帆を持たない舟III 「忘れな草」

 さて、私たちが竜のおじさんに連れて行かれて辿り着いた、粗末なテント。

 テントは継ぎ接ぎだらけで、安っぽい電飾が飾りとしてぴかぴか光っていた。ここまで胡散臭い外観にするとはよっぽどセンスが無いのか、はたまたチープ というか、陳腐なものが好きなのか。

 数珠を吊り下げたような造りののれんをくぐると、鼻についたのは食べ物と人の肌が混ざったような匂い。

――ああ、この匂い……。

――死が、老衰の死が間近に迫る人の匂いだ……。

 何故そう思うのかは分からないけど、私は昔からその匂いを、そう捉えていた。

 そこにいたのは、継ぎ接ぎだらけのおばあさん。その皮膚の縫い方の雑さや皮のよれ具合は、まるでテントとお揃いにでもしたかのようだ。

 いくつの人種、それどころか何の獣まで継ぎ接ぎに使ったのかという皮膚の統一性の無さは、それこそ人の姿を捨てた化け物だ。

 「ヨリのばあちゃん。この坊主に薬を売ってやってくれ。品の方は任せるよ。アンタの見立てが一番良い。」

 竜のおじさんにヨリと呼ばれた継ぎ接ぎの老婆は、魚のような目でじぃっとリクを覗き込んだ。次いでちらりと私の方を見て、ニタリと皺と獣の毛だらけの頬を引き上げた。

 もしかしたら、あの目も本当に魚のものかもしれない。

 そして乗っていた車椅子をすぅっと動かし、おばあさんばかり見てたため今まで存在にすら気付いていなかった、おばあさんの後ろにあったらしい棚に並ぶ無数の小瓶たちにおばあさんは手を伸ばした。

 鮮やかというよりは、毒々しい色とりどりの小瓶たち。その中からおばあさんは、空の色とも違う、青い小さな小瓶を手に取った。

 おばあさんがそれを揺らすと、青の隙間からきらっと銀色の液体が光った。

 「高いよぅ」

 ろれつの回らない猫なで声が、おばあさんの喉から漏れ出た。

 竜のおじさんは、クックッと喉を鳴らしながら答えた。

 「だろうな」

 「ん、そぉの坊やにはこれぁね。死神の涙。」

 商品の名前だけは、音の境目も分からない声がはっきりしたのが分かった。

 「しにぁみの涙に、術ぅかけて、いろぉんなのと調合した、あたし特製のくすぃさ。坊やには、どくろとか骨との相性がいぃみたいだぁらね。」

 得体の知れないものへと、リクがたじろぐ気配を感じる。竜のおじさんはそれを分かっていながら追い打ちをかけるような物言いで、おばあさんに質問した。

 「これの致死量は?」

 ちしりょう……?

