第4話 新たな任務は山にあり
「ええ」
「精が出るね」
「荒川一佐、何かご用でしょうか」
「声だけでわかるのか。それに君、もう名前を覚えたのかね。配属時に一回ちらっと挨拶しただけなのに」
「ええ、一回会った人間のことは忘れませんから」
「本当に頼もしいことだ。将来の陸将候補はそうでなくては困る」
葵の眼の前に、たくましい体つきをした壮年男性が立っていた。彼は気味悪がる様子もみせず、鍛え上げた体をゆすって、豪快に笑った。葵はありがとうございますと無難に答えておく。
「ちと早いかもしれんが、その様子なら問題なかろう」
「はあ」
葵は不審そうに眼を細めた。この流れは、何か厄介なことを言いつけられる時のものである。経験上、この悪い勘は外れたことがなかった。
「初任務だ。下の会議室で詳細を説明する」
さっさと行ってこい、と有無を言わさず居心地の良いデスクを追い出される。葵はため息をつきながら階段を下りていった。
☆☆☆
「あ、葵」
「おう。上手くやってるか」
「まあまあね」
殺風景な廊下を抜けて、会議室に入る。幹部も参加する会議とあって、使用する部屋は普段より格段に大きかった。
天井には丸い照明がいくつもつき、それを囲むように長い机が四角に並べてある。壁は綺麗な白、絨毯は灰色。色調は他の部屋と同じだが、素材が少し高給で毛足の長い絨毯に足音が吸い込まれた。すでに半分くらい席が埋まっている。
「あ、葵。席、近いね」
「新人は一カ所にまとめられてるんだろう」
ぐるりと席を見回すと、見慣れた顔二つにぶち当たった。一人目の
「コンニチハ」
「コンニチハ」
もう一人の相手、
「せっかくこいつと別の部署になったと思っとったのに。あー、テンション下がるわ」
完全にふてくされている大和がぶつぶつと呟く。葵も腹が立っていたので言い返した。
「貴様、選り好み出来る立場か。新人同士、班を組んで活動することもあるって説明会で言ってただろう」
「せやかて、新人だけでも五十人近くおったはずや。何でお前やねん。絶対に誰かの陰謀や、そうに決まっとる」
「確かに多少の作為はあったと聞いている」
「ほらな、ほらな。上層部の横暴や。俺は断固抗議するで」
思わぬ同意が得られた大和が勢いづく。しかし、葵はその勢いに頭から水をぶっかけた。
「学科の点数があまりにギリギリすぎるので、『こいつは首席と組ませないとまずい』という話になった士官がいたらしいな。誰かは知らんが」
話を聞いた大和がびくりと痙攣した。
「ちなみにその士官は、試験中にやたら鉛筆を転がしている姿が目撃されていた。試験監督の間で『あれは本当に実力か』という噂があるらしいので詳しい検証を上に求めるという話で……おい聞いてるのか、御神楽」
「何にも聞こえまへんなあ。さあ会議会議」
話の途中から、大和は急に難聴になった。葵が現実に戻ってこいと言いかけたちょうどその時、きちんと制服を着こなした隊員が資料を片手にやってきた。
す、す、と滑るような無駄のない手さばきで、資料が目の前に置かれた。数十枚はあろうかという資料で、数枚めくってみると図面と文字で紙面がびっしり埋まっていた。ちらっとめくってみた大和がうげえ、と情けない声をあげる。
ひととおり資料が行きわたり、紙をめくる音があちらこちらから聞こえてきた。
「では、これより任務について説明します」
さっき資料を配った隊員が、マイク片手に口を開いた。
「五月、
目の前のスクリーンに、現場写真が数枚映し出されては消えて行く。
葵たちが住む市は、主に北側を山地がしめ、南に行くに従って海にひらけている。摩耶山は珍しく市内最大の繁華街の東側にあり、市街地を見下ろすように存在している山だった。そこに陣取られれば、百万を超える膨大な数の市民が人質にとられたに等しかった。
「市街地に近いのはやっかいだな……」
「その時目撃された種族は」
「キョウモウダヌキです。人に良く化けますが、化けるのが下手なので狸族の中でも無害な方です」
「だからといって放っておくこともできませんなあ。他の種族もいるが、たまたま見つかったのが狸だけだったということも、ありえますしね」
