第3話  一人だけの一尉

 かわって、怜香れいかのデバイス適正値はAクラス。他のテストの結果も、Aがほとんどで二つ三つB判定があるくらい。こういう出来ならば早い段階から上位士官への道が開ける。


 ただし、彼女の場合は、どうなるか分からないが。上の爺さま方は、頭が固いからな。あおいはそう思ったが、口には出さなかった。かわりに彼女に向かって結果の紙を差し出し、できるだけ穏やかに言う。


「良かったな」

「うん、ありがとう」


 怜香はぎこちない笑顔で葵に結果を返してきた。コメントに困ったのだろう、視線がきょろきょろ動いている。葵は自分から助け船を出した。


「ま、俺らしい結果だろう」

「そうよね」

「俺が持ってるカードは分かった。あとは、どう使うかだ」

「……そうね、心配いらないよね。ごめん」


 葵の回答に、今度こそ怜香は本気で微笑んだ。


 二人が結果を交換している間も、生徒達への受け渡しは順調に進んでいた。ようやく大和やまとの番になり、でかい返事が室内に響き渡る。


 彼はスキップを踏みながら進み出ると、受け取ったその場で封筒から中身を取り出した。開けるとすぐ、じーっとそれを見つめる。もちろん席には戻らない。


「君、さっさと自分の席に戻りなさい」


 見かねたおじさんに注意されたが、大和はそれを気にした様子もなく、逆に彼に食ってかかった。


「あのう、これ、間違うてると思うんですけど」

「封筒の名前は合ってるじゃないか」


 おじさんは一応、大和の封筒の名前を確認するが、すぐそれを本人に押し戻す。大和は名前ちゃいますよ、と重ねて抗議した。


「俺、デバイス適正値はSやと思うんですけど。もっぺん計ってもらえませんか」


 おじさんが言葉を失った。デバイス適応のS評価は、一応評価規定としては存在するものの、評価が始まってから今まで、実際にその判定を出したのは十数人しかいない。想像をはるかに超える狭き門なのだ。それなのに、どうやったら自分がそれだと思い込めるのか。合理性の欠片もないな、と葵は呆れてつぶやいた。


「確認してもらえま」


 最後まで言わないうちに、おじさんの水平チョップが大和の眉間にぶち当った。音もなく崩れ落ちた大和をその場に放置したまま、淡々と呼びだしは再開された。怜香と葵はそれを見ながら会話を交わす。


「あの自信だけはS評価をあげてもいいと思うの」

「ああいうのは傲慢って言うんだ」


 続いて、各人の職種と初期の階級が発表される。職種はたいてい希望通りの結果になるが、デバイス測定値がA以上のものが事務や会計、音楽科を志望することはできないようになっている。あくまでも、前線で戦うことを期待されての早期入隊だからだ。


「階級は、一人を除いては全員同じ所からのスタートになりますね。三尉着任、おめでとうございます。本来なら軍大学卒業レベルの能力が求められる職務です。かなり高い階級からのスタートとなることを忘れないように、誇り高く行動してください」


 おじさんはぐるりと会場を見回して、なおも話し続ける。


「そして、この中で一人だけ一尉での入隊となる隊員がいます。いわゆる飛び級というやつですね。この制度が始まって以来、極めて少ない例となります。皆の規範となるよう、研鑽を積んでください」

「え、マジで?」

「ねえ、誰なの」

「お前だけは違うよなー」


 一人だけのエリート入隊、というのが皆の好奇心を煽った。小さなざわめきから始まり、教室の騒がしさは最高潮に達する。それを何とかささやきレベルの波にまでなだめてから、おじさんはくるりと窓側へ体を回した。


「と、いうことなので頑張ってくださいね。三千院さんぜんいんくん」

「はい」


 平然と返事を返した葵に視線が集中する。


「えええええ!? 嘘おおおおお!?」

「御神楽くん、後でここの窓ふきをしなさい。命令です」


 大和が罰則を課される中、葵が手でもてあそんでいる階級章には、一本線と三つの桜星がしっかりと刻まれていた。



☆☆☆



「な、納得いかん」


 一尉入隊は自分だと思っていたらしい大和が、机に突っ伏して嘆いている。一気に谷底まで突き落とされたような嘆き方だ。


 他の合格者は制服を受け取りにとっくに部屋を出てしまい、残っているのは葵・怜香・大和の三人だけになっていた。


「いつまでそうやってるつもりだ馬鹿」

「大阪で馬鹿いうたらあかんで」

「じゃあ阿呆」

「それならええ」

「いいの? 本当に?」


 アホとバカの違いがいまいちわからないらしく、怜香が怪訝けげんな顔をした。今度解説してやることにしよう、と葵は決める。


「とにかく行くぞ。御神楽、あんまりしぶって、せっかくもらった三尉の地位まで取り消しになっても知らんからな」


 葵が腕組みしてそう言い放つと、大和はようやくゾンビのようにのろのろと上半身を起こした。


「分かった。割り切る。……しかしお前、実はすごい奴やったんやな」

「どうも」

「参考にしたいから、結果見せてくれへんか」


 褒めたと思ったら、それが目的か。どこまでも図々しい奴だと思いつつも、葵はぐいと大和に封筒を差し出した。


「悪いから俺のも見せたるわ」


 大和がすでにくしゃくしゃになった通知を差し出す。封筒も角が折れ曲がっていて、ついさっき教官からもらったというのが嘘のようだ。何をどうやったらこんな無残な姿になるのだろう、と葵は本気で首をひねった。


