第7話 いちいち騒ぐは小物なり
葵の危惧くらいで作戦が中止になるはずもなく、引き続き一同は細い山道を進んでいく。登り口付近はまだ木々もまばらで、登ってきた日の光が暑いくらいに部隊に降り注いだ。舗装されていない道を踏みしめる、じゃりじゃりという音が規則的に響く。
「……あの羽音、なんやろ。気にならへんか」
「なる」
「鳥にしてはやたらに大きかったやんなあ」
「ああ。妖怪かもな」
しかし、羽音が一回だけでは証拠としてはあまりに弱い。その上、班長格の加藤と佐久間は昔の話で盛り上がっていた。この二人が「そんなの聞いてないよ」と言う可能性はある。今の状況では、ごり押ししても耳を傾けるものがいるとは思えなかった。
「羽をもつ妖怪っていうと、一番有名なのは天狗かなあ」
「ああ。ただ、鳥型の妖怪は多いぞ」
怜香が葵に聞いてきた。葵は
「さよか。どう気をつけとったらええ」
「とりあえず煙幕の用意をしとけ。頭上をとられたらこっちが一方的に不利だ。対空装備に特化した部隊は連れてきてないからな」
正確には「上層部が認めず連れてこられなかった」だが、葵はそこまで言わなかった
「なんや、えらいヌルい対処法やな」
「ないものはないんだから仕方ない。あとはデバイス持ちがどれだけ素早く迎撃に入れるかだな。準備しておけよ」
葵がすごむと、大和が一瞬自分の耳に手をやってから頷く。葵はため息をつきながら指摘した。
「お前、すぐスリにやられるタイプだろ」
「何故見抜いたんや」
大事な物の隠し場所にすぐ手を伸ばすからだ、と思ったが、うろたえ方が面白いので黙っておくことにした。
その後も一行は山を歩き続けたが、襲撃らしいものはなく、足元に笹が茂っていて進路を阻まれたことくらいしかトラブルはなかった。一向に弱まらない夏の日差しはきつく、妖怪に出会うより先に熱中症で倒れるものがいなければいいが、と葵は内心ぼやく。
「もうこの山にはいないんじゃないのか」
前方の隊員たちから、そんな弱気な声が上がる。葵は時計を見た。
午後二時。行軍を始めてすでに九時間が経過しており、その間に見た妖怪が一体もいないのだから、プロといえどだんだん飽きがきているらしい。けだるい雰囲気が、一同の中にたちこめていた。
「奴ら、夜行性なんじゃないのか。今探したって、無駄かもしれない」
「確かに妖怪は夜に出るのが多いけど、狸族は昼に良く動くよ。化かす人間がよく動くのが昼だから」
軍人の何気ない質問に、律儀に
「……それなら、俺たちは相手にもされてないってことか」
「もう逃げたんだろ」
「最初の報告がガセだったりしてな」
ははは、と森に男たちの笑い声がこだまする。少しでもくさくさした気分を飛ばしたかったのだろう。しかし最後尾を歩く葵は、それを苦々しい思いで見ていた。
「目立つな。まずい。さっきの羽音の妖怪が大物だったら、命取りだ」
「止める?」
「いや、もう遅いだろう」
「そんなことないんちゃうか」
「そんなことないで」
「任務だって自覚があるのかしら」
「ほんま困ったもんや」
「ほんま困ったわあ」
「おい」
会話がおかしいのに気付いた葵が急にぐるりと方向を変え、大和を見据える。
すると、さっきまで一人だったはずの大和が二人になっている。どちらをブン殴ろうか、というように葵はふっと視線をさまよわせた。相手がそれに油断したところで、すぐさま片方の大和の体をとらえ、地面にひきずり倒す。
掴まれた大和は往生際が悪く、きいきいと悲鳴をあげながらのたうち回った。葵は全身の力でそれを押さえ込む。息切れがした。
「救援を! 敵です!」
怜香が声をあげる。先頭で談笑していた隊員たちがようやくこちらに駆け寄ってきたので、葵は彼らにニセ大和を引き渡す。
「
「偽物だ。どうせ狸が化けてるんだろう」
仲間の居場所を聞き出せるかな、と言いながら佐久間が狸に近づいて行ったが、個体はただ暴れるばかりだった。
「堂々と出てくるとはいい度胸だな」
少し肩の力が抜けた葵が笑みを浮かべながら、狸に言う。
「だが、化けるなら口調までそっくり似せろよ。他はまあ、いいが」
「待てやおい」
葵の評価を聞いて、本物の大和が食ってかかった。
「これ以上ない冷静な判断に、なにか文句があるのか」
「見破るポイント、そこかなあ? 俺はちゃうと思う」
葵は狸と大和の顔を何度か交互に見比べる。そしてしれっと言った。
「俺には何も分からないな」
「絶対わざとやろお前えええええ」
「大和君落ち着いて! 葵もやめなさい!」
大和が我を忘れて葵に殴りかかった。後ろから怜香に引っ張られても、離せ離してくれとわめきたてる。もう目立つなと言っても後の祭りなので、葵は好きにさせておいた。
捕まった狸は、確かに目から上は大和にそっくりだった。が、そこから下は大違い。びっしりと濃い口髭が生え、あごが細くとがって突き出している。ひょっとこをもっと尖らせたような感じの仕上がりだ。
そして体つきも違う。本物の大和は足が長くすらっと伸びているが、狸の方は上半身七下半身三くらいのバランス。泣きたくなるくらいの短足だった。キョウモウダヌキという種族はとにかく化けるのが下手で、無理をして人間に似せようとするとこうなるのだと佐久間が言った。
「わかったわかった、似てない似てない」
「二回言わんでええねん」
大和が険悪な顔で葵ににじり寄る。また取っ組み合いになる、と思ったのか怜香がじわりと間合いをつめた。その時、林道に悲鳴がこだました。しかし、その悲鳴をあげたのは葵でも大和でもなかった。
「どないしたんや」
「狸が、狸が噛みやがった。くそおっ」
加藤が左手をもう片方の手で押さえて派手にのたうちまわっている。押さえた指の下から、鮮血がしたたり落ちていた。加藤を噛んだ狸はもう大和の姿ではなく、茶色い毛でおおわれた動物の形に戻っている。
狸は、加藤に一撃を与えて気がすんだのか、もう振り返ることなく一直線に茂みの中へ消えて行った。隊員が慌てて銃を構えた時には、すでに物音すらしない。
「お前、なんでちゃんと押さえておかなかったんだっ。俺になんの恨みがある」
加藤は部下に向かって怒り狂った。狸を押さえていた隊員がいくら頭を下げても、怠慢だ無能だと言いたい放題に罵る。見かねた怜香が強い口調で割って入った。
「いい加減にしなさいよ。みっともない」
加藤は、へいこらしかけて急に強張った表情になった。葵に向けたものとはうってかわった、汚いものでも見るようなきつい視線で怜香を睨みつける。
「――お前に」
「そやそや。そんだけ騒げる元気があるんやったらもうええやないか」
加藤が何か言おうとしたが、その前に大和が怜香を援護する。それでも彼は金魚のように口を動かしたが、
「それ
と葵に一喝されて今度こそ完全に口をつぐんだ。そのかわり加藤は舌打ちを一つして、荒々しく地面を踏みにじる。
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