二本目 『山のぼりゲーム』 銭湯・富士の湯にて

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※この物語は、おそらくフィクションである。

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暑い。


その言葉を口にすると気温が一度上昇するような気がしたので、黙って歩き続けることにした。まったく、冷房ぐらい入れてくれてもいいじゃないか……と、節電大好きな午後イチの営業先に対して心の中で愚痴をぶつけた。


日光照り付ける真夏の外回り。ゆらめく景色と、焼けるアスファルトの匂い。体内から湧き水の如く溢れ出す汗で、Yシャツはおろか下着までぐっしょりだ。


「はあ……」


憎らしげに頭上の太陽を見上げると、その脇を大きな旅客機がゆっくりとかすめていくのが見えた。ああ、『スカイキッド』なら、そこで宙返りをすればたちまち涼しい夜が訪れるだろうに……等とくだらない妄想をしてしまうあたり、そろそろ意識が朦朧とし始めているようだ。


「とにかく、まずは水分だ……」


見回すと、すぐ左手の道路脇に自動販売機。


助かった。足早に近寄り、ちゃりちゃりと小銭を投入する。

ダイドーの自販機か。少しマイナーだな。


「こういう時は、炭酸飲料で喉を苛めたいもんだ」


と、いかにも炭酸のキツそうなサイダーを選ぶ。ゴトンと鈍い音を立て、水滴を湛えた緑色の缶が舞い降りた。かがんでそれを取り出そうとした時、ダイドー自販機ならではのポイントカード投入口が見えた。


そういえば昔、ポイントを貯めてスーパーマリオのポットをもらったことがあったな。缶ジュース200本分のポイント、我ながらよく貯めたものだ。


もっとも、ポットの蓋が緩くてよく中身をこぼしてしまっていたが。


「……ふう」


喉は潤った。

しかし、こうなると殊更にびしょ濡れになった衣服と身体の方が気になってくる。


「弱ったな……こんな格好じゃあ次の営業先には行けないぞ」


その時、ふと電柱に貼られた古めかしい広告が目に入った。


「ここから100メートル先『富士の湯』…………銭湯か」


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「ここだな」


雲一つない青空に真っ直ぐ伸びた灰色の煙突。入口にかかった色褪せた「富士の湯」の暖簾が、老舗の風情を醸し出している。がらりと男湯の戸を開けると、番台の爺さんと目が合った。


「大人ひとり」


「へい、460円ね」


意外と高いな。今日は別途タオルも購入せねばならんし……。これも時代か。またも小銭入れからじゃらりと硬貨を取り出し、番台の上に置いた。


「まるで貸し切りだな」


ざっと見たところ、脱衣所には誰もいない。まあ、中には誰か入っているのかもしれないが。とにかく汗が気持ち悪かったので、そそくさと衣服を竹製のザルに放り込み、タオル片手に湯煙の向こう側へ歩みを進めた。


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「はああ……」


一番大きな湯船にゆっくりと身体を肩まで沈めると、自然にそんな声が出た。天井の窓から日光の差し込む、誰もいない静かな風呂場にその声が広がって反響した。これだけゆったりと湯を楽しめるなら、あの入浴料もそれほど高くは感じない。


「ゴエモンか、はたまた、くにおくんか……」


銭湯といえば昔からゲームキャラクターにとって体力回復の名所である。こうして湯に浸かっていると、体中からじわりと疲れが抜けていく感じがして……こりゃあ体力が回復するのも頷けるというものだ。


時に、個人的な好みを言わせてもらえば、ゲーム湯の中では『MOTHER3』の温泉が好きだ。具体的に言うと、最低五秒間は浸かっていないと体力が回復しないという、風呂の本質を突いたこだわりが好きだ。


……それにしても、だ。


「『富士の湯』だから、恐らくそうなのだろうとは思っていたが」


水音を立てながら湯船の中で振り向き、壁のタイルに描かれた大きな富士山のペンキ絵を見ながら呟いた。


ううむ、やはり銭湯には富士山なのだろうか。


ここは思い切って『グラディウス』の火山でもよいのではないだろうか。あれもちょっとした赤富士のようなものだし、ちょうどタイルもドット絵のように見える。……いや、ここは敢えて逆火山というのも風情があるのではないか。


ううむ、迷うぞ……。


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「……のぼせるところだった」


風呂上りのコーヒー牛乳を一気に飲み干し、空になったビンを回収カゴに放り込んで呟いた。風呂に入ると、つい色んな妄想や考え事に耽ってしまう。


「スーツ……は、まだ着る気にはなれんな」


肌着とトランクスだけの格好で、天井近くに設置された扇風機の下へ移動する。もう少し身体の水分を飛ばしてから服を着よう。……と、その時、脱衣所の奥に気になる立札を見つけた。


