのかの証拠が見たいって? そうですか。じゃあ、書いてみましょうか。
『このインクは、本物です。』
ほら、真っ黒です。
……はあ、それだけじゃ信用できない、と。
では、今度はその逆を書けばいいのでしょう。
『お客様が来てくれて、とても嬉しい』
『いつまででも居ていい』
『お客さんが商品の説明を求めて、それを買わなくたって構わない』
『チップはいらない』
『また来てくださいね』
はいこれ、見事に薄墨でしょう?
……何ですかお客さん。泣いているんですか?
何はともあれ、これで本物だっていうことが分かりましたよね。
それで、どうします? この商品、買いますか?
……無理して買わなくたっていいですからね。お客が来てくれている、というだけで喜ばしいことですし。いつまででも居ていいですから。
商品の説明をさせられて……それも長々と。その挙句に買わないって選択をしても、特に何の問題もないので。チップもいりませんし。
買わなくても、また来ていいですよ。
……あ、お買い上げですか?
毎度、ありがとうございました。
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