第6話 嫌な予感
「加藤三曹。私たちを除けば、一番階級が高いのはあの人みたい。実質、小隊のまとめ役になる立場ね」
肩をすくめながら
「ほう、たたき上げか? だったらもっと俺は嫌われそうなものだが」
早期入隊制度も、それで入ってきた
ある日突然右も左もわからない素人の学生がやってきて、はいあなたの上官ですよ絶対死なせないでねと言われるのだから、好意を持たない方がむしろ自然だ。そんな隊員にあそこまで媚びてくる人間は、ごまをするしか出世の能がないバカと相場が決まっている。
あんなキングオブ俗物が実際の指揮官なのか、と葵は一瞬目の前が暗くなる。そもそもああいう奴に見え見えの世辞を言われて、喜ぶものがいるのが問題だ。自分が出世した暁には、そういう連中をまとめて更迭してやろうと葵は決意を固める。
「気持ち悪いおっさんやったなあ。世辞もあそこまでいったらかえって嫌みやで」
良く喋る大和からしても、聞いていて愉快なものではなかったらしく、顔をしかめている。怜香が頷きながら続けた。
「葵に彼が張り付いてる間に、他の隊員と話をしてみたけど……あまり加藤については語りたがらなかったわ」
ただ、一人だけ周りの目を伺いながらも話をしてくれた隊員がいた。彼によると、加藤は典型的な上には弱く、下には強い人間らしい。自分の気にいらない部下に訓練と称して殴る蹴るの暴行を加えたことさえあるという。
「犯罪やないかそれ。軍人でもなんでもない、どっかのチンピラがすることや。処罰はどうなっとる」
「それがね。毎回、うまい具合にボロを出さないらしいわ」
「俺達には手出しはしてこないだろう。だいぶ階級が違うからな。だが、部下の様子は良く見ておけよ」
葵は硬い表情になった二人にそう言ってから、ぐるりとあたりを見回す。加藤が率いる隊員たちはひと塊りになって卑猥な冗談で盛り上がっていた。中には作り笑いそのものの笑顔を浮かべているものもいる。話にのらなければ、加藤の機嫌が悪くなるので仕方なく付き合っているのが見え見えだった。
加藤たちから少し離れた木陰で、迷彩ではないがくすんだ緑の作業着に身を包み、黙々と準備に励んでいる集団がいた。明らかにさっきの隊員たちより華奢な体つきをしている。あれが、調査に同行することになっている研究者たちの一団だろう。
しばらく見ていると、集団の中から一人の男が立ち上がる。目があったので会釈すると、彼はにこやかに笑いながら葵たちのところにやってきた。
「おはようございます。
葵たちも挨拶を返す。彼は今回の研究チームのリーダーとして登録されており、名前は葵もすでに知っていた。だが、実際顔を見るのは今日が初めてだ。
佐久間は線が細く小柄で、体型は葵に似ている。ただし訓練で多少は筋肉がある葵よりさらに細身で、軽くたたけば折れてしまいそうだ。本当に山歩きに駆り出して大丈夫なのだろうか、と首をひねりたくなる。
「……今日はよろしくお願いしますね。こちらもできるだけお邪魔にならないようにしますので」
そうあって欲しいものだ、と葵は思う。佐久間はさらに言葉を続ける。
「妖怪の生態については多少詳しいつもりです。出来る限りのサポートをさせていただきますね」
「頼もしいです。ありがとうございます」
怜香がにこやかに礼を述べる。佐久間は気を良くしたのか、他のメンバーも紹介しますね、と言って木陰にいた集団に向かって手招きした。
「何ですか主任」
まずやってきたのは、ぽっちゃりした女性だった。ぱっと見で四十くらいに見える。もともと顔のパーツ配置は整っているので、あごやお腹に肉がついていなければもっと若く見えそうだ。彼女は煙草をくゆらせていたが、それをきちんと携帯灰皿にしまいこんでからこちらに対面する。
「ああ、あたしは
煙草のせいか、かすれた声で自己紹介する。三輪の専門は医療系だという。
「衛生兵がわりに連れてこられたの」
そこまで言うと、手持ちぶさたなのか腕を組んでいる。口元に煙草がないといらいらしているようで、かなりのヘビースモーカーのようだ。みんなの健康をあずかる立場なのに、一番不健康そうである。
「ちわーす」
もう一人男がやってきた。彼は、社会人にあるまじきペラペラの態度であいさつする。軽いのは態度だけではなく、彼は髪をかなり明るい金色に染めており、作業着もほかの二人と違ってだらしなくずり下げて着ていた。
「
「あ、しまった。すんません。
佐久間がたしなめてもへらへらと笑っている。暖簾に腕押し、糠に釘とはこのことだ。かえって上司の佐久間の方が、すまなそうに身を縮める。
「失礼なやつですが、腕は確かですから……」
「機械のことならなんでもお任せ~。装備のメンテは任せてくださいよ」
ピースサインを出しながら答える則本。残念ながら、全然可愛くなかった。
この三人が研究チームの核になる存在で、あとは若手のアシスタントたちだという。彼らは荷物や資料を運んだり、簡単な分析をするために呼ばれている。
そこまで情報を交換したところで、部隊長から集合の号令がかかる。ひとところに全員が集まり、今回の作戦について最終的な確認を行った。事前に聞いていたものから大きな変更はない。こっそり計画変更を具申していた葵は、あの石頭どもめと上層部を心中で罵った。
一通り話が終わり、上層部は軍基地に戻った。いよいよ実働部隊は山に入る。研究者チームを軍人が守るように、前に立って隊列を組んだ。
葵はどうせ足が遅いからと
加藤は残念そうに、本当にこちらでよろしいのですかとしつこく聞いてきた。葵がブチ切れかかって無表情を極め、仏像化したところで彼はようやく引きさがっていった。
「ん?」
しぶしぶ隊列に戻ろうとしていた加藤が、何かを見つけて立ち止まる。彼の視線は、佐久間に向いていた。
「お前、もしかして一高の佐久間か?」
「え?」
「俺だよ俺、加藤。同じクラスだっただろう」
「ああ!」
「久しぶりだなあ。お前、研究者になったのか」
「う、うん。昔からの夢がかなったよ」
佐久間と加藤は同じ高校出身らしい。二人とも見た目では年齢が分かりにくいが、年も同じようだ。
「全然会わなかったけど、君は相変わらず元気そうだね。出世も順調そうだ」
「まあな、女房子供がいたら本気ださなきゃな」
「子供さんまでいるの。今いくつ?」
「五歳。あっという間に大きくなるもんでよ」
「ああ、じゃ今年は七五三のお祝いだね」
ひとしきり昔話に花が咲いている。葵はいつ終わるかなあ、と思いながらぼんやりそれを聞いていた。嫌なやつでも佐久間は笑顔で対応していて、素直に偉いと思う。虚無を感じる葵をよそに、早朝の空気を満喫する鳥たちは忙しくさえずり、ばたばたと飛び回っていた。
ばさり。
その時、ひときわ大きな羽音が、一度だけ鳴った。葵は首をかしげる。
「聞いたか」
葵は傍らの二人に聞く。
「うん」
「聞いたで」
二人とも首を縦に振る。葵の空耳ではなかったようだ。それからしばらく耳を澄ませたが、もう二度とあの羽音は聞こえてこなかった。不吉な予感が胸をよぎった葵は怜香に声をかけた。
「通信機を貸してくれ」
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