幸せの価値

18782代目変体マオウ

第1話


「お前は罪の自覚があるのか!」


 制服姿の少女は数人の男子生徒に怒鳴られていた。彼女はなぜ怒られているのか理解できなかった。

 今日も今日とてつまらない毎日の繰り返しだと思っていた。そんな彼女の朝の登校。門の所で何故か呼び止められて、何故か今に至る。

 晴れ渡るいい天気だ。その青空の下怒鳴られているなんて、間違いだとしか思えなかった。今も名指しで怒鳴られているが、どこか現実感の無いように思えた。

「聞いているのか!」

 現実逃避もできず、怒鳴り声で無理矢理意識を引き戻される。

 彼女は無表情のまま、無言で応えた。彼女は瞳は吊り上っており、数人の男子生徒に囲まれていながらも威圧を損なわずにいた。


 男子生徒数人たちは、そんな彼女にも臆さない。何せ、彼女は一人である。群れるというのはそれだけで優位に立てるのだ。

 男子生徒たちは彼女の無言の視線を気にすることなく、ある女子生徒に対して行ったであろう事で、延々と責め続けているのだ。


 一方。内心、彼女はパニックに陥っていた。彼女は何一つ覚えがなかったからだ。今目の前にいる女子生徒のこともわからないし、男子の数人にも覚えがなかった。言われる覚えが本当にないのだ。しかし、男子生徒が言ったことをしなかったといえば、彼女自身は断言することもできなかった。


 というのも。彼女は時折、都合よく記憶を消す癖があった。王子にふさわしい許嫁になるべく、親族からの圧力がよくかかっていた。都合の良い記憶喪失、完全なポーカーフェイスなどは、彼女の防衛機制であった。


 しかも彼女ときたら、ことさら心が強くできていなかった。このように男子生徒数人に威圧的に囲まれてしまえば、あっけなく折れてしまうのだ。

 彼女は今の状況が怖くて、次第に罪を認めるかどうかなどどうでもいいように思えた。とにかく責められるのが申し訳なくて、一時間ほど責め立てられただけで彼女が謝ることになったのだ。



 そのまま彼女は授業を受けることなく帰宅することになった。学校にまで来た親たちにまでひたすら責め立てられたが、もう忘れることにした。

 彼女は勘当され、強制的に退学させられ、辺境の地に追いやられてしまった。


「あれ? これってもしかして、喜ぶべきこと?」

 彼女の心が落ち着き、自分を客観視できるようになった頃。彼女は呟いた。

 狭苦しい部屋。何一つ飾り気のない部屋だ。鼻につく香水の匂いは無く、微かに藁のにおいが残る。日の入りと共に眠り、日の出とともに起きる毎日。習い事もなく、自由に眠りにつけ、料理や趣味も楽しめる。百メートル先のお隣の人も優しく、農耕について無知な彼女に手取り足取り教えてくれた。


 彼女は防衛機制もできず、日増しに腑抜けていることを自覚していた。小さなことにも無邪気に笑ってしまうし、感情を抑えることもしなくなってしまった。だというのに、この村人たちは嫌な顔をしない。そういうこともあり、彼女の腑抜けを助長させるのだ。


 彼女はクズな奴になるが、もうこのままでもいいやと開き直ってしまう。もう救いようがないほどだ。


「あら! うまい事言って!」

 彼女は慎みも失い、若い男性の前で声を上げて笑っていた。

 彼女が人並みに恋をし、ボーイフレンドを作り、愛を育むようになるにも時間はかからなかった。



 ある時。彼女の元婚約者が彼女を探すこととなった。事情などどうでもいい。己の若かりし行いを悔いたのかもしれないし、今の婚約者に裏切られたからなのかもしれない。とにかく、王子だった男は彼女に会うのだ。今や王となる者。お忍びである。姿も小奇麗で、商人のような姿だった。


 王が彼女を追いやった村に入った。しかし、そこで早速彼女を見つけたのだ。 


「ミレイユ!」


 王は駆けつけた。幼少からの彼女の姿が思い出される。風貌は多少変わってしまっていたが、面影は間違いなく彼女のままである。向こうもこちらに気が付いた。「ああ。なんて声を掛けようか」「どう詫びようか」なんて駆け寄りながら王は思いはせた。


