第4話
タンク軍人事局とやらに入ると、扉からすぐ四五歩ほどのところに事務机が置いてあり、そこにタンク軍人事局長らしき初老の兵が一人で陣取っていた。机は部屋の幅ぎりぎりに収まっていて、扉を向いて壁を背に座っている人事局長がどうやって離着席するのかは一瞬不便に思えるが、一方の壁には後から空けたような扉がこしらえてある。おそらく、その扉が本部の入口で警備をしている兵の詰所とつながっているのだろう。
「どうぞ、そちらにおかけください」
人事局長にうながされるとポンタンは椅子をはさんで対面に腰掛けた。ポンタンは特段しゃちほこばるでもねこをかぶることももなく普段どおりの様子である。
委細は不明だが、目の前にいる人事局長はどう見たって上衣だけ着替えたさっきの見張りの兵である。先ほどはただの見張りに過ぎないと思い、官位を賜っていないであろうことからイワンが取り次いだ。しかし人事局長クラスであれば官位を持っているはずであり、ということはポンタンと会話をしても差し支えない。それどころかイワンのような従者よりも高い官位の可能性は高く、先ほどのやりとりで気分を害していないかイワンは少しだけ気がかりになった。
「ポンタン様、陛下から簡単にはお聞きしておりますが、よろしいのですな」
「ええ。お兄様にばかりがんばらせるのも悪いものね」
「それはご立派です。ではこちらの用紙にお名前を記入してください」
ポンタンは出された書類に王族独特の署名、偽造を防止するためにやたらと華美で冗長でくるくるぐねぐねとした線を、記入した。もちろんのことこれはやたらと時間がかかるもので、この間にタバコなら一二本ぐらいは吸える。身分が姫というだけでたいした権限を持たないポンタンが署名をすることなど年に一度あるかどうかなのだが、たったそれだけの機会のためによくぞ違えず習得しているものだと、彼女の署名を見るたびにイワンは素直に感心する。
「はい、ありがとうございます。ただ、おそれながら申し上げますが、軍隊というところはおうおうにして気が短いものでして、ええ、これからはもっと簡素にお書きになって結構でございますので」
「あらそう、ごめんなさいね。今後は気をつけます」
イワンもなんとなくはそう感じていたのだが、久しぶりの署名にポンタンがあからさまに張り切っていたものだからついつい最後までやらせてしまったのである。
「はい、おそれいります。では次にこちらの質問にお答えください」
人事局長はポンタンの名前が書かれた書類をうやうやしく引き出しにしまうと、続いて数枚を束ねた書類を取り出してきた。ポンタンの肩越しにのぞいてみたところ、緻密な文字がびっしりと埋まっている。
「イワン、ねえ、これに何が書いてあるのかちょっと要約して教えてちょうだい」
案の定ポンタンは小さな文字を嫌がって、最初のページを流し読みするとすぐにイワンに振ってきた。イワンが無言のまま「よろしいか」という視線を人事局長に送ってみたところ、人事局長もまた無言で「どうぞ」と手を差し出した。
書類にはずらずらと質問事項がしたためてある。身長、体重、視力、聴力、既往歴、持病、好きな食べもの、足は速いか、昼寝はするか、ぐらいはまだ軍隊と関係がありそうにも思えるのだが、独り言は多いか、海を見て涙を流したことはあるか、獣に神性を感じることがあるか、といった質問は何を探りたいのか見当もつかない。更には、性的嗜好だとか自慰の回数だとかいったかなりきわどい質問まである。配属等を決めるための必要不可欠な手続きなのか、形骸化した慣習なのか、いわゆる娑婆っ気を抜けさせるための通過儀礼なのか判然とせず、人事局長の顔色をちらとうかがってみたが表情を読み取れない。
「イワン、それはどういう質問なの」
「はあ。まあその、入隊する上での心構えというかタンクの適正を調べるというか……」
「ふうん。軍隊っていうのは書類がお好きなのね。あんまりたくさんなようなら、あなたが代わりにやっちゃってよ。私の身長とか視力とか一週間前の夕食だとか、あなたの方がよくおぼえてくれてるでしょ」
「それはまあそうですが……。人事局長、ポンタン様がこのようにおっしゃってますが」
断られるかと思いきや、イワンの意に反して人事局長は「ポンタン様がよろしいというのであれば」とあっさり許可した。
ということはたいして重要な質問でもないのだろうとイワンが書類をおざなりに片づけるべく手をつけようとすると、「しかしポンタン様の身にかかわることですからできる限り正確にお答えください」との注文が飛んできた。何か引っかかるもの感じたイワンはやはり質問の意図を確かめておくことにした。
「ポンタン様の身にかかわる、といいますと? それはもちろん軍隊ですから怪我をすることはあるでしょうし、配属先によって危険度が異なるということも理解できます。ですが、ポンタン様のために僭越ではありますがお尋ねいたしますが、この内容があまりにも個人の生活や気質に踏み込み過ぎたものではないかと疑問を抱きまして――。ごほん、つまりはなかなかに答えにくい質問もあるかと思うのです」
イワンの問いに人事局長は軽いおどろきをおぼえたような表情をした。それから、机に両肘を突き、少し身を乗り出して答えた。
「私は軍隊生活が長いものですから世間と感覚がずれてしまっていたのかもしれません。なるほど、いわれてみればたしかにそういう質問もありそうですな。これは失敬。陛下からのお達しとはいえ、どうかご容赦ください」
「いいのよ」
「ではこの質問自体はさほど深い意味はないと?」
「いや、そういうわけではないのです。よいですかなイワン殿、入隊者の人となりをできうる限り詳しく掌握しておくこと、これは殊更タンクにとっては非常に重要なことなのですぞ」
人事局長は引き出しをごそごそあさくると『実例で学ぶヒーラー事故』と題された冊子を取り出した。
「ポンタン様、イワン殿、おふた方はヒーラーの仕事というものをご存知ですかな」
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