第5話 下種は山で踊る
「五分五分だな」
「一体発見されたら、その陰にはもっといる」
「ゴキブリでも、一匹みたら三十匹いるっていうなあ。妖怪やったら、一体見たら何体おるんやろ」
「……問題は、どんな目的で来てるかだ。ただ単に住処を変えただけなのか、暴れる妖怪に加勢しようと思って来てるのか」
「余所で小競り合いで負けて、逃げてきた妖怪が住みついたいう話なら案外あっさり降伏しよるかもな。短期でカタがつくかもしれへん」
「そういう妖怪ならいいんだけどね」
「最近時々あるらしいわ。特に京の人間部隊がだいぶきばっとるって、この前親父が言うとった」
「それなら京都でも山側に移動するよう話を持ちかければ済むが。特に鞍馬のあたりなら今は妖怪が大手を振って歩いてる。同胞ならば、奴らも無下にはしない」
うーん、と唸って怜香がまた葵に向き直る。
「もしそうじゃなくて、戦闘になったら勝ち目、あるかな」
「少なくとも有利ではないだろう。先発隊が少数すぎる。奴らの得意な山で、味方はたった二十数名でどうしろと?」
「そう……」
「怖いか」
「ううん、逃げないよ。今度こそ、久世の武勇をみせつけてやるんだから」
怜香は一瞬顔を曇らせたが、ぐっと拳を握りしめて胸元に手をやった。さっきまでのゆったりした雰囲気は消え、全身に緊張感がみなぎっていた。葵はその姿を見て、怜香の頭に手をのせ、そのままわしゃわしゃと撫でまわす。
「あんまり気張るなよ。必要のない所で死んでも汚名はすすげんぞ。人に死ぬなと言っておいて、お前が先に行くのは勝手だぞ」
「……うん」
怜香はしばらくされるがままになっていた。葵が手を離したときにはもうにっこりと笑顔を見せる。傍らの大和はその様子を、死んで三日経ったサバのような眼で見つめていた。何故そんな顔をされるのかが葵には分からない。
「この拷問はいつまで続くんや……」
大和はそうつぶやき、シャツのボタンを開けたり閉めたりして無駄な時間を過ごしていた。何がしたいんだこいつは。
「おい、いきなり何やってる」
「それはこっちの台詞や。断られた理由が分かったわ、どうもごちそうさん」
大和はひたすら居心地が悪そうにしている。やっと葵は怜香の頭から手を離した。
「付きおうとる二人の邪魔してすんまへんなあ」
大和は吐き捨てるようにぼそっと言った。葵は何を言われたのか全く分からず首をひねる。
「何の話だ?」
「まさかの無自覚?」
葵が聞くと、大和は深海魚でも見るような視線をこちらに向けていた。
「だから何の話だ」
「お前さっきまであったIQどこへやったんや」
「……あのね、初対面の人が見るとよく驚かれるんだけど。私たちの間では昔からよくあることだから」
怜香が大和にことの次第を説明する。葵と怜香は幼馴染であり、頭をなでたり手をつないだりはさして珍しいことではないと丁寧に言い聞かせていた。大和は、それを陸に揚がったタコのような顔で聞いていた。今まで特にこの行為について指摘されたことがなかった葵は、意外な発見をしたと思った。
「ふむ、もしかして世間一般ではこういうことはあまりしないのか?」
「……せやで」
「ごめんね、慣れてね」
「つらい。とてもつらい」
大和に説明を終えた怜香が戻ってきた。葵は満足したが、大和はなんだか三歳くらい一気に老けたような気がする。しかし誤解が解けたのならいずれ元に戻ることだろう。葵は再びとろとろと歩き出す。
大和はもういい。心配なのは、怜香の方だ。自分の不用意な一言で地雷を踏んでしまったのを葵はひそかに気にしていた。普段はおくびにも出さないが、やはり彼女の中には「立派な軍人でなくてはならない」という強迫観念が根強く残っている。状況が不利になってきたら、死に急ぐ可能性は高かった。