 「ん。子どもなら、半分くらいでもお陀仏かぁもね。」

 「……ちょっと、待てよ。そんな曖昧で!」

 我慢しきれなかったらしいリクが吠えた。あんなちょびっとの液体なのに、そんなに効果が出るものなのか。

 おばあさんが、風に揺れる柳のようにゆらりと首を回し、口を三日月型にしてエッエッと笑い声を漏らした。

 「ここぁ子ども向けのお店じゃないかぁねぇ。そもそも坊や、払えるのかい?」

 その後私たちは品の値段を見て、驚きのあまり、この小さな小さな瓶を叩き割ってしまいたくなった。






 「くそっ……。」

 「…………。」

 「なあリコ、やっぱり確実に殺れる道具も探そうぜ」

 「確実って?」

 「ほら。噂で聞いた、念じて握り潰すだけで人を殺せる、ガラス玉とかさ……。」

 「くれない色の夜の市場とか言う場所での噂? でも、私たちが行けるのはこの川沿いの夜の市場だけよ。言ってたでしょ、みんなが同じ市場に辿り着けるとは限らないって。」

 「そうだけどさ……。一応殺せる道具も探した方が良いと思うんだけど」

 「そうね。」

 あの時はそんなこと言わなかったけど、正直言っておれはあの薬が飲みたくなかった。

 死ぬ、とか言われて怖かったから。

 それを知ってか知らずかのリコは、とりあえずお金を稼ぐ方法から考えようと提案してきた。……金を稼ぐといえば。

 「……あの主催者、おれたちが『売りたいものがある』とか言ってたけど……リコは心当たり、あんのか?」

 リコは首を傾げてしばらく考え込んでいた。そして顔を上げ、相変わらずといえばそうな、まるで他人事のような淡々とした声で、無い。と答えた。

 「リクこそ、ある? 何か心当たり。」

 「無い。」

 会話が終わった。川の音だけが、辺りを流れている。

 沈黙に乗っかるようにして、休憩が始まった。リコは切り株の上、おれは柳の木に背をもたれさせている。

 柳が揺れ、葉擦れの音がする。

 体が世界の一部になったかのような、奇妙な感覚。ここが天国なら、それでいいかもと思った。ここならきっと、あのくそにも見つからない、あの糞はいない。ここに逃げ込んでしまえば、それでもう終わりでいいんじゃないかな?

 でも、リコはそれで良しとしないんだろう。

 だってリコは、あの糞を殺したくて殺したくて仕方がないんだから。

 さすがにおれだって、殺したい? って聞いて「やめられなくなりそうで怖い」って返ってくるなんて思わなかった。それ、そっちの方が怖いよ。

 リコはおれよりも……比べる以前に、リコ自身、殺すこと自体に抵抗がまるで無いから。

 何をするにしても頭の中で計算してからやってそうなくせして、けっこう衝動的に行動したりして、案外何も考えてないから危なっかしい。

 もしかしたら、あまり物事を考えないようにしてるだけかもしれない。

 柳の木の音に耳を澄ませている内に、いつの間にかそうやって、おれは考えごとに入り込んでいた。リコが切り株から立つ気配で、やっと目の前に景色が戻ってきた。ああ、おれ、考えごとしてたんだ。なんて気付く。背中をぐーっと伸ばしていたリコが、横目を向けてこっちを向いた。

 「考えるの飽きた。お店を見て回ろう。何を売ってるのか見るの。」

 やっぱり考えてないとかじゃなくて、何につけても合理的なだけなのかなあ。






 売っていたものと言えば、食べると幸せな気分になれるらしい石ころみたいな塊。憎い相手に不幸を降りかからせるとかいう人形。喋る生首……。

 どれもこれも、どこから仕入れてるのか、どういう仕組みなのかという品ばかりだった。当たり前と言えば当たり前だけど、何が元の材料なの、どうやって作るのと聞いても答えてくれない。

 単純に、骨とか薬草とか血とか売ってる場所もあったけど、リコはそれに目をくれようともしなかった。どうして? と聞いてみると、淡々としていながら、弱冠吐き捨てるような口調で答えてくれた。

 「見て。買うどころか、誰も立ち止まりもしない。あんなのじゃ、ここでは売れないのね。それにほら、値段。ものすごく安い。あれじゃあ売れたとしてもたかが知れてるわ。あの辺を参考にするのは、もう少し行き詰まってからにしましょう。」

 結構ひどいこと言うなあなんて思ったけど、確かに値段や売れ行きも一緒に見てみると、そんな気もするし分からない気もする。

 その後は良い発見もなく、とぼとぼと二人で川沿いを歩いていた。水の匂いがする、生ぬるい風を浴びながらどこでもない川の方を見る。すると、あ、とリコが呟いて、枝のようにか細い手で川の方を指差した。

 「どうした? リコ」

 「あれ……見て、お兄ちゃん。あの蝶々がいるお店。」

――お兄ちゃんか、久しぶりに呼ばれたなあ。

 名前が付いてから、リコはおれのことリクって呼んでたけど、やっぱりお互いに今までの呼び名を変えるっていう、何となくの違和感があったんだろうか。

 それはそれとして、リコの指差した先に目を凝らして見てみると、小さくて古びた舟が、まるで紙切れのように浮かんでいた。あれのことだろうか、そこに積まれている、たくさんの檻。きらきらと、何か紙吹雪のようなものが檻の中で瞬いている。

 「蝶々、全部逃げてったと思ったけど、捕まえれたのかな? それとも、新しく仕入れたのかな。」

 逃げてった、とかの話についてはあんまり覚えが無いけれど。言われて見てみると、確かに檻の中のちらちらした何かは、蝶々が羽ばたいている光だった。

 あまりにも薄い羽が夜空を透かし、淡い光をまとっている。あんな美しいものをどこで手に入れたのか。あれも、探せばどこかにいるんだろうか。

 「売りに出してる間の魂は、お迎えが来たりエネルギーが無くなったりしないように、いろんな工夫をされてますねえ。」

 ぎゃあっ、と。リコとおれ、どちらからともなく叫び、斜め前に飛び退いた。

 後ろを見ると、まず最初に見えたのは黒い壁。そのまま視線を上に伝わせていくと、それが真っ黒なマントだということが分かる。そしてぐらぐらと揺れる、人の顔にしてはバランスを欠いた大きな顔……。