「『ゲームコーナー』……銭湯に?」


風呂場とは逆方向だったので、入ってきた時には気付かなかった。一体、何のゲームが置いてあるというのか。……気付くと、夜の蛍光灯に吸い寄せられる蛾の如く、ふらふらと足がそちらに向かっていた。


「なるほど、レジャック(コナミ)の『ピカデリーサーカス』と、こまやの『山のぼりゲーム』……エレメカの定番を揃えてきたか」


壁沿いに二台。これなら場所もそう広くとらない。上手く考えられている。どちらも一回10円という、かなり良心的な値段設定だ。先ほどのコーヒー牛乳のお釣りを握りしめる。


「ここはやはり、運ではなくプレイヤーの腕前が問われる『山のぼりゲーム』だな」


筐体右下のコインシューターに10円玉を投入する……と同時に60秒のカウントダウンが始まる。これがゼロになる前に頂上にたどり着ければクリアーだ。現在位置は電球の点灯で示され、ボタンを押す度に点灯する電球が前へ前へと切り替わることで前進を表している。ゲーム&ウォッチに近い表現方法だ。


「まずは6! 次は5!」


一度にボタンを押す回数を口に出しながら歩みを進めていく。


何故こんなことをするのか。


頂上までの道のりには、一定時間ごとに折れる木の橋や蛇、落石、雷といった恐るべき障害が立ちはだかっており、これらの被害を受ける「危険な場所」は素早く通り抜けなければならない。


となれば、安全な場所から安全な場所へ、いかに時間をかけずに移動するかが重要な攻略ポイントとなってくる。つまり、安全地帯同士を結ぶ電球の数だけ一度にボタンを連打すればいいのだ。しかし、よりによって何故こんな危険な山に登ろうというのか。


……それは。


「そこに山と景品があるからだ」


最後の雷地帯を突破するため、ボタンを二連打する……が、ギリギリのところで落雷が命中。スタート地点へと戻されてしまった。残り時間はあとわずか。とても頂上へ辿り着くことはできない。無念だが、今回のプレイはここまでだ。


「よし、もう一度だ」


続けて10円玉を取り出した時、ふと背後に視線を感じた。振り返ると、番台の爺さんが座ったまま、にやけた顔でこちらを見ている。


「おっほっほ。うちのゲームは難しいからねえ」


なるほど、難易度設定を変えてあるというわけか。道理で落雷の速度が異様に早いわけだ。だがこのゲーム、決してクリアーできないものではない。再チャレンジだ。


「……くっ」


またしても、最後の落雷を食らってしまった。


「うちのゲームは難しいよお」


不意に後ろから声をかけられ、何事かと振り向けば……いよいよ番台の爺さんがすぐ後ろまで観覧にやって来ていた。今時ゲームの難しさをアピールするとは、タイトーのファミコンソフトのCMでもあるまいに。というか、その着ているTシャツはなんだ。でっかく『山のぼりゲーム』の筐体がイラストになって描かれているではないか。どれだけ山のぼりゲームに思い入れがあるというのだ。


「もう一度やる」


最高難度の落雷が人間の反応速度で対応できない以上、これはもはや運の勝負だ。つまり、運がよければクリアーできるはずなのだ。さっきの「プレイヤーの腕前が問われる」という自身の評と矛盾している気もしたが、今はクリアーできればそれでいいのだ。


「……またか」


落雷、そしてタイムアップ。


「へたくそじゃなぁ。そもそも、そんな軽装で山に挑もうっちゅうのが舐めとるんじゃわ」


確かに肌着とトランクスは軽装かもしれないが、まったく関係が無い。しかも、へたくそ呼ばわりときたか。少しはオブラートに包んだコメントが欲しいものだ。


「今度こそ……」


再プレイ……落雷地帯の直前。祈りながらボタンを……二連打!


「抜けた!」


7プレイ目にして、ようやく登頂に成功。振り返ると、爺さんが何故か悔しそうな顔でこちらを睨みつけていた。勝った。私は勝ち誇った顔で爺さんに言ってやった。


「スリリングで、なかなか悪くない難易度設定でしたよ。……ところでそのTシャツ、どこで売ってるんですか?」


「……amazon」


帰ったら、さっそく検索してみるとしよう。


そして筐体下部の景品取り出し口から出てきたのは、オブラートに包まれたボンタンアメだった。


-おわり-

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