配属された隊員の性格をよく把握しておく必要がある、と葵は思った。自己犠牲を美化するようなものがいれば、怜香からはなるべく離しておかなければ。
☆☆☆
夏といっても、さすがに早朝の空気は澄んで心地よく肌をなでる。しかし葵は朝に弱く、五時集合というだけで戦意が三割ぐらい落ちていた。背筋が伸びておらず、だらりとした醜態をさらしているところに、間が悪く大和が近づいてきた。
「よう、ちゃんと飯食ってきたやろうな!」
「うるさい」
大概の人間が眠気を引きずる時間のはずなのに、なぜこの男は血管ぶち切れそうなテンションなのだろう。きっと、半分が猿だからだ。葵は苛立ちながらそう思った。
「トイレ行くなら今のうちやで」
「分かったから黙れニホンザル。そんなに暇なら芋でも洗っているがいい」
「誰が猿や誰が」
大和が怒って葵の耳元でがなり立てる。少し鼓膜が痛くなったが、大音量のおかげで飛びそうな意識が少しはっきりした。
葵は緑と茶のカラーリングの迷彩服によった皺を伸ばす。普段着用している、白と黒のコントラストが美しい服から比べると、そのダサさは泣きたくなるほどだった。が、雪も積もっていない日本の野山を駆け回る以上、白黒の個体は目立ち過ぎる。命とダサさでは比べるまでもなく、仕方なく諦めた。
支給された荷物の最終チェックでもしようか、と自分のバッグを床におろしてかがみこむ。その時、頭上から大和とは違う声がした。
「三千院一尉でありますか」
男くさい、いかにも軍人といった感じの野太い声だった。顔を上げると、肩幅の広い筋肉質の男が立っていた。頭髪を丸刈りにしており、細い目がつりあがっていてなんとなく育ちの悪い鼠を思わせる。迷彩服を着ていなかったら、どこのやくざかと思うところだ。
「私、加藤と申します」
「よろしく」
相手から自己紹介してきたので、葵はそれを受けてやる。別に挨拶には特別な意味などなにもなかったが、自分が気にいられたとでも思ったのか、チンピラ加藤は一気に喋り出した。
「いやあ、噂の三千院一尉と同じ隊に入れるとは思っておりませんでした。大変優秀だとどこでも話題になっておりますよ。私、今大変に感激しております」
葵は顔をしかめた。葵は素直な賞賛は受けるが、媚びは大嫌いだ。朝イチから、何故このようなむくつけき大男に媚びられるという苦行を受けなければならないのか、その理由がさっぱり分からない。
「何かお困りのことがございましたら、なんでもお申し付けください。全力をもって対処いたします」
「どうも」
「いやしかし、お綺麗な顔立ちですな。女どもが黙っていないでしょう」
「別にそんなことは」
「謙虚でいらっしゃいますなあ」
加藤の舌は止まらない。似合わない笑顔を添えて、ぺらぺらとお世辞をまくしたてる。しかし、こちらが気のない返事しかしていないのには一向に気付いた様子がない。
結果、しゃべればしゃべるほど葵の中の加藤の好感度は下がっていった。いい加減に喋り疲れて舌を噛めと内心で呪いをかけてやったが、効いた様子がない。終いには、葵がやりかけていた荷物の整理まで申し出たので、さすがにはっきり口に出して断った。
「小学生ではないのだから、自分のことは自分でする」
「これはこれは……、申し訳ございません」
きっぱり拒否されて、ようやく加藤がいなくなった。葵は大きくため息をつく。作戦前から疲れさせられて、非常に損した気分だ。
「災難だったわね」
「馴れ馴れしい男だ」
傍らで様子をうかがっていた怜香と大和が近づいてきた。
「しかし、誰やあれ?」
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