第7話.夜のとばりに恋して

 おれの名前はサバオ。夜の市場に店を構えている親父がいる。そしておれはいつもその手伝いをさせられているんだ。

 こんな場所に子どもがいる、なんて珍しいから、おれは近くの店の大人たちからわりと可愛がられていて、周りからはサバ、なんて呼ばれたりしてな。

 おれの仕事は主に掃除とかの小間使いのような真似と、注文した商品を取りに行くこと。それと、はっきりとは言われてないけど、周りの店と仲良くしておくこと……。

 子どもだからか、みんな割と簡単に心を許してくれる。いざという時のために仲良くしておけ、と親父にやんわり言われたことがある。

 小さいころ、主催者にお中元を持って行けと言われたときは怖かったなあ……。だってあの主催者、スイカを被ってるんだよ。黒いマントみたいなもので体を覆ってるし。小さいころはスイカのおばけだーなんて泣いて騒いで、近くで店をだしていた頭だけのおばあちゃんにしがみついたっけ……。にしても、そのおばあちゃんの生首が転がってっちゃって、助けようとした主催者がうっかり体からスイカの玉をこぼしちゃって。スイカだかおばあちゃんの生首が転がってるんだか分からなくなったって話は、良い思い出だなあ。

 おっとごめん、話がそれちゃったな。

 ともかく、おれはそんな夜の市場で、天使と出会ったんだ。

 君が悪魔でもいい。可愛い小悪魔。君はビターなテイストでぼくを冷たい湖のなかに叩き込んだね。そう、あの水しぶきの音は、 ぼくが恋に落ちた音だよ……。

 初めて会ったのは月がきれいな夜。

 おれは親父に頼まれて、下流にある遠い店まで商品を取りに行かされたんだ。その時は、若干いやいやだったんだけどな。ありがとう親父。大好きだよ親父。親父。親父……。

 そのお店は川に小さな船を浮かべてやっている、風鈴が目印の店らしい。分かりにくくて不親切だ、あの頃のぼくは、親父にそう文句を言っていたね。親父は言った。たしかに。あの店は無愛想だし親切とは程遠い。でも、取り扱っている商品がすごいんだ。だからどんなに分かりにくくても、行きたくないような店でもみんなそこに行く。そんなわけだが、売り子の子には気をつけろ。兄が店番の日だったらいいな、だっはっは。まあでもそんな日は稀だ。期待しないほうがいい。まあとりあえず、さらっと終わらせるのが一番だな。その売り子の子は、とにかく面倒くさがりだから。

 おれは若干構えながら、君のもとに辿り着いた。もう一度言おう。するとそこには、天使がいた。君が悪魔でもいい。可愛い小悪魔。

 思いがけず、同じ年頃くらいの女の子がいて、おれは驚いた。細くて、体も小さいのにすごく大人っぽい。

 彼女はリコちゃん、と言うらしい。まるで鈴の音のような名前だ。おれが近づいた時に向けた気だるそうな、鋭利なあの目。ふれるもの皆殺しそうだ。可愛い。

 おれは注文の品を取りに来た、と出来る限りの低めの男らしい声で言った。はあ、という気のなさげな返事すら愛しく思えた。

 おれは正直言って、自分に自惚れてたさ。こんな年でもうこんな場所に出入りして、それどころか働いてるんだぜって。周りの同い年の奴らよりも優越感に浸っていた。しかし君は違う。仕事の手伝いではなく、聞けば仕入れから交渉まで全てやっている、本当に自分たちで店を経営しているそうじゃないか。それも相棒は大人ではなく、双子。おれは負けたと思うどころか、すごいと感動した。同じ歳でもうそこまで、と、圧倒的な何かを感じた。

 おれの普段周りにいる子たちとは全然ちがう。そして距離は違えども、自分と同じ道にいる子だ。

 そして可愛い。何より可愛い。

 おれは彼女が取り出し、差し出してきた小包を受けとった。どさくさに紛れて指にふれちゃおうと思ったが、受け取る位置が浅すぎたのか、届かなかった。

 そのまま何もなかったかのように前へ向き直り、また気だるそうにうちわを仰ぐその姿。見えないはずなのに、おれは花火大会で浴衣を着て座っている可愛いその姿が見えた気がした。

 いつまでも君にみとれていたおれに、君はあのなじるような目を向けてくれた。

 なんですか、何かまだ用でもあるんですか。

 ああ、髪を耳にかけるその仕草。可愛い。というか、セクシー。

 おれは親父の忠告も忘れて、自己紹介、そして世間話をしようと試みた。あの時は気がつかなかったけど、今なら分かる。あの時、市場全体の空気は凍りついていっていたんだね。

