第79話 これが本の異世界転生【ギャグ】

「くっ、○せ!!」


「お前それ言いたいだけなんちゃうんか」


 緑色したオーク型のムシに捕らえられたエルフの女剣士は、屈辱――ではなく、言ってやったぞとばかりの妙に満足げな笑顔で顔を歪めた。

 そんなお決まりのやりとりをするために、俺達はここに入った訳ではない。

 

 そもそも、司書の仕事はこんな悪ふざけではないのだ。

 どうしてこうなったのか。


 それは、例によって、このアホの司書様が、この書架に間違えて魔導書を放り込んでしまったからに他ならない。


「まさか転生の魔導書と、転職の魔導書を読み違えるとは。私も疲れてたのね」

「疲れの一言で物事を済まそうとするな。ちゃんとチェックしてれば防げただろう。お前、もう、本当、こういうことする手間も考えろよ」

「まぁまぁいいじゃないのよ。そのおかげで、私はエルフの女剣士、貴方は念願のドスケベ下着装備の大賢者になれたのだから」


 別に念願なぞしていない。


 例によって、ここは異世界転生の魔導書が収められた書架室。

 転職の魔導書なんてものを中途半端に混ぜてしまったからだろうか、俺とリーリヤがその部屋に入るやいなや転生したのは、元の職業からはまったく真逆、それこそ転生しないとつかないようなそんな職業をしている人物だった。


 かたやエルフだてらに暴れん坊。

 手にした両手剣でばったばったと、ゴブリン、コボルト、スライムと、倒して進むエルフの女剣士リーリヤ。


 一方、風になびく深緑の髪と緑のローブ。魔道と叡智を極め、世界の秘法に迫らんとする真実の求道者、こと、女体化転生した俺マクシム。


 そんな綺麗どころな女二人が装備も整わない状態でオークの群れに突っ込む。

 シチュエーションからこの世界線がどういうものか想像して欲しい。


「お前これ、また変な魔導書混ぜたんじゃないのか」

「混ぜてないわよ!! これも含めて異世界転生のお約束なんでしょ!!」

「右を向いてもオーク、左を向いてもオーク、どうすんだよこれ」

「そりゃ当然、倒すしかないでしょ!!」


 オークに捕まり絶体絶命、と、みせかけて。

 リーリヤはっとその胸の中からナイフを取り出すと、それでオークの腱を斬る。

 手の力が弱ったところで、両刃の剣を腹に力をこめて振り切れば、横一文字、まるで達磨落としのようにオークの上体と下半身が分かれた。


 見事である。とてもインドア司書エルフがしてみせたとは思えない奥義だ。


 転生した風に見えて、実際には幻影。

 この芸当を成しているのは間違いなくリーリヤなのだが。

 なんだろうね、シチュエーションというのは、ここまで人をその気にさせるものなのだろうか。


 かくいう俺も。

 先ほどから、目からビーム、口から超音波、手からまたたびにゃんにゃん拳、足からジェット噴射、あげく乳をモーニングスターのように振りまいてと、大魔導士ここにありとばかりの大立ち回りである。


