epilogue / 空白



「あのさ、山本さん。今からバス停? なんなら一緒に行かない?」


 ガタン。ドアが閉じる音が部屋いっぱいに鳴り響く。もうここには誰もいない。彼も彼女も。そして私も。

 行ってしまった。彼は、その名の通りをもって、眺めるだけの存在だった彼女に話しかけた。

 彼女=山本和佳やまもとのどか。私であり彼女ではない私。

 私は、彼であり、彼女の代わりの存在で、ただの偽物だ。

 

「思った通り」


 やはり、彼は私から離れていった。彼がノートを忘れて行った時からその予感はあった。なんならずっと以前から予兆はあったのだ。

 だって、私は彼の一部だもの。彼は気づいていなくても、私が気づく。

 彼は自らの気持ちを私を通して昇華して、私を消化した。今はただの幽霊にも似た残留思念とでも言えばいいかしら。

 ちょっとしたホラーよね。

 彼は自分の気持ちと向き合って、問題を解決した。とある本の言葉を借りるなら、


「君が一人で勝手に助かるだけだよ、おじょうちゃん」


 と言ったところだ。私は手を貸しただけ。それが彼の望みだったから。

 けれど、私はどうだろう。今、こうやって思念だけがこの部屋にまだ残っている。私は彼であり、彼女でもあるが同時に私でもあった。

 私は彼が好きだった。私は彼に描かれた彼女を模した彼もうひとりのじぶんでしかないけれど、それでも想いはあった。

 この気持ちは本物だと信じたい。

 彼は私だから、彼に言った言葉は全て私にも返ってくる。


「怖いの?」


 うん、怖かった。離れられるのが。


「言い訳じゃん」


 うん、わかってる。


「逃げてばっかり。卑怯だよね、ほんと」


 ……。


「言わなきゃ始まんないよ」


 言えなかった。終わるのがわかっていたから。


「あの、俺さ」と彼が私に話しかけようとしてくれた時、私は逃げたのだ。

 彼から。彼の気持ちから。

 怖かったから。逃げてばかりで卑怯なのは私。だから、ここにいるのだと理解している。後悔の念しかないのは確かだ。

 今にもなみだが出そう。

 なんだろう。目頭が熱くなり、先ほどから視界がぼやけるのだ。

 目を擦ると生暖かい液体が指につく。


「これが……なみだ?」


 私は泣くということをしらない。それは描かれたことがなかったから。

 けれど、理解する。これが涙なのだと。ノートから解放された私は、一人の存在としてここに在る。私はこの気持ちを涙だけで消化したくない。決めた。


「ほらシャキっとしなって」


 シャキッとするのは私の方だ。

 私はもうしばらくここにいる。

 そして、伝える。


「ありがとう」と。


 機会があればの話だけれど、ノートもうそうの産物である残留思念わたしが有りなのだ。この様子だと講義中の居眠りの間に夢の中に入り込むことくらいまでは有りにしてくれ、神様。

 こんな形だったけれど、私は恋をすることができた。

 悔しい気持ちがもちろんない訳ではない。

 和佳さんのことが憎い気持ちも少なからずある。

 けれど、私は所詮、妄想の産物だ。

 どう足掻いたって叶わないのはわかっている。

 早いとこ、ここから成仏しなければ呪縛霊になりそうだし、その内、除霊士が現れて否が応にも強制退去させられそうである。そんなことされるくらいなら、自ら幕を閉じたい。

 彼の言葉を借りる訳ではないが、

 



 ──未来は不安に満ちているが、兎にも角にも「言わなきゃ始まんない」と言ったかれの言葉を信じようと思う。

 


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