3
「はい。ダンちゃん、どうぞ」
五分か十分かたったころだろうか。おれがソファで身体を伸ばしてくつろいでいると、キッチンからマユリが小走りにやってきた。手には卵。殻はすでにむかれている。楕円形の真っ白なゆで卵は宝石のかたちをした消しゴムみたいな質感だ。とりあえずといった感じでゆでたのだろうか。おれはしぶしぶ身体を起こした。
「ダンちゃん、よっぽどおなかすいてるって顔してるもんね」
こいつはおれの心が見えるのだろうか。制作中の料理とは別ラインで、わざわざいそいでゆでたらしい。おれはマユリの手から、殻のむかれたゆで卵を受けとった。ちょうどたべごろの温度。指で押して卵の硬さをたしかめる。
「ふふっ」
そんなおれの姿を見てマユリが笑った。
「大丈夫だよ。ちゃんとなかまで硬くしておいた。ダンちゃんの好きなハードボイルドだよ。安心して」
そういってピストルのかたちをつくった指を自分のあごに持ってくる。どうやら探偵のモノマネらしい。かたゆで卵か。くだらない。
マユリは出会ったばかりのころ、おれが半熟卵をまずいといって吐きだしてやったことをしっかり覚えているようだ。はっきりいって、あんなものはとてもくえたもんじゃない。どろどろの卵黄はくいごたえがないうえに、獣のにおいがする。おれはかたゆで卵の頭をかじって頬ばった。
「あっ、そうそう」
よくしゃべる女は思いだしたようにいった。ソファのまえから立ちあがる。
「ダンちゃんがきたらわたそうと思っていたものがあるの」
そういってソファ背面にあるクローゼットをあける。木製の扉がアコーディオンのように折りたたまれまんなかから左右にひらく。壁一面が収納スペースになっているマユリ自慢の物置だ。
首をめぐらし、おれはクローゼットをあさるマユリの背中に目をやった。部屋着のキャミソールからのぞく華奢な背骨と肩甲骨。腕をあげたときにちらとのぞく脇はむだ毛の処理跡がわずかに赤い。冷房をいれていてもクローゼットは蒸すのだろう。マユリの白い肌はうっすらと汗ばんでいて、さわれば貼りついてしまいそうな質感だった。
おれは卵をくいながら、マユリの筋肉の動きをしばし観察した。べつになにをしようってわけじゃない。おれはただただ、見るだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます