第60話 猫と疫病【ギャグ/ゲスト:オリガ】

「猫、ねこ、ネコ。足の踏み場もないくらいに、みっちりと溢れやがってまぁ」

「猫の魔導書の書架だからね、そりゃ仕方がないわよ」

「いやぁ、壮観でありますな。まるで海か草原のようになみなみと。正直、猫科の亜人である自分がいうのもなんでありますが。この光景はキモチワルイであります」


 だよな。

 元は同じ猫とはいっても、この光景には流石に引くわな。


 目の前には地平の果てまで続く猫畑。うじゃうじゃと、ひしめき合うとら模様、ぶち、三毛に黒と白という、あらんばかりの獣の毛の群れが広がっていた。

 こんな場所が現実な訳がない。

 そうここは言うまでもなく魔導書架。


 第七十四書架。猫の魔導書の書架である。


「えぇ、そうかしら。私はかわいくっていいと思うけれど」

「かわいいっていう感覚がまず分からん。この延々続く猫の世界に、お前は不安を感じないのか?」

「なんで? だって猫でしょう?」


 ねぇ、と、語りかけてリーリヤは足元の猫を抱き上げる。

 茶と白のぶち猫は、不細工な顔をくぁと屈伸させてにゃあと鳴いた。

 どうよ、と、いつものドヤ顔。こんなに可愛いでしょう、と、同意を求める視線が俺へと送られてくる。


 一匹二匹ならそりゃ可愛いって話で済むだろうけど。この量はな。

 ケーキだって量食えば胸焼けするもんだろう。可愛いってのも同じで、人の常識以上の量が集まったりすると、その価値観も反転するもんだ。


 そもそも同族のオリガがキモイとか言っている訳で。

 ここにひしめいている猫たちからしても、なんでこんなにいっぱい猫が溢れかえっているんだと、言葉にはしないが思っているに違いないだろう。


 いや、猫の気持ちなんて、なったこともないから分からないけれど。


「芋虫が山盛り樽いっぱいに蠢いてたら気持ち悪くなるだろう」

「いやそれは芋虫が気持ち悪いだけであって」

「だったら、お前、幾ら美味しいケーキつっても、三個も食えば胸焼けするだろ」

「しないわよ。私の別腹をなめないでくれる」


「マクシムどの。リーリヤどのはこれで結構乙女でありますから。そして、頑固でありますから。思ってても絶対折れないでありますよ」

「だな。くそっ、同じ猫科なんだから、ライオンでも豹でもでてくりゃいいのに。そうしたら、こいつも意見を曲げるだろう」

「猫獣人のオスもいいかもしれないでありますな」

「お前がそれを言うかね」

「猫耳は女性には映えるでありますが、男性にはやっぱり似合わないであります。自分も、結婚するなら同族ではなくて、普通の人間のがいいであります」


 というか、そもそも、結婚する気なんてさらさらないでありますが、と、なぜだか胸を張ってオリガは言う。

 流石は女やもめ三百年なエルフ娘と気が合うだけはある。軍人ということもあるのだろうが、言うことがいちいと男気に溢れているな。


 獣人の寿命はエルフと違って、そこそこだってのに。

 そんなのんきなことで大丈夫なのか。

 親御さん泣くぞ。


「オリガの好みは置いといて。さて、それじゃ、探しましょうかね」

「今日探してるのはいったいなんなんだよ。猫の魔導書、しかも、軍からの依頼で探してるんだろ」

「自分も上官から、ちゃんとものを見て受領してくるよう、きつく言われているであります。そんな大層なものでありますか?」


 にやり、と、リーリヤ。

 彼女は拾い上げた猫を再び毛の海の中へと下ろすと、ふと辺りを見回した。


 ほら、あそこ、と、リーリヤが指差したのは、足の高い穀物庫。

 鼠返しが柱につけてあるそこへと、リーリヤは猫の海を掻き分けて進みだした。


 結構な距離があるが。まぁ、猫といっても、実際は紙が化けたものだし、いいか。

 俺もまたリーリヤに続いてそこへと移動を始める。

 一歩遅れて、待ってくれであります、と、オリガが叫んだ。


「ぴょこぴょこと、まるで、生まれたてのアヒルみたいにおぼつかない足取りね、オリガ」

「なんだよ思い切りのない奴だな。猫なんて勘がいいんだから、足を下ろせば自分から避けてくっての」

「二人ともすり足で猫を蹴飛ばしながらとか鬼でありますか!?」

「いやいや、猫じゃないしね。猫の形をした紙だから、これ」


 まぁ、同族だからな、気持ちは察する。


 そんなやり取りはともかくとして、直ぐに、俺達はその建物へと辿りついた。

 なんだろうか、ここは。普通にただの倉庫という感じしかしないのだが。


 ただ、見渡す限り地平まで猫、というこの狂いに狂った世界において、これだけが唯一まともな光景である。きっと何かしらの意味があるのだろう。


「猫と人間の歴史は古いというわ。古くは、穀物庫に沸く鼠を退治するために、猫を門番代わりに飼いだしたのが、猫を飼うようになった起源というわ」

「あぁ、確かに、言われてみればそうでありますな。うちの実家の家業も、村の共同穀物庫の番人でありました」

「偶然じゃねえ。もし必然だったら、お前の祖先、鼠食ってたことになるけど」


 鼠美味しいでありますよ、なんて、どこぞのエルフみたいに言い出すかと思ったが、そこはオリガ。

 やっぱり関係ないであります、と、青い顔してすぐにそれを取り消した。


 で、だ。


「軍が鼠取りに魔法猫でも雇うのか? そんな時代でもないだろ。ほうさん団子でも撒いとけばいいんじゃないのか」