机からあがった発言に、司会者は深くうなずいた。熱い展開だというのに、葵の隣の大和は大きく船をこいでいる。葵は脇腹をつねってやった。
「上もそう思っています。そこで皆さんの出番となりました」
「討伐か」
ようやく話が具体的になってきた。今まで死んだようにへたっていた大和が身を乗り出す。
「いきなり大規模作戦にはなりません。摩耶山の調査を依頼します」
「調査ねえ。山狩りでもするのかと思ったよ」
「航空写真だけではとてもではありませんが、詳細な状況の把握はできませんから。まずは現状を理解しませんと」
「そうは言っても、山の中は奴らの縄張りじゃからなあ。見つかったらどうする」
「話ができる種族ならいいのですが。向こうが危害を加えてきた場合は直ちに戦闘態勢に移行、これを撃退してください」
「現場としてはそれでいいんじゃろうが……」
十年くらい天日に干されたような、痩せた老隊員が声をあげた。ベテランの意見に、全員が耳を傾ける。
「政治的にはどうかな。
「戦意がないものにこちらから手を出した、と難癖をつけられる可能性があるということですね」
「ああ」
「今回の場合は大丈夫でしょう。そもそも停戦条約で、『お互いの領土に踏み入らない』という項目がありますからね。入った時点でまずその個体は規則に違反している。適切な段階を踏んだうえでの軍事行動なら、向こうの頭目も文句のつけようがない。問題ないでしょう」
老隊員は納得したようで、それ以上の発言はしなかった。その後は特に反対意見もなかったため、具体的な作戦行動を話し合う流れになった。
結果、学者七名とそれを護衛する部隊十五人でまず山に入ることになった。異変がなければそのまま帰還するが、掃討に移る場合その人員では足りぬため、近くの基地からの応援と合流し任務を遂行する。これが、会議で決まった詳細である。
バカバカしい。葵は内心ため息をついた。後から応援を出すと決めているなら、最初から全軍投入して山狩りすれば済むことだ。最近の上層部は軍事行動に妙に慎重で、できれば小規模の部隊派遣で済ませようとする。この分だと、デバイス配置の数も知れているだろうなと葵は読んだ。
「念のため、先行部隊にはシストロンデバイス二機を配備します。もし戦闘になった場合はためらわず使ってください。後の政治処理はこちらで引きうけます。皆さんは全力を尽くして下さい」
やはり『全力』でもたった二つか、と葵は鼻で笑う。戦線を維持するには到底足りない、生ぬるいにもほどがある。中途半端に投入したら、貴重なデバイス使いを疲弊させて使い潰すようなものだ。満足そうな上層部の顔を見たくなくて、葵は目を閉じた。
「では、先行部隊のメンバーを発表します」
淡々と選ばれた隊員の名が読み上げられる。葵、大和、怜香の三名もその中に入っていた。今更、この運命は変えようがない。死にたくなければ何をすべきだろうかと心の中で呟き、葵は腕を組んだ。
☆☆☆
長い会議を終え、三人はようやく建物を出て帰路につく。もうとっぷりと日は暮れていたが、蒸し暑さは変わらず、数歩歩くだけで全身から汗が噴き出す。濡れたシャツが肌に張り付いて妙に重かった。
「はい、お疲れ様」
葵と大和は一緒に帰る気などさらさらなかった。が、建物を出たところで怜香が冷たいペットボトルを二人に向かって差し出してきたので、一緒に歩きながらそれを飲む形になった。
「すまんな」
「おー、助かる助かる。おおきに」
乾いた喉に、スポーツドリンクが一気にしみわたる。水分と甘味と塩味が、ないまぜになって葵の全身を潤した。
「任務開始は三日後か。意外とすぐやなあ」
「いつも行動が遅い上にしちゃ迅速だ。その分計画はザルだが」
おおかた、どこかから圧力がかかったのだろう。市内最大の繁華街が落ちて迷惑をこうむりそうな組織や人間をあげてみようとしたが、多すぎて葵は途中で諦めた。上層部の都合で下が振り回される、いつものことだが重い気分になることは間違いない。
「調査だけで終わると思う?」
怜香が葵の顔を覗き込んで、聞いてきた。
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