第5話

「たいそう勉強ができると聞きますわ」

「病気や怪我を治すんじゃないですか」

 ヒーラーの仕事は何かと尋ねられて、ポンタンは無邪気に返答したが、はてとイワンは少し考えた。実際のところポンタンもイワンもヒーラーが具体的にはたらいているところを目の当たりにしたことはない。

 ヒーラーが病気や怪我を迅速かつ正確に治癒するための超自然的な技法を発揮するには君主の許可が必要であり、ポンポコリーナ国民とはいえおいそれ気軽には受けられない。安静にしていれば治るような病気や怪我であれば町医者にかかるのがせいぜいで、よほどの大怪我や難病でもなければ王国軍傘下のヒーラーの治癒を受けるということはなかったのである。例えばポンタンが熱を出したり足をくじいたりしたときでも、あれこれと心配はされこそすれ、ヒーラーがその特別な技法を披露するということはなかったように思えた。

「当たらずとも遠からず、しかしこれがヒーラーの口頭試問であれば試験官に小言の一つでももらいましょうか」

 人事局長は取り出した冊子をパラパラめくると「古いですが」といいながらページを開いた。

「これは肘の辺りで切り落とされた腕をつなごうとした一例です。お粗末なヒーラーの知識のせいでこの兵士は肘がなくなってしまいました」

 ページには左腕を真横に伸ばした兵士の絵が描かれていて、確かにその左腕は肩から手首まで関節がなく丸太のようになっている。見慣れぬ人体の様相に何か落ち着かず、イワンは少し身震いした。ポンタンは「あらまあ」などとわずかな驚きの声を上げた。

 人事局長は更にページをめくった。

「これは建物の屋根から転落して地面に頭を強く打った大工の一例です。比較的新しい話ですよ。ええ、頭の怪我を治すというのはいまでもなかなか難しい技法でして。治癒を行ったヒーラーは優秀な人間だったそうですが、完全には元には戻せなかった」

「というと後遺症が残ったとかそういう」

「いえ、そういうことはなかったんですが、文字どおり『人が変わったように』なりました。記憶喪失とかそういうこともなかったそうです。しかし、味の好みだとか趣味嗜好だとか、そういうものが事故前とは全然違うものになってしまいました。この方は結婚していたんですが奥さんが気味悪がって結局別れてしまいました」

 冊子にはまだまだ大量の事故と事例が紹介されているようで、めくられるページの隙間からちらちら目に入った絵には、語弊をおそれずにいえば目を覆いたくなるようなものさえ掲載されているようだった。その当事者にポンタンを当てはめることを想像することさえイワンには恐ろしいのだが、肝心の当人はといえば他人事のような顔をしている。

「さて、これぐらいにしておきましょう」

「局長、つまり軍隊に入るからにはそういう凄惨な怪我をすることも承知してくださいということでしょうか。それはポンタン様も覚悟の上でしょうが、しかしそれはそれとして、私の浅学をお許しいただけるのならば、先ほどの大量の質問といまひとつ結びつかないのですが」

 イワンの問いかけに人事局長はすぐには答えずに、途中まで記入された質問事項が羅列されている用紙をしげしげと眺めると、なんとなく聞こえるぐらいの声でふとつぶやいた。

「タンクだってヒーラーだってアタッカーだって、どれも難しいもんだ……」

 それからおもむろに二人の方へと向き直して話を続けた。

「いや失礼。よいですかな、ヒーラーの仕事というのは早い話がダメになってるものを元に戻すというわけです。腕が切られればそれを元につながにゃならん。頭がつぶれたらそれを元に戻さにゃならん。そこで大事なことは、では元の状態はなんだったろか、というわけですな」

 人事局長は腕を押さえたり頭を指したり、身振り手振りにしゃべった。おぼろげながらイワンにも大量の質問の理由が見えてきた。

「なんとなくですがわかってきたような気がしてきます。つまり先ほどの肘をなくした例、あれは治癒にあたったヒーラーが肘の構造をよく把握していなかったためであると」

「ご名答。やみくもにつなげばいいってもんじゃあないわけです。筋が、骨が、血管が、神経がどことどうなっているのか、そういう知識がなければまずいことになる。だが頭の中身……。こいつは非常に厄介なしろものだ。今だってよくわからんことが多過ぎる。それでもヒーラーやら学者やらが試行錯誤して分かってきたことは、患者のことをよく知っている人間が治癒を行うといくらかましってことです。つまり元の状態を知っていることが大事なわけだ」

 ヒーラーに求められる具体的な知識や技術までは想像もできなかったが、それでもイワンはなるほどとうなずいて見せた。ついでにポンタンの様子をうかがってみると思ったよりは話を聞いているような顔をしていたことに少し安堵した。少なくとも居眠りはしていなかったから。

「私がよく知ってるタンクに頭を矢で派手にぶち抜かれたやつがいる。昔ならどうしようもなく死んでたか、死なないにしてもわけがわからないことにはなっていたかもしれん。しかし、そのタンクのパートナーを務めていたヒーラーはえらく優秀なやつだったし、何よりお互いをよく知っていた。お陰でくだんのタンクは今でも何事もなかったかのように暮らせている」

 そこまで話すと、人事局長は両肘をついて手の甲にあごを乗せるような姿勢となり、話したいくないことを思いついたか言葉を慎重に選んでいるようで、いっとき口をつぐんで机に目を伏せた。うかつに詮索する気にもならずイワンも黙って待っていた。ポンタンは頭に矢が刺さるところでも想像しているのか、自分の頭のあちこちを指で押して「へぇ」とか「ふうん」とかかすかな声を漏らしている。

「まあ、ご理解いただけましたかな。確かにその質問の数は多過ぎるように感じるかもしれませんが、それでも当初よりはだいぶ減らしたのですから是非にでも回答を」

 結局、人事局長は何事か迷っていたことは口にはせずに話を切り上げた。

「承知しました。では残りもすぐに仕上げます」

「イワン、がんばって」

 かかる説明を受けてもやはりポンタンは自分で答えるつもりはないようである。ポンタンが能天気なのかイワンを信用しているのかは判然としないが、ともかく我が姫が生肉をむさぼったり月夜に奇声を上げるようになっても困ると考え、イワンは鼻血が出るかと思うほどに記憶力を振り絞ったのだった。

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姫(バカ)が騎士(タンク)でやって来る @con

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