第68話 ザビエル【ギャグ】

「貴方ハ、神ヲ、信ヂマス、カー?」


 ぶふぅ。

 ミントも食べていないのに鼻の中を爽快に息が突き抜けていく。

 そりゃ、昔なじみが襟足刈り上げて、前髪ぱっつん、とどめとばかりに修道服着て尋ねてくれば、呼吸困難にもなるってもんだ。


 ひぃ、ひぃ、と、男の姿から視線を逸らして息を整える俺。


「信ヂマスか?」

「やめろボールス!! お前、分かっててやってるだろう!!」


 震える肺と横隔膜を必死に押さえ込んでいる俺。

 その視界に回り込んで笑いを取りにきた元戦士、その頭を、俺は景気よく叩きあげた。

 整った髪形が崩れると、その悪ふざけが過ぎる友人は、少しバツが悪そうに髪をかきあげた。まるで、こんなのは俺の趣味ではない、とでも言いたげに。


 そんな顔しなくっても、誰が見てもその髪型は似合ってないと思うさ。


「ボールス、お前、どうしたんだよ。いつから神父になったんだ」

「いや廃業した覚えはないさ。ハニーに頼まれてな、ちと、神父の真似事をすることになったんだよ」

「どういう頼みごとだよ」

「ハニーの古い知人、所謂師匠筋の方が今度遊びにこられてな。まぁ、流石に戦士と結婚したというと聞こえが悪いから、と」


 なんだよそれ。いいじゃねえか、旦那が神父だろうが、戦士だろうが。

 職業に貴賎なんてあるもんかね。皆、毎日、必死で生きているのだ。そのための手段に優劣などあるものか。


 元盗賊の俺が言うと、ただのやっかみかもしれんが。

 しかし、フェオドラの奴も酷なことを言うものだ。


「まぁ、彼女は一応エリート修道士だったから。世間体というのもある」

「したってねぇ、今はお前が食わせてやってるんだろ。だったら、何を気にすることがあるんだよ」

「そうかも知れんが。俺としても、彼女のしたいようにさせてやりたいんだよ」


 こういうところは健気というか、素直というか。

 単純なんだよな、この純情戦士男は。真っ直ぐすぎて、人を疑うだとか、恨むだとかそういうことを知らないのだ。


 そのせいで何度俺が泣きを見たことか。


 そして、今回もまた、その口なのだろう。


 笑いをこらえてボールスを王立図書館の執務室へと招き入れる。扉を閉めれば、直ぐに、この実直戦士バカ一代男は、床に頭をつけて俺に助けを乞うてきた。


「すまない、マクシム。上手く修道士に化けるために、どうしても、聖典を覚えなくてはならないんだ。そういう魔導書を貸してくれないか」

「いや、貸してくれないかと言われても、俺もそんなのに心当たりは」


「なになに、何事。あら、ボールスさん、いらっしゃい」


 どうしたものかと考えあぐねいている俺を哀れんでか、それとも得意の野次馬根性を発揮してか。自分の執務机で、いそいそと書類仕事に精を出していたリーリヤが、のこのこ俺達の前へとやってきた。


 ちょうどいい。

 というか、俺よりもこの手の話は、こいつに聞いたほうが早い。


 俺はかかる経緯をリーリヤに説明すると、改めて、ボールスが求めているような、都合のよい本がないものか、と、彼女に尋ねた。

 まぁ、例によってそんなニッチな用途の魔導書など、あるものか、と、思ったのだが。たいがいそれが覆るのが、こと、魔導書という世界。


「あるわよ。聖典丸暗記する魔導書なんて、それこそ腐るほど」

「腐るほど!?」


「ほら、魔法使いってそれこそ教会とは反目しあってるものじゃない。ともすれば異端のそしりを受けて投獄されるのもしばしばだったから。そういうの回避するために、自衛も兼ねてこの手の魔導書はよく造られたのよ」


 今でこそ魔法使いの人権も認められて、うんたらかんたら、と、薀蓄を語るリーリヤ正司書。さすがに人間より長く生きてるだけあって、くだらん、いや、色々なことを知っているものだ。