 しかしそれに立ちふさがる男が居た。汚い男であった。煤にまみれ、衣服も黒かった。

 せっかくの感動の再開に邪魔を、と思っていたが、王が口に出すより汚い男が言った。

「私の妻に何か?」

「つ、妻?」

「ミレイユ。知り合いか?」汚い男が言った。彼女に対して。

 王は憤慨しそうになったが、それよりショックなことに、彼女は困ったような表情で首を振っていた。

「人違いでは?」と。

「人違いなもんか!」煤にまみれている男がはじけたように彼女に言う。「自身の見てくれをわかって言ってくれ! 君は美人なんだよ! 君を目的に何人の男が寄り付くか! ナンパに決まってる!」

「気持ち悪いわよ。ほめても何もあげないんだけど。もしかして何か隠し事?」

「……ごめん。金を使い込んでしまった」

「しょうがない。パパのご飯はへしちゃいましょう。ねえアレクサンダー」

 彼女は子供を抱えていた。「ママの手料理ができてまちゅよ」などと二人で言いながらその場を離れようとした。

「待ってくれ! 人違いではない! ミレイユ!」

 二人が同時に足を止めた。まだ何か?とでも言いたげだった。

 王は必死に説明した。

 そこで彼女はようやく、目の前にいる男を誰なのか理解した。

「ごめんなさいあなた。先に帰っていて」

 彼女の瞳は、いつかの無表情になっていた。もはや忘れてしまっていたとばかり思っていたが、体は覚えているのだ。

「貴方と子供には見せたくないです。お願いします。おねがい」


 彼女は煤まみれの男が見えなくなるまで視線を向けていた。しかし、見えなくなった途端、彼女は素早く動いた。

「申し訳ありません!」

 土下座であった。叫ぶように彼女は続けた。

「あの時の事、深く反省しております! あの時のことをお許しください! 夫と子供には関係がありません! 私ごときでことが済むのでしたら、ご自由にしてください!」

「な、何を……」

 地べたはぬかるんでおり、ほとんど泥であった。それでも構わずに彼女は土下座を続ける。もはや押し付けている状態だ。

 そんな姿にあっけにとられてしまった王。

 彼女の叫びのような声に驚いてか、近くに居た老いた男性が駆け寄った。

「ちょっと、ミレイユさんが何なされたぞ! 商人様とて許しませんぞ!」

「やめておじさん! この人に逆らわないで! お願い!」

 すがるように老人をいさめたかと思えば、再び彼女はぬかるんだ地べたに額をこすりつけ、また謝罪の言葉を続けた。


「顔をあげてくれ! ミレイユ!」

 彼女が顔を上げた。王と彼女の目が合った。いつかの吊り上った無感情な瞳ではなく、不安の感情がこもり過ぎた瞳であった。一瞬、吸い込まれそうな瞳に見とれた。本当に一瞬だ。

「うああああああああああ!!!」

 その瞬間の不意をつき、彼女が奇声をあげて、ナイフを振りかぶっていた。護衛が反応したが、彼女の行動は意味が違った。

 自らの首を刺したのだった。



 四、後日談


 相当お怒りになっている村の唯一の医者。

「皮膚を軽く切っただけさ。あんたはちょっと切れた自分の血をみて失神したわけ。どれだけの人があんたの早合点で迷惑をかけたか。しかも馬鹿夫婦ののろけを見せられて怒らない方がおかしい!」


 彼女の旦那が慌てるのも仕方がなかった。愛する妻が首を切って意識を手放したのだから。

「どうしてこんな馬鹿なことをしたんだ!」煤まみれの男が彼女に強く言い放った。

「だって、だって」ボロボロと泣きながら彼女が言う。「私のせいで愛している人が不幸がふりかかるなんて耐えられないもの! 不幸な目に合わせたくなかった! 私が死ねば、そこで終わると思ったの!」

「俺のプロポーズの言葉忘れたのか! たとえどんな運命でも、欠点も含めて、君の全てを愛しているって!」

「なんだよこの茶番。そのまま死ねよ馬鹿夫婦」

 口が悪い医者が何とも言えない。


 結局、彼女の発端となった事件が誤解だったと発覚していたこと。それを詫びるために来たこと。そういった説明を受けたのだった。

 彼女は「私たちは幸せだから。むしろこの幸せを誰かに分け与えたいくらい」などと言って、王からの賠償も一切受け取ることなく、家に戻ることもなく、一生を終えるのだった。

 彼女の旦那は煙突掃除の仕事をしており、毎日すすにまみれた汚い男であった。


 彼女が王からの賠償を受けるなり、家に戻ることを選んでさえいれば、幸せな日々を暮らせるというものを。彼女は自らその幸せを蹴ったのだ。


 もはや彼女は幸せの判断ができずにいたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せの価値 18782代目変体マオウ @18782daimehentaimaou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