ぶらり、ゲームびより

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

一本目 『ストリートファイターⅡ』 雨宿りの喫茶店にて

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※この物語は、おそらくフィクションである。

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「それでは、詳細が決まりましたら後日改めてご連絡させていただきます。本日はどうもありがとうございました」


と、頭を下げた私を、いつも低姿勢な呉服屋の主人はにこやかに送り出した。


「うーん……微妙な時間だな」


無事に今日のノルマを達成した私は、左腕に光る安物の腕時計を見て呟いた。もう一件営業に回るには時間が足りないが、本社に戻るにはちょっと早い。どうしたものか……と商店街の中心で悩む私の頬に冷たいものが当たった。その雨粒はたちまち群れをなし、瞬く間にアスファルトを深い色に塗りつぶしていく。私は慌てて近場の店の軒下に身を隠した。ううむ、スーツの両肩がびっしょりだ。


「弱ったな、今日は傘を持ってきていないぞ」


今朝、出かける前にテレビで確認した天気予報によれば、恐らくこれは通り雨だろう。


「仕方がない、雨が止むまでどこかに入って時間を潰そう」


近くに手ごろな店が無いかと見回すと、ちょうど雨宿りをしている店の窓ガラスに「喫茶ニシモト」の白い文字が確認できた。こりゃ、ちょうどいい。


「いらっしゃいませぇ」


飾り気のない無骨なデザインのドアを押し開くと、真鍮製のドアベルのカラコロという小気味よい音に被さるように、ぽっちゃりとした女主人の挨拶が私を出迎えた。訛っているな。関西の出身か。


「あらぁ、お客さんえらい濡れてしもて……。急に降ってきたからねぇ。あ、そこの窓際の席、どうぞ」


そう指さされたテーブルを見て、私の心拍数はたちまち高まった。雨雲に日光を遮られた暗い店内にぼんやりと浮かぶ、テーブルから発せられる淡い光。私は足早にそれに近づくと、子供のように目を輝かせて真上から覗き込んだ。そこに映るは、高層ビルをバックにたくさんのギャラリーに囲まれて殴り合いをする男たち……。


ああ、これこそはカプコンの大ヒット格闘ゲーム、元祖『ストリートファイターⅡ』だ。今時テーブル筐体とは珍しい。


「お客さん、ご注文は? あ、それは一回百円やからね」


振り返ると、女主人が獲物を見つけた猛獣の視線をこちらに向けていた。なるほど、この席に案内することで、あわよくば飲食代とゲーム代の両方をせしめようという上方商人のがめつさか。


「じゃあ、アイスコーヒーを」


椅子に座った私は即決で注文を済ませると、ポケットから小銭入れを取り出し、中から一枚の百円硬貨をつまみ出した。


「……よっ」


腰をかがめてコインシューターにそれを放り込むと、聞き慣れたクレジット投入音が耳に届いた。いいぞ、音量もそこそこだ。見たところ、今この店の客は私一人のようだし、これなら気兼ねせずストリートファイトに興じられるというものだ。


「さて、今日の気分は……」


ずらり並んだ八人のストリートファイターたちの中から使用するキャラクターを選ぶ。今思えば少ない選択肢だが、当時は八人分の必殺技コマンドを覚えるだけでも一苦労だったものだ。


「その金髪の兄ちゃん、イケメンやからワタシ好っきゃわぁ」


その声に顔を上げると、アイスコーヒーの乗ったトレイを片手に先ほどの女主人が目の前に立っており、もう片方の手で画面に映る「ケン」を指さしていた。


ケンを使えということか?


いやしかし、初代ストⅡ時代のケンは果たしてイケメンだろうか。眉毛も太いし、顔もかなりいかついぞ。……いや、この人の好みについてとやかく言っても仕方がないのだが……。


そんなことを考えているうちに迫るタイムカウント。女主人の期待に満ちたまなざし。結局、私が見えない圧力に負けてケンを選ぶと。


「ありがと!」


アイスコーヒーをプレイの邪魔にならぬようテーブルの隅に置くと、それだけを告げて女主人はカウンターへと帰って行った。


一方、ゲームの方は早くも一戦目が始まっていた。相手はエドモンド本田。なぜか銭湯で戦う、なぜか隈取をした、なぜか頭突きで空を飛んでくるスモウレスラーだ。大人になった今でこそ堂々と言うが、私はこの「なんちゃってニッポン」感がたまらなく好きだ。


”波動拳!”


”波動拳!”


