第8話知らないところで愛情
「お母さーん、お腹すいたー」
もうちょっと待ってて~とキッチンから漂ってくるいい匂いと母の声にいい子の返事をしてテーブルに待機する4月頭の平日。
そう、平日。高校3年生につつがなく進級し、クラスメイトも程々に入れ替わり、新しい人間関係を構築するはずのこの時期。
わたくし田亀姫ららは、インフルエンザにかかり一週間の自宅待機をしております。
・・・・・・完全に出遅れた。
テーブルの上に並べた提出するはずだった春休みの課題の上に、頭を乗せてうなだれる。
一体どこからもらってきたインフルエンザなのか、始業式当日の朝に高熱が出て制服着用のまま病院へ直行。病状インフルエンザと診断され、部屋のベッドでうなされるこの一週間。
熱も下がり、一週間の謹慎も今日で終わるので、土日をはさんで3日後が今学期初登校なのである。
担任からの電話でクラスはわかっているのだが、クラスメイトもわからないし、学校の授業の進み具合も謎である。
家庭科部で仲良しの友達とはクラスが違うということしかわかっていないのだ。
ピンポーン
「姫ららちゃん、出て~」
「はーい」
父の実家が農家で、お米を郵送してくれると言っていたのでそれだろうと、誰かも確認せずにガチャりとドアを開けた。
「こんばんわ」
「・・・・・・・・・・」
「熱下がったのか?担任が一昨日電話したときはひどい咳をしていて熱も下がらないって言ってたけど」
「・・・・・・・・・・」
「・・・おい、大丈夫か?」
「片桐くん・・・」
驚きのあまりフリーズする私に、片桐くんは片手に持っていたビニール袋を軽く持ち上げる。
「一週間分の配布資料と、課題」
「え、あ!わざわざありがと「姫ららちゃーん、判子いる~?」
判子片手に玄関へと顔をのぞかせた母は、片桐くんを見てきゃー!!姫ららちゃんが男のことお話してるー!!!と言ってドタバタ近寄ってきて、上がって上がってと遠慮して帰ろうとする片桐くんを夕飯に誘った
「ごめんね、お母さん、楽しいと思ったことには首を突っ込まずにはいれない人で・・・」
ぐったりである。
食卓での母は強かった。片桐くんのことを根掘り葉掘り寝掘り葉掘り寝掘り。
「ご馳走になって申し訳ない」
「気にしないで。お母さんいっつも作りすぎちゃうんだ。でもお父さんは小食だし、私は一人っ子だからいっつも余っちゃって。片桐くんがたくさん食べてくれたからお母さん喜んでたよ」
片桐くんは、びっくりするくらい食べていた。
年頃の男の子の食べる量わからなかったらしい母は、一番大きな丼に父が食べる2倍のご飯を敷き詰めて、その上にこれでもかという量のカツを乗っけていた。
その、あまりの威圧感に、多すぎるよ!食べ盛りの男の子はこれくらい食べるものなのよ!
それにしても多いよ!カツがこぼれそうだもん!まあ姫ららちゃん!お母さんが作ったご飯が食べられないって言うの!?お母さんは片桐くんのお母さんじゃないでしょ!