 「主催者さん。」

 リコがスイカ頭を見上げたまま呟いた。下から見れば顔も見えるかと思ってたけど、スイカにくり抜かれた目や口の穴同様、まるで闇そのものに繋がっているようで、何も見えない。

 「それって、どういう……。」

 「感想です。」

 さらりと答えて主催者さんは身をひるがえし、スイカの頭をぐらぐらさせながら、人混みの中へと消えていった。

 お互いに何も言えず、ただただ人と水でできた音の洪水の中、主催者さんが消えた方を黙って見ていた。

 「魂……。」

 リコが、遠くを見たまま呟いた。目にきらりとした光が宿る。

 「リク。私、売りたいものって何か分かったかも!」

 気のせいかもしれないけれども、振り向いた顔には笑顔が宿っている気がした。






 川沿いの土手。揺らぐ柳の枝の下で、忘れな草色のぼんやりとした光が双子の子どもを取り囲んでいる。

 この光の玉はリコ曰く、〈水子の怨念〉。

 リコは割と昔から言っていたけれども、おれたちの住むあの家にはたくさんの水子、つまり堕ろされた赤ん坊の霊が漂っているらしい。

 リコは昔から不思議なものが見えているらしく、時々川に向かって話していたり、おれにはよく分からないことを話してきたから水子とやらのことも聞き流していたけど、まさか夜の市場に行ったら、それがおれまで見えるようになるとは思わなかった。

 信じてないわけじゃなかったけれども、何というか本当にいたんだなあ、なんて思った。たくさん並ぶ屋台のすみっこ、おれたちが相談をしていたあの柳の木の下で。地べたに座って商いをしていた。

 ゆらゆらと、風に揺り動かされる柳の枝垂れた枝と葉は、まるで風に紛れ込む誰かの手まねきみたいだ。

 「本当にこんなの、売れんのかなあ……。」

 「分かんない。そもそもこれ、魂っていうにはもう、単なる念の塊に近いし……。」

 「は? 何が違うんだよ。」

 黒い目が、こっちに向いた。

 リコが説明をする。

 人が死んだら幽霊になるけれども、それは恨みとか後悔があるっぽい人が幽霊になるのであって、そうなったら死んだ人が行くべき場所に行けず、その辺をうろうろし続けている。

 説明の途中で、幽霊と話し相手になったり協力関係を結べたりはしないのかとリコに聞いてみたけれど、困ったような顔で首を傾げていたので、取り敢えずそれは無理そうだってことなんだろうなあ。

 そしてリコは話を戻し、念の話を始める。幽霊はしばらく現世にいすぎると、エネルギーやら記憶やらが削げて行って、もはや感情しかない念の塊になってしまうらしい。よく分からなかったけれども、取り敢えず幽霊の活きが悪くなると念って物にランクが下がるってことだよな。

 「だから、家にいる水子の怨念たちはかなり昔のものだと思うの。多分、私たちが住みつく前に住んでた人たちが産み出したもの。」

 「……たち?」

 「あ。」

 リコが「しまった」という顔をした。平然としていればばれなかったのに、咄嗟に反応してしまったという顔だ。おれがリコに他にも何かいるのかと目で聞くと、知らないという目線を返してきた。

 目を合わせようとしないリコに、思い切り念のこもった視線を送りつけてやっていると、何か右側から人が近づいてくる気配を感じた。

 二人でさっとそっちに顔を見やると、そこに立っていたのは金髪のきれいなお姉さん。

 夜の市場に来て時々見かけた、金色の髪を持った人たち。その人たちはそれどころか肌も、顔も目の色もおれの知ってる人間とは何だか微妙に違う。

 目も、真っ黒じゃなくて、真ん中に小さな黒い丸があって、その周りに青くて薄い色が付いた丸がある。その周りに俺たちと同じ白い部分があって、という三段構造をしていた。

 見慣れない風貌に戸惑いは若干感じるが、やっぱりその女の人はきれいで。服の形も見たこと無いふわっとした服で、すごく似合っていた。こんなにきれいなのに、どこか薄幸そうなひとをじっと見ていたら、隣から鼻で笑うような声が聞こえた。