 それに気づかないあの頃のおれは、一生懸命自分について話したさ。身を乗り出して、少しでもそのきれいな目を覗いてみたかったんだ。

 彼女は顔を歪めて、右手を空へと伸ばした。

 ちりん。

 ん? 風鈴? なんで今……

 その瞬間、おれは何か圧のかかった壁に押し出された心地がした。風とも違う、空気の圧。そうして世界が反転して、自分が冷たい水の中に落ちる音、それが聞こえた。

 その時おれは確信したんだ。

 ああリコちゃん、おれは君に恋してしまったんだ。って……。

 長くなってしまったが、これが今までの話だ。そしておれは今、風鈴の帆へと向かっている。水辺に浮かぶ小さな船、きゃしゃな人影。

これなら例えるものは妖精でもいい。その水辺にひそむ妖精はおれを見るや否や、ひどく顔を歪めて、おもむろに、てらうように手元にあった新聞を読み始めた。

 おれが側に寄る。無視をする君。やあ。話しかけるおれ。


 お早く買ってお早くおかえりくださーい。


 君のいつもの挨拶を聞いて、胸がときめく。商品を見る振りをしながら君と話すタイミングをうかがい、君を盗み見る。

 あ、まつ毛長い。

 すると彼女はすごい目でこっちを睨んできた。何か用でもあるんですか。いつもの気だるげな声、殺気を放つ瞳。

 おれは急いで、嘘でいいから何かの商品に興味を持ったそぶりを見せよう、と近くにあった商品を指して、これはどんな商品なんですか? と聞いてみた。心臓が太鼓を打ち鳴らすかのように鳴り響いている。今日の叩く人ははきっと達人だ。ものすごいスピードでおれのハートを打ち鳴らしてくる。お祭り騒ぎになったおれの心の太鼓。すると。


 説明書き呼んでくださいよ。


 しまった、失敗した。

 しかし、天使が……いや、天使は目の前にいるか。神がおれに微笑んだ。説明書きがないのだ。

 おれは嬉々としてその旨を告げた。彼女はひどく顔を歪めて、まるで小鳥のさえずりのような舌打ちをした。

 そして、彼女は説明を始めた。ああ、鈴の音のようだ。なんと耳に心地よい……。

 はっと我に帰ると、彼女はもう新聞に目を戻していた。なんと説明は一言だった。

 こんなんじゃ、おれの心の太鼓は満足しない。ちょっとよく分からなかったかな、と、非常にやんわり聞いてみる。君と話すためといえども、彼女のことを否定なんてひと欠片もしたくない。

 政治の法案について書かれた記事をひらいていた君が、なんですか、私今クロスワードパズルやってるんですけど。と言ってくる。

 あれは諦めなかった。やがて諦めたように君は顔を上げてくれた。ああ、可愛い。どんな表情をしていても可愛い。

 彼女は丁寧にこの商品についての説明をしてくれた。これは話を膨らませるチャンス、と使い方について質問している。


 使い方? 知りません。使いどころがあるかなんて知りませんよ。無いんじゃないですか?


 なんと! ならばおれがその使い道を導き出せば、彼女は まあ、そんな発想はなかったわ! と感激してくれるんじゃないだろうか!?

 なのでおれは考えた。

 ……布が消えるっていやらしいな……。服にしたら……。いいやだめだ、とばりが消えてしまうのは日中なんだ。夜じゃないと意味が……。や、そもそもこんなこと言えるか! もっと、こう気品を感じさせるようなものというか、せめて利発さが際立つような……。

 するとまたもや神はおれに笑いかけた。


 そうだ、宝石を……。


 ……このアイディアはだめだったらしい。二度目の神の微笑みは、単なる幻覚だったようだ。

 すると冷水よりも冷たい彼女の声が、氷のように冷たく鋭利な鎌を、おれの頭の上に振り下ろすも同然のような言葉を織りなした。


 話聞いてました?


 話……。

 あああ! このままでは、物を考える頭すらなく、さらには人の話すら聞けない……いいや、理解すらできない愚鈍な阿保として彼女の目にうつってしまう!

 おれは焦った。またもやおれは思わず彼女の方に身を乗り出し、自己弁護を始めてしまう。

 桜色をした、彼女の薄い唇が小さく動く。その声はとても落ち着いたものだった。


 風鈴鳴らしますよ。


 おれはいつの間にか船にかけてしまっていたらしい足を外して、そのまま後ろに下がった。君の行いは全て受け入れるつもりだが、さすがにあれはあまりくらいたくない。

 彼女はまた髪をかきあげるあの仕草する。


 ご協力ありがとうございます。で、お買い上げは?


 今日初めて、彼女はおれが自らアクションを起こさずとも自分から口を開いてくれた。

 天国からのファンファーレが聞こえる。おれは嬉しかった。泣きたいほどに感激した。親父、やったよおれ。おれ、ひとつ大人の階段登ったよ!

 しかし、単なる買い物と見られてしまっては何の意味も成さなくなってしまう。

 おれは勇気を出して言った。

 買うために来たんじゃない、実はおれ、君と話すために来たんだ。


 冷やかし、として認識していいですね。


 彼女の冷たい声が頭の方から聞こえたかと思うと、感じたのは、風鈴の音と反転する世界だった。

 飛んでいる最中、おれは体のどこかをぶつけたような気がしたがもう覚えていない。

 どっぽん。と、自分が水に落ちた音がした。

 水の中へと沈んでいくこの感触は、きっとおれがずぶずぶとはまっていく、恋の沼の感触だ……。


〜fin〜

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