よよよと泣き真似をする話の通じないお母さんの暴挙を止められない不甲斐ない私の前に座った片桐くんは、お礼を言ってから受け取り頂きますと手を合わせてから食べだし、あっという間に食べきってしまったのだ。
「カツ丼が食べられるぐらいには回復したんだと安心した」
「病原体に勝つ、が今晩の夕食のコンセプトだったって・・・」
皿洗いを買って出た片桐くんを半泣きで止めて現在皿洗い中である。
母はその会話をあらあらと何やら良くない笑みを浮かべながら聞いていたのだが、傍観してないで加勢してよ私じゃ言い負かされちゃう・・・!という心の叫びは、残念ながら母には届かなかったらしい。
そんな母は、インターフォンに呼び出され、予定通りお米を届けに来た宅配便のお兄さんとおしゃべり中である。
そのコミュ力をどうか私の遺伝子に色濃く混ぜて欲しかった。
「一週間分の授業で何かノートをとりたい科目があるなら貸すけど」
「え!じゃあ数学で!!!」
片桐くんは3年生も一緒のクラスだったそうで、今日はわざわざこの週末の課題なんかを持ってきてくれたのだ。
ちなみに昨年彼女にこっぴどくふられて宿題の鬼になっていた数学教師は、この一年で運命の人に出会ったのかスピード結婚を果たし幸せいっぱいである。ただ、試練があったからこそ今を大切にできるんだ!と、結婚しても宿題の鬼畜ぶりは変わらなかったようで、春休み中の課題はやってもやっても終わらなかった。
先生と仲のいい男子によると、仕事熱心で生徒のために尽くしている姿が素敵だと奥さんに言われたので、調子に乗って張り切っているらしい。
女なんて必要ない!俺は仕事に生きる!と言っていたのはどこのどいつだよとつぶやいた男子は、笑顔の先生にさらに追加課題を出されて魂が抜けていた。
ありがとうございました~という母の声が聞こえた。宅配便屋さんがお帰りになったみたいだ。
「俺もそろそろ帰るわ」
「うん、本当にありがとうね」
「ん」
ぽんぽんわしゃわしゃと頭を撫でられる。
いつからだったか、片桐くんからこんなふうに軽い接触をされることが多くなった。
たまたま一緒に下校していて、いつの間にやらフラフラと車の前に出かけていて、腕を引っ張られて大事にはならなかったが、それ以来帰りが一緒になったときは腕を引かれて帰るようになった。
グループワークで、いつも一緒にいるメンバーとは人数の関係ではみ出してしまい、どうしようかオロオロしていると、突然軽く背中トン、と押されてびっくりして大きな声を上げてしまい、クラスの注目を浴びて真っ赤になっていると、まだ人数が揃っていなかった女の子のグループの子が声をかけてくれてグループに入れてくれた。
木から降りられなくなっていた鳥を見つけて、登ったはいいが着地に失敗して足をくじいたときは、おぶって保健室まで連れて行ってくれた。
・・・あれ、よく考えてみなくても全部私が原因じゃないのかこれ
ちなみにグループワークの授業が終わったあとに背中を押されたことについてびっくりしたと苦情を申し付けたところ、あの声に俺の方が驚いたと真顔で返されたので平身低頭で謝った。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「んもお、いい食べっぷりでお母さん嬉しかったわ!ぜひまた食べに来てね」
「ありがとうございます」
片桐くんが母にお辞儀をしてそれじゃあ、と私に顔を向けてくる
「気をつけて帰ってね」
「ああ。月曜日に学校で」
「姫ららちゃん、お母さん外までお見送りしてくるわね」
「いえ、ここで構いませんので」
「まあまあ、そんなこと言わずに見送らせてちょうだいな。それに、こんなイケメンと少しでも長く関わっていたいじゃない!」
本音ダダ漏れである
「今日は本当にありがとうね、付き合わせてしまってごめんなさい。あの子の学校生活のお話もしていただいてとっても楽しかったわ」
あの子、学校の話はしたがらないから。
先程までのマイペースで本当にあれの母親かと疑うほど正反対といっていい社交的な人の姿はそこにはなく、まさしく子供を心配する母だった。
なんとなくだが、中学時代が思わしくなかったことは薄々気がついていた。同級生への遠慮の仕方やクラスでの息の潜め方から、人間関係でトラブルがあったことは簡単に予想できた。
親の心子知らず、とはまさにこの事だろう。
強引な自宅への招待も納得できる。インフルエンザからの初登下校に不安を感じているのは本人だけではなかったということだ。
「これからも娘のことをよろしくお願いします」
深々と下げられた頭に目を見張る。
しかしすぐに頭は挙げられて、娘曰く『楽しいことには首を突っ込まれずにいれない』母親が顔を出す
「もしもインフルエンザが移っていたらうちに来て。めいいっぱい二人で看病させてちょうだいね」
「何かしでかすんじゃないかと不安でゆっくり出来そうにないですね」
「あら、ああ見えて頼りになるところもあるのよ。料理は私より上手だし。
お水をひっくり返したり薬をばら撒いたりはするかもしれないけどね」
あんまり簡単に想像できて、知らず苦笑が溢れる。
びくびく周りの様子を伺っているくせに、鈍感で行動力だけはあるのだから、手放しで見ていられない。
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします」
一つ礼をしてから、失礼しますと背を向けて帰路に立った。
あらあらあらあらあらあら。
なんだか大物を捕まえちゃったみたいねえ、お父さんに報告しなくっちゃ。
うふふと浮かべた笑みに滲んだそれを、そっと拭って、可愛い娘をからかいに母は玄関をくぐった。
甘くておいしいチョコレートケーキとこのままでは絶対にまずい私 庭芽 @niwakaameko
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