 隣に座るリコにさっと目を向けると、リコはさっと顔を前に向けた。今お前、おれを見て笑ってたよな? 何、別に見惚れてないし。

 そんなおれたちのことなんか目にもくれない様子のお姉さんは、水子の怨念と同じ色をした、忘れな草色の目で、じっと怨念を見下ろしていた。

 すると前を向いていたリコの、目の色が変わった。

 「……お子さん、堕ろされたんですか?」

 その言葉にお姉さんは、自分の目と同じ色をした魂の成れの果てをその目に光らせたまま、さざ波のように瞳を揺らした。

――確信があったのか……

 お姉さんのきれいな顔がくしゃりと歪み、怒りと憎しみが滲み出す。

 お姉さんは鬼のような顔をして、なのにそこを滑る涙は自分の子どもを想って流した、おれたちには決して手に入らなかったもので。

 お姉さんはとつとつと話しだした。男の愛人になり、子どもを孕んで、それを知った男に堕ろさせられた上、捨てられて。

 恐らくこの人は、水子、という単語に反応したのであって、買う気があるわけではないのだろう。

 それに気付いていないのか、リコは未だに話を聞いている。

 だけれどもその、おれには見えないものが見えるリコの目は、確かにおれが知らない、おれには見えない何かを通して、この女の人の心の隙間を捉えていた。

 「仕返し……出来るのでは無いですか?」

 そう呟いたリコ。変わる場の空気。

 お姉さんの涙に濡れた目が、仄暗い光を帯びた。戸惑うその目には、闇の色をした光が差しているのだろうか。

 「この〈水子の怨念〉たち、今のあなたの話……というよりは、あなたが発していた今の感情に同調しています。この子たちも……。自分たちを産ませなかった親を、憎んでいますから。あなたの自分の子を堕ろされた悲しみや悔しさに、近いものがあるんでしょうね。この子たちは、この怨念を向ける先を、探しています。」

 リコの黒い目と、お姉さんの暗い目が交差する。

 お姉さんの唇は吊り上げられ、その白い顔に残酷な赤い三日月が浮かび出した。


 「うそ……。」

 リコの薄紅色の唇がわなないた。

 リコの手に握られているのは、女の人の横顔が浮き彫りにされた金色の硬貨。

 外国の貨幣であるものの、これをそういう場所で交換すれば、この金貨1枚で何日も食べ物が食べられるらしい。

 廃品のような金属の回収をした時の稼ぎとは、労力も見返りも比べ物にならない。

 本当にただの浮遊霊にそんな価値あるのか、とリコはしばらくぶつぶつ言っていたものの、おれたちからしてみれば霊なんてどこにいるのか分からないし、リコみたいにそれを捕まえたり誰かに憑けたりすることもできない。

 そう思うと、おれはこの値段に何となく納得していたけれども、それでもこの対価にはやっぱり驚いた。

 こんなに簡単でいいのか、何か騙されているんじゃ無いだろうか。

 しかしおれたちの前には、もうすでに何人かの客が見物に来ている。

 考えている暇は、無さそうだった。






 そろそろ、夜の空が白んできた。

 売れた〈水子の怨念〉は20体。売り上げは、おれたちが今まで見たことも無いような金額になった。

 本当に本当にこれは現実なんだろうか。二人で地面にぺたんと座ったまま、夜の光を鈍く返す、星のような硬貨たちを呆然と見つめていた。

 「……すごい……。」

 リコが、興奮を抑えたような囁きを漏らした。

 「すごい、すごい……! お兄ちゃん、見て……。こんなに……、こんなに……!」

 珍しく、リコが嬉しそうにはしゃいでいる。

 「ああ……! すっげえ……!」

 我に返ったおれは、目に見える、怖いくらいにたやすく手に入った幸せを改めて噛みしめた。

 じっとしていられなくなって、思わずおれはその場に立ち上がる。そよそよと、風に揺れる柳がおれの頭を撫でるように伝った。

 はしゃぐリコに声をかける。

 せっかくだし、ここの食べ物でもなんか買ってこう!

 本当!? お兄ちゃん!

 ああ、二人でお腹いっぱい食べよう!

 ねえねえ。ケーキってパン食べてこうよ!

 くすくすと笑いあいながら顔を見合わせて、二人で手を繋いだ。そうして夜の市場を、もうじき朝の光が差し込みそうな空の下を、二人で一緒に歩いた。

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