 そしてために貯めて、ここぞという場面での大魔術の爽快感。


 視線上の紙のオークが塵と化す。

 氷像と化す。

 消し炭になる。


 視界のいっさいをなぎ払う強力無比のその一撃に、普段魔法使いを散々にこけにしているこの俺の心も思わず躍る。


「なるほどこれが魔法使い。このあふれ出る力をどうしていいか分からず、ただただ放出することでしか己を証明できないこの感じ!! 悪くないな!!」

「攻撃魔法覚えたての駆け出し魔術師みたいなこと言ってるわね」

「念願じゃないとは言ったが、魔法使いってのも悪くないな。今度、本格的に習ってみるかね」


 オリガが体得できなかった、またたびにゃんにゃん拳が使えたのだ。アレは魔法ではなく気の部類だが、結構、盗賊以外の適正も俺にはあるのかもしれない。

 調子にのっちゃって、と、毒づくリーリヤ。

 そんな彼女の前に、ひときわ大きいオークが現れる。


 いや、これは、オークではない。


 緑ではなく青色を肌をしたこいつ。

 醜いには醜いが、オークの下卑た顔つきに対して、ある種の精悍さというかたくましさが目立つその顔。そして引き締まった体躯。

 巨人。しかし、ナディア達とは違う。

 凶暴に口から突き出ている犬歯に一つの大きな目玉。


「サイクロプス!?」

「またすごいのが出てきたわね。けど、これがボスって感じよ。ちゃっちゃと倒して終わらせちゃいましょう」


 下段に剣を構えるとそのまま走り出すリーリヤ。

 サイクロプスが手にしている丸太をこちらに振り下ろせば、紙一重、彼女はそれを横飛びにしてかわしてみせた。

 すぐさま、着地した地面を蹴って元居た場所へと戻るリーリヤ。

 丸太の上へとのった彼女は、そのまま丸太を駆け上がって、そのままサイクロプスの肩へと向かう。


 もちろん、そんなことをみすみす許す相手ではない。

 すぐさま丸太を振り上げてリーリヤを払い落とそうとする。

 だが、それはこちらも同じこと。


「させないよ」


 咄嗟に魔法を詠唱してサイクロプスの丸太を凍らせる。地面に対して接着されたそれ、流石に力自慢のサイクロプスといえど、それを引き抜くのは用意ではない。

 その一瞬の躊躇が、リーリヤが近づく隙を生む。


 たぁ、と、一声。


 サイクロプスの野太い喉元を両刃の剣が裂けば、そこから、鮮血の代わりに紙が吹き出る。小さな紙吹雪がひとしきり空を舞えば、握っていた丸太を離して、その場にサイクロプスは背中から倒れ落ちたのだった。


「お見事」

「ふっふーん。なかなか私も捨てたもんじゃないわね。ほんと、このまま転職の魔導書で剣士にでもなっちゃおうかしら」

「いいかもしれんな。お前なら剣振り回しても邪魔なものとかなさそうだし」

「どういう意味よ」


 ただまぁ、ここは幻想の世界。

 剣はおろか本くらいしか重たいものなど持ったことのない、この引きこもりエルフ娘でも活躍できる世界である。

 実際に剣を持って戦うにはもうちょっと身体を鍛える必要があるだろう。


 何気に、剣を持って戦うことができる奴は、俺のパーティでも限られていた。

 薪割りの斧や、集団戦法の槍と違って、剣というのを自在に操るのはそれ相応のテクニックが必要になるのだ。


 魔導書一つでどうにかなるなら、苦労なんてしない。


「しかし、転職の魔導書ねぇ。これもまたいったい、どういう経緯でできたんだか」

「魔法使いってほら、社会性皆無の職業じゃない。だからやっぱり転職しようと思うと、次の仕事に慣れるのにコミュニケーションだけで疲れちゃうっていうか。せめて仕事の技術くらいは、何とかしたいっていう」

「なんていうか思ってた以上に生々しい理由だなおい」

「いつの世も社会に出て働くってのは大変よね」


 森の奥に同族で固まって暮らしている、社会性どころか文明性もそこそこなエルフに哀れまれるとは実にひどい話である。


 そしてそんな切実な思いの物を簡単に他の書架に投げ入れるとは。


「お前、一度司書に転職しなおした方がいいんじゃないの?」

「なんでよ。失礼なこと言わないで欲しいわ。アンタこそ、ちゃんと司書に転職しなおしてくれないかしら。いつまでたっても本も読めない、分類もできないじゃ、話にならないわ」

