2

 おれはむかいから歩いてくる若いリーマンを見つめた。なんとなくだが、こいつがマユリの彼氏なんだろうと思った。雰囲気がマユリによく似ている。カップルのそういう空気感はなぜか不思議とつたわってくる。

 マユリの彼氏であろう若い男は、最新型のケータイ電話をいじりながら歩いていた。むかいから歩くおれには気づかない。まったく顔をむけてもこない。5インチだか6インチだかの大画面と高感度タッチパネルを売りにしたスマートフォンは人間たちの心をとりこにするらしい。画面に一途な男はバカみたいに手もとだけを凝視している。

 おれとやつの歩いているラインは寸分たがわずまったくおなじだ。距離はだいたい三、四メートル。まばたきするまに彼我の距離がぐっと近づく。どちらもよけるつもりがない。不毛なチキンレース。


 正面衝突しそうになる直前だった。

 男がなぜか足もとに驚きバランスを崩した。画面ばかりに夢中になっていたせいだろう。体勢を崩し、不格好なたたらを踏む。転びさえしなかったが、手に持っていたスマートフォンが手から弾けて落下した。わずかに湿った音を響かせ、アスファルトにプラスチック製のモバイル端末がかつんとぶつかる。

 おれは男のまえに転がるスマートフォンに目をやった。タッチしやすそうな大型のディスプレイがこちらをむいている。どうやらメール画面のようだ。

『十一時にバイトあがりだよね? 終わるころ迎えに』

 男が作成中のメールのようだ。宛先はハルカと読めた。送信者はケンジ。おそらくそれがこの男の名前なのだろう。

 彼女であるマユリではなく、別の女にデート用のメールを送る。こいつもおれとおなじようなものかもしれない。

「あー……」

 男は腰をかがめて、おれの足もとに転がるスマートフォンを拾おうとした。おれはその手をおもいきり踏みつけようとしてやめた。足もとのモバイル端末をよけて男とすれ違う。なぜか先ほどのタクシーを思いだした。おれのテールの軌跡は夜の空気に長く残って男の目にうつっているのだろうか。

 はあ。

 ため息がでる。

 蒸し暑いな。

 心のなかでつぶやいた。

 あきらめて駅まえまで歩き、雑居ビルの非常階段でふて寝した。

 夏は野宿も苦にならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る