最後の約束

“アレシア”というもう一つの名を持った少女、アシュレイ。

彼女はこの日を一度も忘れたことはない。

幸せを一生失うことになる、あの日のことを。


それは、1月16日。

天使が消えた――それが、全ての元凶。


アシュレイは、この日を最後に幸せを失い、そして“家族”を失った――。





その日、アレシアはいつも通り街に買い物に出ていた。

だが街は普段と違い、いつも聞こえる美しい笛の音もなければ、人々を魅了していた歌声もない。

街中に溢れていたはずの幸せな笑顔を見ることもなく、アレシアは違和感を持つ。


街に出ている人は明らかにその数を減らし、家々はまるで隠れるように窓のカーテンをしめきっていた。


店を開いてるところも少なく、アレシアは数少ない店の中で買出しを済ませる。


「今日はやけに静かなんですね」


店番をしていた女にアレシアは話しかけた。


「おや、……あんた、知らないのかい?」


その言葉に首をかしげるアレシア。

女はそんなアレシアに、声を潜めながら伝える。


――惨劇の始まりを。




「――この国に、闇が潜んでるんだって。今日一人、捕まったらしいよ」



「え――?」


アレシアは、目の前が真っ暗になったかのような錯覚に陥った。

溢れてくる感情を表すかの如く、買い物の袋を抱える手が小刻みに震え出す。


幼くとも、存在を知られた闇の者の行く末は知っている。

待つのは、――【死】のみ。


「今回捕まったのはお仲間さんのほうらしくてね、闇のヤツ自体は捕まってないんだとさ。夕方……日が沈む頃に、捕まったやつの処刑があるんだ。みんな恐ろしくて――……」


アレシアの耳に女の言葉はそれ以上入ってこなかった。


それ以上聞けるほどの余裕が、まだ幼い彼女にあるはずがない。

――幸せの崩壊がもうすぐそこまで来ていることに、気付いたのだから。



「――あっ、ちょっと……?!」


アレシアは店を出て、家族が待つ家へ走り出す。

手に持っていたはずの袋は、走り出す直前にその手を離れ地面に落ちた。


――伝えなければ。


心臓が警鐘の如く、激しくそして大きく体中に音を響かせる。

恐怖と焦りが入り混じったその感情が、アレシアの頭に見たくない血に塗れた未来を想像させた。


(早く、……もっと、早く……!!)


急ぐあまりその感情に追いつくことのできなかった足がもつれ、走っていた勢いのままアレシアの体は前へと転んでしまう。


起き上がった彼女の体についた傷からは血が滲んでいたが、その痛みに構ってなどいられない。

アレシアは痛みをこらえるように唇を噛み締め、再び家へと足を急がせた――――。








――家のドアを勢いよく開け帰ってきたアレシアを、フィリスとアドルフが驚きに目を見開きながらも迎える。


「どうしたのアレシア、その格好……」


傷だらけのアレシアにフィリスは駆け寄った。


「――何か、あったのか?」


彼女の様子に、ただ事ではない何かが起きていることを悟ったアドルフが、アレシアに問いかける。


すると、息をきらしながら、彼女はアドルフたちに伝えた。


「――く、――なきゃ」


「え?」



「――早く逃げなきゃ!! 捕まっちゃう……!!」



アレシアの言葉に二人は顔を見合わせる。


「それは、“闇”の存在がバレた――ということか……?」


アドルフの問いにアレシアは息を整えながら、首を縦に振ることで答えた。


「とりあえず落ち着いて。落ち着いて、ゆっくり、私達に教えて」


フィリスがアレシアの背を撫でながら言う。

息が徐々に安定してきたアレシアは、少しずつ自分が聞いてきたことを二人に伝えた。


「…………」


二人は何も言わなかった。

まるで予想していたかのように、ただ、一つ息を吐く。


「なに、何かあったの」


その時、騒ぎを聞きつけたらしいリヒトが、そう言って玄関に顔を出した。


一度深呼吸をして、アドルフが言った。


「……どうやら、“闇”の存在がバレてしまったらしい」


「は……?」


信じたくない“それ”が本当かどうかは、目の前にいるアレシアの様子でわかった。



「……どうすんだ、これから」


リヒトの呟きに、アドルフは考え込むかのように目を閉じ、フィリスは俯く。



……少しの沈黙のあと、アドルフは答えた。




「……このまま、ここにいよう」




「っ――!?」


アレシアはバッと顔をあげアドルフを見た。

思わず自分の耳を疑う。


「なに、言ってるの……? 逃げるん、でしょ? だって、このままここにいたら、……捕まっちゃうもんね?」


震える声で、アレシアは言った。


「もう私達に、逃げ場なんてないわ」


アレシアの肩を抱くフィリスが言った。


「こんな時に、冗談、言わないで……。逃げなきゃ、死んじゃうんだよ……?」


「冗談なんかじゃねぇよ」


リヒトが諦めたような笑みを口元に浮かべながら言う。


「ここは、俺らにとって最後の逃げ場だったんだ。ずっと逃げて回ってきた俺たちにとっちゃ、今まで何の音沙汰無く、“普通に”過ごせた事自体が奇跡みてぇなもんなんだよ。……この場所も安全じゃないなら、もう俺たち“闇”は、――――」


最後の言葉を、リヒトは言わなかった。

……口に出したくなかったのだろう。


その言葉は自分たちの存在意義を否定し、消し去るものだったのだから。


彼の目は髪に隠されている。

その目は、どこを見つめているのか。

夢にまで見た、今日までの笑顔溢れる幸せな光景か――。

それとも、未来に待ち受ける、絶望か――――。



「アレシア」


アドルフの呼びかけにアレシアは反応し、彼の目を見る。


「お前はすぐにここを出て逃げなさい。お前だけなら助かる」


「っ……?!」


アレシアは即座に首を横に振った。

そして駄々っ子のように、目に涙を滲ませながらアレシアは言う。


「やだ……、そんなことしない……! したくないよ……」


それはもう願望に近かった。

溢れた涙によって、服が濡れていく。


「前は私達があなたに助けてもらったんだから、今度は私達があなたを助ける番よ」


フィリスが優しい声音でそう言いながら、アレシアの頭を撫でた。


「なぁ、アレシア。これは私達からのお願いでもあるんだ。……お前だけでも、生き残ってほしいんだよ。私達がいたことを覚えている人がいる――それだけでも、私達の心は救われるから」


アドルフの顔は悲しげに歪んでいる。

だがその口元は笑みを浮かべていた。


その顔にアレシアの心は軋むように痛みだす。


フィリスに目を向ければ、彼女もまた、苦しげに顔を歪めながらも笑みを浮かべていた。




――“アレシア”。


その名を呼ぶ愛おしき者達。


本人がすべき事は唯一つ。





「私はもう、お父さんとお母さんの子だよ。家族なのに、裏切ることなんて出来るわけない……。だからね、最後まで、一緒に闘わせて。




絶対に死なない、約束するから――。


――だから、最後のその時まで、一緒にいさせて」



愛すべき彼らのためにできること。


【例え、“独り”になったとしても、生き延びて、彼らの意思を繋ぐこと】である。


それは最後の約束。


血と涙に濡れた、残酷な約束――。



そして。


――その日の夕方。

捕まった闇の仲間である一人が、処刑される時間とき


処刑場では、十字架に繋がれた【天使少女】が姿を消し、一人の【悪魔少年】の悲しみと憎悪に満ちた叫び声が響き渡っていた――……





この日。惨劇の幕は開かれ、序章が物語を紡ぎ始めた。


アレシアはその物語を目の当たりにすることになる――――。





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