 葵は大和の各項目にざっと目を通す。大和の身体能力には堂々とS評価が輝いている。なるほど、さっきの木登りからみてもこの評価は納得だ。デバイス適応値もAランクと優秀な結果になっている。


 それとは対照的に、学業系の科目は惨憺さんたんたるものだった。一つだけB評価があるものの、後は軒並みC評価が延々続く。特に知識を問う項目では、評価Cの真横に極太の黒マジックで『おまけです』としっかり書かれていた。よっぽどギリギリだったのだろう。担当者の言いきれぬ怒りを感じた。


「おい、もう返すぞ」

「ああ……」


 大和は首をひねりつつ、葵の結果を手渡してきた。すでに自分のも封筒の角が折れていて、葵は顔をしかめる。


「どうだった、俺の結果は」

「うーん、見してもうてなんやけど、お前って『普通』なんやな。頭以外は」


 大和がずばりと言う。遠慮のえの字もない、極めて率直な感想だった。気を遣うという発想がそもそもないのだろう。


「その通りだな」

「頭脳系除いたほぼ全部の項目がBやからなあ。平均だけ取ったら、お前よりええ奴おったやろ」


 確かにその通り、と葵は頷いた。怜香も横でうんうんと首を縦に振っている。


「……頭脳系の成績が問題なのよね」

「せやな。頭脳系科目評価、オールS。大した頭の持ち主や」

「お褒めにあずかりまして」


 全く照れた様子もなく葵は二人の褒め言葉を受け取った。天才、思考機械、人外。褒めともやっかみともとれる単語は、すでに言われ慣れてなんの感情もわかない。ただ他所から見ればそうとれるのだろう、程度に思っている。


 そのまま三人は出入口に向かって進む。制服の受け取りは二階で行われているとさっき言われていたので、自然に一同の足は階段に向いた。


「はよう任務につきたいか」

「そのための早期入隊だ。受けて立とう」

「ふん、俺もや。どっちが先に手柄立てるか勝負やな」


 葵と大和が胸を張った。怜香がそれを見てぼそりとこう言う。


「ふたりとも、私より先に死なないでよね」


 男二人は、うなずきでそれに答えた。



☆☆☆




 着隊、入隊式、それに続く前期教育であわただしく時は過ぎて行った。早期入隊組は義務教育中のため、学校に顔を出してから訓練に参加している。そのため、訓練が終わると夜中になっていることが大半だった。


 十キロ単位の歩行訓練、小銃の発射訓練、日々の体力作り。一日があっという間に過ぎて行く。地味な訓練を続け、ようやくその集大成である野営訓練が終わったころには、季節はすでに夏になっていた。


 修了式を終え、各自部隊に配属される。怜香と大和は普通科所属、葵は情報科に参謀候補として入隊した。


 基地は各私鉄駅から北に上がって十分ほどの位置にあり、すぐに出動できるよう幹線道路にも位置している。この道路を使って演習場にも移動するため、時間によっては忙しなく行き来する戦車部隊を見ることもできた。葵は慣れているので微動だにしなかったが、同級生たちは顔を上気させて戦車の列に見入っていた。


 正門を入って、広いコンクリート作りの道を真っ直ぐに進むと、各種補給本部の建物に突き当たる。左手に進めば兵器置き場の倉庫やヘリポート、運動場など軍機能に関する施設が、右手に進めば病院や食堂など厚生施設が並んでいる。基地と言っても建物周りは緑の芝に囲まれており、中に入ってみればそこまで殺風景な印象はうけない。


 通常隊員は宿舎に寝起きし、朝の六時から起こされ早々に訓練に入る。しかし早期入隊組みは学校もあるため、自宅から必要のある時だけ通ってくる方式だ。九時頃基地に着くと、通常隊員とは違う特訓を三時間こなし、昼食。午後は再び訓練や先輩からの指導を受け、午後五時には任務を終えて帰宅となる。もちろん、緊急事態となれば呼び出されるのだが、内戦が落ち着いている現在はそんなことはほとんどなかった。


 着任して二週がたち、同級生たちも戦車に騒がなくなった頃、葵は自分のデスクに座って周辺の地図や航空写真をじっと見ていた。陸軍の場合はくすんだグリーンの制服が支給され、皆おとなしくそれを着ているが、葵はそれを嫌がって個人で服を持ち込んでいる。


 今日は黒の上着に白いシャツ、臙脂のネクタイを合わせて着ていた。公式行事ではやむをえないが、普段の業務中もあの緑と灰色の合いの子のような制服を見続けるのはまっぴらごめんだと葵は初日から主張して私服着用をもぎ取った。


 熱心に資料に目を通していると、視界がぼやける。葵はふと外を見た。じりじりと太陽がコンクリートに向かって照りつけ、道行く人々は心持ち猫背になって歩いている。心なしか鳥の声も元気がないなか、植え込みの樹だけが緑の葉を茂らせ威光を示しているようだった。


「三千院一尉、少しいいかね」


 ぼんやりとそんな風景を見つめる葵に、背後から声がかけられた。

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