11

「ダンちゃんのほうは、今日はなにしてたの」

 ソファのおれの横に腰かけて、マユリがたずねる。

 その瞬間だった。

 部屋にインターホンの音が響いた。続いて男の声がきこえる。

「マユリ。いるか?」

 その声におれはきき覚えがあった。昨日すれ違ったときにスマートフォンをおれの足もとに落とした男だ。

「あっ。ケンジだ。どうしたんだろ?」

 マユリが振りむき立ちあがる。どうやらとつぜんの訪問らしい。マユリの驚くようすで、それがわかった。

 なぜ急にケンジがこの部屋にやってきたのかは定かじゃないが、どちらにしてもやはりマユリの彼氏は昨日の浮気男のようだった。おれはゆで卵の残りをあわてて口に押しこむと、クローゼットに飛びこんだ。この場所なら完全に玄関からの死角になる。隠れるのならば、もってこい。蛇腹じゃばらの扉に身体をおもいきり押しつけるとわずかにひらいた。その後、勝手に扉はしまった。なんとも優秀。おれはひとまず、クローゼットで息を殺した。

 クローゼットは閉鎖されても、なかは真っ暗闇にならない。格子になった扉の隙間から部屋の明かりがこぼれてくるのだ。

「どうしたの、急に」

 玄関からマユリの声がきこえてくる。

「いや、ちょっと近くにきたからさ。連絡もなしに部屋にきたら迷惑だった?」

 女がよろこびそうなせりふをケンジは吐く。その返事にマユリはご機嫌そうな声に変わる。

「ううん。嬉しい。会社帰りに自分の駅におりずに、ここまでのりすごしてきてくれたんでしょ。ありがとう」

 姿の見えない声だけだったが、きっと退屈を貼りつけたいつもの表情もにこにこと明るいものに変わっているのだろうと思った。姿の見えないケンジはいう。

「まあ、会社からも駅みっつぶんだしね」

 おそらく別の女に会うつもりできたけど、時間をもてあました。それでこの場所によっただけなのだろう。終電時間と照らしあわせれば昨日のメールの相手がこの街に住んでいるだろうということは予想ができた。それにしてもこの男は、なんともうまい言葉を吐く。

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