 なるほど、いつの時代も教会の奴らはろくでもないことしかせんのだな。

 そんな風にあきれる俺を尻目に、是非それを貸してくれ、と、ボールスは今度はリーリヤへと頭を下げるのだった。


 下手に出られるとめっぽう調子に乗るうちの正司書。

 やだもうそんな顔を上げてくださいよ、と、彼女はいつになく上機嫌な顔つきで、足元のボールスに言った。


「もちろん困っている方の力になるのが、王立図書館司書の勤めですから。そこは協力させていただきますよ」

「いつもはなんだかんだ言って渋るくせに、ほんとおだてられると調子いいな」

「五月蝿いわねマクシム。善意よ、善意、親切真心百パーセントよ、へんなケチをつけないでくれる」

「へいへい」

「けれども、そうね、ちょっと、取りに行くのが面倒な書架ではあるんですよ。所謂『信仰の魔導書』というくくりでまとめてあるんですけれど、それが作り出した空間がちょっと特殊なところでして」


 今まで、魔導書が作り出した空間で、特殊でなかったところなどないだろう。

 そういう所は世間と感覚がずれてるのはどうしてだろうね、このエルフは。


 そうなんですか、と、少し残念がるボールス。

 すかさず、いえ、心配しないでくださいと、リーリヤがフォローした。なぜか、俺の方を見て。


 いや、なぜか、なんて鈍いことは言うまい。

 俺が取りにいかなくてはならないのだろう。

 補佐という字がなかなか取れはしないが、俺もこの図書館の司書には代わりないのだ。


 ただ。


「なんでお前ニヤケてるんだよ」


 リーリヤの気色の悪い笑顔。こいつの笑顔の意味ばかりは、毎度、分かりかねる。

 書架に魔導書を取りに行くのに、どうしてそんな顔をするのか。

 眉をひそめた俺に向かって、ぷぷっ、と、リーリヤは何を思ったのか、意図の分からない笑いを向けたのだった。


 きょとんとした顔を向けたのはボールスだ。


「どうしたんでしょう、何か、問題でもあるんでしょうか」

「いやね、やっぱりそういう気難しい魔導書が集まるわけじゃないですか。そりゃ、今のボールスさんと同じようなことをね、平然と要求される訳ですよ」

「今のこいつと同じ?」

「健全なる肉体と、健全なる精神、ということですかな」


 いや、それは違うだろう。

 心の中で冷徹にツッコミを入れつつ、なんとなく、俺はその気難しい書架が要求するものにというものに、こうではないかという予感を感じていた。


 まさか、いや、そんな。

 目がいくのは、当然、目の前の元戦士の、似合わないヘアースタイルである。


「つまりですね、今の、ボールスさんのように、敬虔な信者、という格好をした者しか中に入れないんですよ」

「なるほどつまりお前が坊主になればいいんだな、リーリヤ」

「厳しいところは女人禁制、それでなくてもエルフは亜人だから、信仰がどうこうの前にアウトだってこと、察して欲しいわね、マクシム」


 嫌だぞ、刈り上げの前髪ぱっつん、ザビエルスタイルなんて。

 俺は絶対にそんな格好はせんからな。


 言葉も無く、立ち去ろうとした俺の肩を叩くものがあった。

 いや、はがいじめる、か。


「マクシム。すまん、これも俺の家庭のためだ。耐えてくれ」

「嫌だよ!! お前、それくらい我慢しろよ!! 別にいいじゃねえか、ちょっとくらいバカにされたって!!」

「マクシム、人の心というのが、アナタは分からないの。そんな風に世間様に笑われて、辛い思いをする人間の心というのが」

「今から俺を笑いものにしようとするものの言葉とは思えませんなぁ!! 嫌だぞ、俺は、絶対にしないからな!!」


 後日。

 襟足を切りすぎたせいか、調子が狂っておもいがけず風邪を引いた俺は、七日ほど図書館を休むことになった。

 髪が生えてくるのを待っていたわけではない。

 断じて。 

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