四本目 『アウトラン』 百貨店・屋上ゲームコーナーにて

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※この物語は、おそらくフィクションである。

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「この真夏に、この涼しさ。科学文明万歳としか言えない」


本日の営業先は駅前の百貨店。思いのほかスムーズに商談が成立し、まだ昼前だというのに今日の予定が無くなってしまった。


いや、別に飛び込みで新しい営業先を開拓しても構わない……構わないところではあるのだが……。


……ねえ。


「それにしても、この百貨店というものはあれだな……」


宝石店、ブティック、化粧品コーナー……視界に入る店のことごとくが、お前には関係ないぞというオーラを出している。フロア自体は冷房が効いていて快適なのだが、精神的にはあまり快適とは言えない場所だ。


「現実の宝石より、コラムスの宝石の方が綺麗だと思うがな」


そう感じる時点で私が場違いな客なのは明白だ。私は追い立てられるようにフロア隅へと逃げ込み、ふうと一息ついた。壁に貼られた案内図を見ると、やはりどのフロアも基本的に女性向けのラインナップだ。


「仕方がない。冷房は惜しいが出ていこ……ん?」


私の目に留まったのは、案内図に書かれた「屋上ゲームコーナー」の文字。


極めて、ときめく文字列だ。


私の足が昇り階段へと向いたのは当然と言えた。


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屋上へ上がると同時に、直射日光が両目と身体を焼きつけた。先ほどまで汗ひとつ染みていなかったYシャツがたちまち湿気を帯び始める。こうなるともう、クールビズもクソもない。


「子供の頃は夏が楽しみで仕方なかったもんだがなあ」


屋上は大きく三つのエリアに分かれていた。中央のステージ、その隣の屋外遊具コーナー、そして隅のプレハブ小屋の中に作られたビデオゲームコーナーだ。


……ん? この風景、どこかで見覚えが……。


「あっ!」


そうだ、ここだ。間違いない。


子供の頃、両親に連れられて遊びに来たことがあるぞ。思い出した。あれは一体どこの百貨店なのか長年の謎だったが、そうか、ここだったのか。


「あのステージで観たヒーローショー、なんだったかな。確か宇宙刑事なんとかいう……。よく思い出せんが懐かしいな」


と、赤錆の目立つステージの柱を撫でる。ざらりとした感触。一体、どれだけの子供たちがここで心を躍らせたのだろうか。続いて遊具コーナーへ目をやると、四つん這いになったハンドル付きのクマやパンダたちが綺麗に整列している。平日の昼間では仕方がない事とはいえ、閑古鳥が鳴いているようだ。しかしあの遊具、一体何kgまで乗れるんだろうか。今の私の体重は……。


「いやいやいや。そこまで童心には帰らないぞ」


小さくかぶりを振った私は、改めてお目当てのゲームコーナーへと向かった。


「おお、これはまた……いい年の取り方をしている」


埃のついた擦りガラスに、色とりどりのガムテープを貼り付けて書かれた不揃いな「ゲームコーナー」の文字。そのテープ自体もまた、経年劣化で色を失いかけている。


ぎりりと音を立てながら入口の引き戸を開く。


室内は小学校の教室ほどの広さで、控えめの照明がゲーム筐体から溢れ出る光を強調していた。案の定、中には誰もいない。戸を閉めて外界の音を遮断すると、様々なゲームのデモ画面から流れる電子音だけが絡まり合って耳に届いた。とても、心が安らぐ音だ。


「こんな環境を貸し切りとは、贅沢なことだ」


ビデオゲームはセガのエアロシティで統一されたミディタイプ筐体に、『ぷよぷよ』や『SUPERワールドスタジアム』といった90年代前半のファミリー向け定番タイトルを揃えており、プライズはフィギュアやぬいぐるみ等ではなく、こまやの『カニさんのクレーン』をはじめとした、ラムネや飴玉が景品となったものが多いようだ。


「ん、奥にあるのは大型筐体か」


遠目に見えるのは三台。一台は、モニターにバリバリしたポリゴンが映っている。明らかに『バーチャレーシング』だ。隣にある白いバイクは、おそらく『スーパーハングオン』だろう。一番左にあるのは……。


なんだこれは?


どうやらセガの『アウトラン』のようだが……スタンダード版ともデラックス版とも異なる、透明のドームに包まれた非稼働コクピットタイプだ。もしかしてこれは非常にレア度の高い筐体なのではないか?