外の雨音に交じって、薄暗い店内にくぐもった声の「波動拳!」が繰り返し響く。本田と戦う時は、飛び道具でジャンプを誘い、それを強足払いを中心とした対空技で迎撃するのが攻略のコツ。時折、相手が遠距離で空振りする足払いはスーパー頭突きの前兆で……そんな、昔とった杵柄で一戦目を難なく突破した。


いいぞ、今日はよく指が動く。なかなかの調子だ。


「来たぞ、四天王だ」


ケンを除く七人全員を倒したところで、画面に新たな三人の挑戦者が現れた。こいつらに勝つと現れる最終ボス、ベガを倒せばエンディングだ。まず一人目のM・バイソンを竜巻旋風脚を中心とした攻めで粉砕。続いて仮面を付けたスペインの闘士、バルログとの対戦だ。


「お、張り付いたな」


バルログ特有の金網に張り付く動作……これは必殺技、フライングバルセロナアタックの構えである。何故バルセロナなのか。ストⅡが発売された翌年の1992年にバルセロナ五輪が開催されたからに他ならない。ところで、このバルログがガニ股で金網によじ登る姿を見る度に、私は彼が二枚目キャラクターであるという設定を忘れているのではないかと不安になってしまう。そういえば昔、バルログの勝負に負けた後の顔が「志村けん」と「ダウンタウンの松ちゃん」のどちらに似ているかという不毛な論争を友人としたような気がするな。あと、『ストライダー飛竜』の空中戦艦バルログとは何か関係があるのかな。


……そんなどうでもいいことを考えていると、ヒョオという甲高い声と共にバルログが金網から飛び立った。よし、タイミングを合わせて昇龍拳で迎撃を……。


「……っ!」


不意に目が眩んだ。昇龍拳を出し損ねた私のケンは、フライングバルセロナアタックによって倒されてしまった。窓の外へ目をやると、雨はいつの間にか止み、ガラスの向こうから眩しい西日が射していた。


「まいったな。カーテンは……?」


本来あるべきカーテンが、この窓には付いていなかった。あるべき……というのは、窓の上部にはきちんとカーテンレールが敷かれていたからだ。


「あー、ごめんなぁ。今そこのカーテン洗濯中やねんわ」


あたふたする私を見つけて、女主人がカウンターから声をかけた。ううむ、ツイていない。目を細めてゲームを続行しようとするが、西日は見事にテーブル筐体にも降り注いでおり、その効果は薄い。どうする。このままではエンディングに辿り着けないぞ。


「あの、日除けありませんか? こう、画面を隠すダンボールの囲いというか……」


一応、ダメもとでリクエストは出してみるが、やはり女主人は首をかしげている。まあ、ゲームセンターではないのだから、それは当然の反応だろう。ゲームは私の都合などお構いなしに、バルログ第二戦が始まってしまっている。うっすらと見える映像に全神経を集中させていると……突然、視界が開けた。それにより、かろうじて勝利を収めることができた私が顔を上げると、そこには日差しを遮り筐体の前に仁王立ちする女主人の姿があった。


「お客さん、上手いもんやなぁ。ワタシがここ立っといたるから、最後まで行ってえや」


突然のことに少し気圧されながら、私は無言で頷いた。


「ほら、今や! そこ! はよ!」


やたらに大きい外野の声を物ともせず、私の操るケンはバルログ、サガットを倒し、ついにベガを追い詰めた。相手の必殺技、サイコクラッシャーアタックの予備動作が見えた。それに合わせて、素早くコマンドを入力する。


”昇龍拳!”


襲い来るベガを無敵の昇龍拳が見事に迎撃、ついに最後の敵を打ち倒すことに成功した。


「いやあ! ほんまにやっつけやったわ! すごいなあ、お客さん!」


「あ……いや、どうも」


クリアした私よりも、女主人の方が興奮している。


「ワタシ、終わりまで観るの初めてやわあ」


彼女は身を乗り出してエンディングを見つめている。優勝したケンの元へ、フィアンセのイライザが走り寄ってくる。


それを見た途端、女主人は急に冷めた表情になった。


「なんや、えらいブッサイクやなあ」


そう言うと、彼女はまたカウンターへと帰って行った。


画面がまた見えなくなった。


私はテーブルの隅からコーヒーを手繰り寄せ、口に入れた。すっかり氷が溶けてしまって、かなりの薄味になっている。


「ケンだけにアメリカン、か……」


私のジョークはご覧の有様だったが、画面の見えない筐体から流れてくるエンディングテーマ『Ready to Fight!!』は、戦いを終えた戦士の心に沁みる名曲だった。


窓の外には、雨上がりの夕焼けをキャンバスに、鮮やかな虹が弧を描いていた。


-おわり-

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