「んだと」

「なによ」


「こらこら、いけませんよ、二人とも。こんなところで喧嘩していては」


 いきなり、小さな娘が俺達の間に割って入ってきた。

 なんだこいつと怪訝な顔をすると、青い髪をしたその少女は、にっこりと、こちらに向かって微笑む。


「なんでオークとサイクロプスが満ちた異世界ファンタジーの世界にこんな少女が」

「やだ、また変な魔導書を紛れ込ませたのかしら」

「やれやれこれだから司書レベルの低いエルフは困る」

「なによ、駆け出し司書にレベル低いとか言われても片腹痛いんですけど!!」


「リーリヤさんのほうは、司書レベル32くらいになりますね。もう中堅どころと言ってもいいくらいのレベルです。そちらのマクシムさんのほうは、司書レベルは20ですから、もう初心者という訳ではありませんよ。それより、盗賊レベルが78と、そこそこ高いのが凄いですね。ここまで来ると、もう伝説レベルですよ」


 はい? と、俺とリーリヤは彼女の方を向いて首を傾げる。


 何を言っているんだろうかこの娘は。

 司書レベルだの盗賊レベルだの。そもそもレベルとはなんだ、どういう意味だ。


「あ、そうでした、レベルについての概念をご説明するのを忘れていましたね。そうですね、言うなればこれは職業に対する習熟度をあらわす物で、指数関数的な特性をもつ」

「すまん説明してもらってもさっぱり分からん」

「というか、貴方、なに? どういうこと? なんの魔導書のバグ?」

「いえ、バグではなくてですね、むしろ、本そのものといいますか」

「本そのもの?」

「なに言っちゃってんの。そんな普通に人の格好をしておいて」


「えぇ、ですから、異世界転生、してしまったといいますか」


 にこにこ、と、微笑む青い髪の少女。

 ふと、俺はリーリヤから、目的の魔導書『転職の魔導書』の切れ端が収められている、封印書を拝借するとそこから切れ端を取り出した。


 すい、と、まるで吸い寄せられるようにして、彼女へと飛んだ紙切れ。

 すぐさま青白い光に包まれると、それは、次の瞬間には少女の頭上の帽子に代わっていた。


 つまり、だ。


「凄いですね。いまどきは、私のような、魔導書も異世界転生すると人間になってしまうのですから」

「えっ、ちょっと」

「おい、まさか」


「お手数をおかけします。お二人がお探しの魔導書、『転職の魔導書』です」


 えへ、と、はにかむ彼女を前に、俺達は絶句する。

 本が人間になるだなんて。その逆とかは考えもするが、まず、想定の範囲外だ。


 異世界転生おそるべし。


「どうすんだよ、これ、リーリヤ」

「どうするって。そりゃ、貴方、幻想なんだから、書架から出せば元の本に」

「あ、それ無理です。長いことこの状態だったので、もう存在レベルでこの形で落ち着いちゃってるんです。本の状態に戻るに戻れないというか」


「どうして同じ本なのに異世界転生しちゃってるのよ!?」

「やっぱり内容が違うと受け入れられないみたいで。転生対象になっちゃったみたいですね」

「そもそも転生ってのは幻覚であって、物体には作用しないんじゃ?」

「人間みたいに作り変えるのが困難なのはそうかもしれませんが。ほら、私たちって紙ですから。その辺りのと代わらないというか」


 崩れ落ちていく本のサイクロプス、そしてオーク。


 紙でまがいものの世界を作り出すのと、魔導書をまがい物の人間にするのと、それほど違いはないということだろう。

 厄介なことに。


「どう、すんだよ、リーリヤレベル32」

「どうするって、私に聞かないでよ、マクシムレベル20」

「私に御用なんですよね。あの、幸運なことにこの書架を出ても、人間の状態を保つくらいに魔力はありますので。大丈夫ですよ」


 いや、大丈夫って、お前。

 リーリヤと俺は顔を見合わせた。


 ただ、見合わせたところで、特に、何か妙案が浮かぶというものではなかった。

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