「ほうさん団子。あれは危険であります。間違えて人間が口に」

「しねえよ」


 口にしないだろ。分かるだろ。食べたら駄目なものだって。

 どんだけ腹が減っていればそんなことになるんだ。


「まぁ、オリガみたいな脳みそ猫ちゃんもいるからね」

「酷いでありますリーリヤどの!!」

「冗談よぉ。まぁ、どちらかというと、ここ、猫の魔導書架に封印されているもの、の方に用があるって感じね」

「封印されている?」


 魔導書架に収まっている、とは、よく言うが、封印されている、とはあまり使わない言葉だ。もちろん、悪さしないように集めているのには違いないが。


 そんな俺の心境を察したように、リーリヤがこちらを向いた。

 いつになくその表情は真面目だ。


「マクシム。貴方も、よく覚えておいてね。意味のない魔導書が多いって言うけれど、ここの魔導書架みたいな使い方をするところもあるのよ」

「使い方?」


 勿体つけてリーリヤが穀物庫の扉を横へと引いた。

 溝の上を滑る木の扉。その中から漏れ出てきたのは、どんよりと淀んだ空気。瘴気、腐臭、鼻が曲がるような怖気を伴う匂いが、そこからは漏れ出てきた。


 ここは、穀物庫、では、ないのか。


「なんだよ、これ。なんか見てるだけで病気になりそうな」

「そうよ。まさしくそれ。あんまり長く見てると、私やアンタでも体を壊すわ」

「まさしくって」


 リーリヤが扉を閉める。

 と、その足元に、ちゅう、と、鼠が飛び出してきた。


 浅黒く汚らしい鼠だ。それこそ、病気を運びそうな。

 どこから出てきたのか、と、思いをめぐらせるよりも早く、高床式の穀物庫を駆け上ってやってきた猫が、それをぱくりと口の中へと納めてしまった。

 なかなか、優秀な猫じゃないか。


 いや、待てよ。


「さっきの鼠っていうのは、もしかして、ムシになるのか」

「もちろん、魔導書から這い出てきたムシ、よ。それも性質の悪いことに、疫病を運ぶね」

「疫病?」

「ペスト、結核、黄熱病、破傷風、チフス。色々あるわね。ここ、この小さな穀物庫に収められているのは、そんな疫病にまつわる魔導書よ」


 ちなみに、ここは例外魔導書架で、第113書架こと「疫病の魔導書」が収められている場所よ、と、リーリヤ。

 書架室の中に更に他の書架がある。

 流石にちょっとない発想だったので、俺はへぇと月並みに驚いた。


 なるほどな。


 無学な俺でも、疫病についてはそれなりに知識がある。

 様々な病があるにしても、とかく、これらを運ぶのは大抵獣の仕業だ。それも、不潔で、人々の営みの中に寄生しなければ生きていけないような、そういう輩がもたらすものばかりだ。


 最たる例は、先ほどの鼠。

 一時期、大陸の西側を席巻したペストの病は、この鼠を媒介して広がった。

 そんなものについて書かれた魔導書が、鼠のムシを出すというのは、なるほど考えられない話でもない。


 そして、どうだ、それがもし書架の外まで漏れ出てきたら。

 病原菌を背負った鼠のバグが大量発生したら。


「王国は一大事だな。しかし、これだけ猫がいれば、流石に出口までたどり着くことはできない。ということか、リーリヤ?」

「相変わらず、そういうところにはちゃんと頭が回るのね。話がしやすくって助かるわ」

「えっ、えっ、どういうことであります? なんで納得した感じの顔をしているでありますか、マクシムどの?」


 そりゃ納得したからに決まってるだろう。

 おつむが猫並みに能天気なオリガには、今までのやり取りで、なぜ、猫の魔導書架の中に、この疫病の魔導書架が存在しているのか、理由が見出せなかったようだ。


 いちいち説明してやるのも面倒だ。

 どうする、と、俺はリーリヤに視線を送ると、いいんじゃないかしら、とばかりに彼女は溜息でそれを返してきた。


「しかし、どうしてよりにもよって、こんな物分りの悪い奴をよこしたかね」

「なんの話であります? ちょっと、二人とも、納得してないで説明して欲しいであります」

「これはこれで使い道ってものがあるのよ」


 ところでオリガ、お願いがあるんだけれど。

 リーリヤは珍しく猫なでごえでオリガに頼んだ。

 この本を、この中から取ってきてくれない、と、差し出したのは、白本の断片から復元した、魔導書のレプリカである。


 さきほどの話を正しく理解していたなら、そんな病気の巣窟である穀物庫の中へと入りたいわけがない。

 しかし、そこは理解していない、哀れなオリガ。


「まかせるであります。お世話になっているリーリヤどののためと思えば、このオリガ命に代えても、この本を見つけだしてみせるであります」


 すぐさま、リーリヤの手から魔導書のレプリカを受け取ると、穀物庫の中へと駆け込んでいってしまった。

 大丈夫なのか、これ。


「なんとやらは風邪を引かないっていうでしょ。猫の獣人は、この穀物庫の中でも、そう苦もなく活動できるのよ」

「それは猫だからか、それともなんとやらだからか」

「両方なんじゃない」


「あった、あったでありますリーリヤどの!! 見つけたでありますよ!! さすが自分であります!!」

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