最後の約束
“アレシア”というもう一つの名を持った少女、アシュレイ。
彼女はこの日を一度も忘れたことはない。
幸せを一生失うことになる、あの日のことを。
天使が消えた――それが、全ての元凶。
アシュレイは、この日を最後に幸せを失い、そして“家族”を失った――。
その日、アレシアはいつも通り街に買い物に出ていた。
だが街は普段と違い、いつも聞こえる美しい笛の音もなければ、人々を魅了していた歌声もない。
街中に溢れていたはずの幸せな笑顔を見ることもなく、アレシアは違和感を持つ。
街に出ている人は明らかにその数を減らし、家々はまるで隠れるように窓のカーテンをしめきっていた。
店を開いてるところも少なく、アレシアは数少ない店の中で買出しを済ませる。
「今日はやけに静かなんですね」
店番をしていた女にアレシアは話しかけた。
「おや、……あんた、知らないのかい?」
その言葉に首をかしげるアレシア。
女はそんなアレシアに、声を潜めながら伝える。
――惨劇の始まりを。
「――この国に、闇が潜んでるんだって。今日一人、捕まったらしいよ」
「え――?」
アレシアは、目の前が真っ暗になったかのような錯覚に陥った。
溢れてくる感情を表すかの如く、買い物の袋を抱える手が小刻みに震え出す。
幼くとも、存在を知られた闇の者の行く末は知っている。
待つのは、――【死】のみ。
「今回捕まったのはお仲間さんのほうらしくてね、闇のヤツ自体は捕まってないんだとさ。夕方……日が沈む頃に、捕まったやつの処刑があるんだ。みんな恐ろしくて――……」
アレシアの耳に女の言葉はそれ以上入ってこなかった。
それ以上聞けるほどの余裕が、まだ幼い彼女にあるはずがない。
――幸せの崩壊がもうすぐそこまで来ていることに、気付いたのだから。
「――あっ、ちょっと……?!」
アレシアは店を出て、家族が待つ家へ走り出す。
手に持っていたはずの袋は、走り出す直前にその手を離れ地面に落ちた。
――伝えなければ。
心臓が警鐘の如く、激しくそして大きく体中に音を響かせる。
恐怖と焦りが入り混じったその感情が、アレシアの頭に見たくない血に塗れた未来を想像させた。
(早く、……もっと、早く……!!)
急ぐあまりその感情に追いつくことのできなかった足がもつれ、走っていた勢いのままアレシアの体は前へと転んでしまう。
起き上がった彼女の体についた傷からは血が滲んでいたが、その痛みに構ってなどいられない。
アレシアは痛みをこらえるように唇を噛み締め、再び家へと足を急がせた――――。
――家のドアを勢いよく開け帰ってきたアレシアを、フィリスとアドルフが驚きに目を見開きながらも迎える。
「どうしたのアレシア、その格好……」
傷だらけのアレシアにフィリスは駆け寄った。
「――何か、あったのか?」
彼女の様子に、ただ事ではない何かが起きていることを悟ったアドルフが、アレシアに問いかける。
すると、息をきらしながら、彼女はアドルフたちに伝えた。
「――く、――なきゃ」
「え?」
「――早く逃げなきゃ!! 捕まっちゃう……!!」
アレシアの言葉に二人は顔を見合わせる。
「それは、“闇”の存在がバレた――ということか……?」
アドルフの問いにアレシアは息を整えながら、首を縦に振ることで答えた。
「とりあえず落ち着いて。落ち着いて、ゆっくり、私達に教えて」
フィリスがアレシアの背を撫でながら言う。
息が徐々に安定してきたアレシアは、少しずつ自分が聞いてきたことを二人に伝えた。
「…………」
二人は何も言わなかった。
まるで予想していたかのように、ただ、一つ息を吐く。
「なに、何かあったの」
その時、騒ぎを聞きつけたらしいリヒトが、そう言って玄関に顔を出した。
一度深呼吸をして、アドルフが言った。
「……どうやら、“闇”の存在がバレてしまったらしい」
「は……?」
信じたくない“それ”が本当かどうかは、目の前にいるアレシアの様子でわかった。
「……どうすんだ、これから」
リヒトの呟きに、アドルフは考え込むかのように目を閉じ、フィリスは俯く。
……少しの沈黙のあと、アドルフは答えた。
「……このまま、ここにいよう」
「っ――!?」
アレシアはバッと顔をあげアドルフを見た。
思わず自分の耳を疑う。
「なに、言ってるの……? 逃げるん、でしょ? だって、このままここにいたら、……捕まっちゃうもんね?」
震える声で、アレシアは言った。
「もう私達に、逃げ場なんてないわ」
アレシアの肩を抱くフィリスが言った。
「こんな時に、冗談、言わないで……。逃げなきゃ、死んじゃうんだよ……?」
「冗談なんかじゃねぇよ」
リヒトが諦めたような笑みを口元に浮かべながら言う。
「ここは、俺らにとって最後の逃げ場だったんだ。ずっと逃げて回ってきた俺たちにとっちゃ、今まで何の音沙汰無く、“普通に”過ごせた事自体が奇跡みてぇなもんなんだよ。……この場所も安全じゃないなら、もう俺たち“闇”は、――――」
最後の言葉を、リヒトは言わなかった。
……口に出したくなかったのだろう。
その言葉は自分たちの存在意義を否定し、消し去るものだったのだから。
彼の目は髪に隠されている。
その目は、どこを見つめているのか。
夢にまで見た、今日までの笑顔溢れる幸せな光景か――。
それとも、未来に待ち受ける、絶望か――――。
「アレシア」
アドルフの呼びかけにアレシアは反応し、彼の目を見る。
「お前はすぐにここを出て逃げなさい。お前だけなら助かる」
「っ……?!」
アレシアは即座に首を横に振った。
そして駄々っ子のように、目に涙を滲ませながらアレシアは言う。
「やだ……、そんなことしない……! したくないよ……」
それはもう願望に近かった。
溢れた涙によって、服が濡れていく。
「前は私達があなたに助けてもらったんだから、今度は私達があなたを助ける番よ」
フィリスが優しい声音でそう言いながら、アレシアの頭を撫でた。
「なぁ、アレシア。これは私達からのお願いでもあるんだ。……お前だけでも、生き残ってほしいんだよ。私達がいたことを覚えている人がいる――それだけでも、私達の心は救われるから」
アドルフの顔は悲しげに歪んでいる。
だがその口元は笑みを浮かべていた。
その顔にアレシアの心は軋むように痛みだす。
フィリスに目を向ければ、彼女もまた、苦しげに顔を歪めながらも笑みを浮かべていた。
――“アレシア”。
その名を呼ぶ愛おしき者達。
本人がすべき事は唯一つ。
「
絶対に死なない、約束するから――。
――だから、最後のその時まで、一緒にいさせて」
愛すべき彼らのためにできること。
【例え、“独り”になったとしても、生き延びて、彼らの意思を繋ぐこと】である。
それは最後の約束。
血と涙に濡れた、残酷な約束――。
そして。
――その日の夕方。
捕まった闇の仲間である一人が、処刑される
処刑場では、十字架に繋がれた【
この日。惨劇の幕は開かれ、序章が物語を紡ぎ始めた。
アレシアはその物語を目の当たりにすることになる――――。
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