「おお……」


開放感のあるゲーム内容とは対照的に、こじんまりとした狭いコクピット。オープンカーのゲームなのに屋根付き。この少しズレた感じ、なんともセガカワイイではないか。


……しかし、見れば見るほど、また何か記憶の奥底が揺さぶられる感じがする。


「親父だ……」


そうだ。思い出した。昔ここへ遊びに連れてきてもらった時、親父がこの筐体でプレイしていたのを後ろから眺めていた……そんな記憶があるぞ。そうか、あれからもう三十年近い月日が流れたのか。きっとこいつは、あれから数えきれないほどのドライバーを乗せてきたのだろうな。


「やるか」


ポケットに手を突っ込んで両替済みの百円硬貨を一枚取り出し、身をかがめて座席へと乗りこんだ。古ぼけたブラウン管に映る景色はすっかりぼやけてしまっているし、ギアもくたびれてユルユルだ。アーケードゲーム……特にこういう大型筐体はメンテナンスが大変だし、そもそも交換するためのパーツがもう手に入らないことも多い。この『アウトラン』の寿命も、きっとそう長くはないのだろう。


「しかしだ」


私はコインシューターに百円硬貨を落とすと、しっかりと画面を見つめてハンドルを握った。聴きなれたクレジット投入SEと共に、眼前に美しい青空が広がった。


「ゲームがあり、プレイヤーがいる。なら、やることは一つだ」


走り出す前のBGM選択。『アウトラン』といえば『MAGICAL SOUND SHOWER』が有名だが、私はいつも『PASSING BREEZE』を選ぶ。この曲が一番「夏」を感じさせてくれる。それも、子供の頃に大好きだった夏を。


「行くぞ」


アクセルを踏み込み、海岸沿いをかっ飛ばす。愛車は老体、ギアガチャは無しの正攻法だ。たちまち迫りくるスプライトの洪水に身体が呑み込まれる。3Dポリゴンのドライブゲームにはない、失われた迫力だ。


「たまらんね。セガカッコイイね」


遠くからセミの声が聞こえる。初めの分岐点に差し掛かる頃には両手が汗でべとべとになり、アクセルを踏み込む度に湿気を帯びたズボンが引っかかった。


ああ、できることなら、Tシャツ半ズボンで思いっきり遊びたいゲームだ。


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「……ふう」


成績は、最終エリア手前でタイムアップ。なんともセガクヤシイ。


額の汗を手で拭きながら座席から降りると……とうに還暦を過ぎているであろう老人が、笑みを浮かべて筐体の傍に立っていた。なんだ? まさか順番待ちか?


「いやあ、上手いもんだねえ」


随分と気さくに話しかけてくる。誰だ?


「あ、いやいや。全然そんなことは。クリアできなかったし……」


「謙遜せんでもええよ。昔やっとったクチじゃろ? だってこのゲーム、ちゃんとコースを覚えとらんかったら、どんなに頑張っても二つ目のエリアを超えられるかどうか、ちゅうとこだから」


「ええ、まあ。……しかし、お詳しいですね」


「そりゃあ、ここで三十年以上も働いとるからねえ。置いてあるゲームにだけは詳しゅうなるさね」


なるほど、ベテラン係員の方か。よく見れば、着ている青いポロシャツの胸ポケットに百貨店名が刺繍してある。


「しかし、こんな真昼間からゲームとは。……サボリかね?」


と、いたずらっぽい笑みで問いかけてきた。


「はは……。懐かしくって、つい」


「懐かしい、かぁ。そうさなあ……」


少し目線を外してそう言う老人の表情は少し寂しげだった。


「来月にここ、閉園になるんだよ」


「えっ」


「お客さんみたいに、たまに懐かしい言うて来てくれる人もおるけど、商売としてやっていくには、たまにじゃなくて毎日来てくれる人がたくさんおらんとあかんのよ」


「…………」


「いや、別にお客さんを責めとるわけじゃないよ。大体、置いてあるゲームも代わり映えしないし、手入れも十分とは言えん状態だし」


不況による予算縮小、少子化による来客数の減少……色々な原因があるのだろう。どうしても逆らえない時代の流れというものは存在する。しかし、分かってはいても、寂しいものだ。


「ま、わしもいい歳だし、ここの最期を看取れるちゅうのはありがたいことかもしれんがね」


老人は、ゲームコーナーに並んだ筐体たちを優しい目で見つめながら言った。


「あの……閉園したらここのゲームたちはどうなるんですか?」


「さあねえ……。一部はどっかのゲームセンターが引き取ってくれるちゅう話もあるみたいだけど、ほとんどは廃棄されちまうんじゃないかねえ」


なんと勿体ない。


……とは思うものの、私にはこれらを引き取る金も場所もない。ああ、今ほどマイケル・ジャクソンの気持ちが理解できたことはない。


「ほんじゃま、楽しんでってちょうだいな。……サボリはほどほどにな、ひひっ」


そう言い残して、老人は奥の事務所へ帰って行った。


私は改めて、三十年以上ここで働き続けてきたゲームたちを見渡した。


「……よし。もう一回やるか」


ポケットの中には、まだまだ小銭が入っていた。


ここが閉園するまでに、アウトランをクリアしよう。

そう誓う夏の日だった。


-おわり-

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